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【昭和の記憶を記録する】“記憶”は史料〜昭和の“記憶”を聞き取り、言葉として“記録”し、未来へと伝えたい

noteクリエイターサポートプログラム ご支援のお願い

福島県郡山市在住のフリーライター「言葉おこし」と申します。普段は古写真集の取材(おもに写真の収集)と自分史のサポートなどをしています。

現在取り組んでいる活動「昭和の記憶を記録する」を支援していただきたいと思い、応募いたしました。

「昭和の記憶を記録する」とは?

おもに福島県内の「昭和の記録」を持った方を取材し、その“記憶”をできるだけ編集せずに言葉におこし、 “記録”しています。

完成した原稿はご本人に内容を確認していただいた上で、私のクリエイターページで公開しています。私の個人的な活動としてスタートしたため、現在は無料で取材し、原稿を作成しています(ただし、サンプルとしてnoteをはじめ、インターネット上での公開をお願いしています)。

なぜ“昭和の記憶”を“記録”したいのか〜記憶は、貴重な史料です〜

わたしはこれまで主に古写真の取材(株式会社いき出版の「昭和シリーズ」「100年シリーズ」の写真収集)を通し、おおぜいの方に会い、さまざまなお話をうかがってきました。その9割が昭和という激動の時代を生き抜いてこられた70歳以上の高齢者です。

なかには、「今回の取材とは関係ないんだけど…」と言って、過去の経験を話してくださる方もいらっしゃいました 。

・戦争が終わり、家族と一緒に命からがら満州から引き上げてきたこと。
・女学生時代の昭和20年8月15日、校庭で玉音放送を聞いたこと 
・戦後のバラックマーケット(闇市)のこと
・昭和20年代、30年代の賑やかだった商店街のこと 
・子どもが少なくなり、廃れてしまった地域のお祭りや風習 など

次第に「この“記憶”を言葉におこし、“記録”していきたい。いや、“記録”していかなくてはならない」という使命感にも似た思いが、わたしのなかに芽生えていきました。

わたしがうかがった“記憶”は、その時代をリアルタイムで生きた人にしか語ることができない、大変貴重な証言です。

例えば…。
「昭和20年8月15日、日本は連合軍に降伏し、終戦を迎えた」

これは歴史的事実です。

文章にすれば、たったの1行です。

しかし、その裏には、性別・年齢・立場の違う、さまざまな方のさまざまな思いがあります。

戦争により家族を奪われ、悲しみから立ち上がれなかった人、敗戦を受け入れられなかった人、玉音放送の意味がわからなかった人…。

こうした“記録”をたくさん集めることが、「昭和20年8月15日、日本は連合軍に降伏し、終戦を迎えた」という歴史的事実を多角的に検証することにつながるのではないか。後世の歴史研究家が「昭和」という時代を理解する際の手がかりになるのではないか。

そう思うようになり、仕事以外のライフワークとして、「この方の記憶を残したい」と感じた方のお話をうかがい、その“記憶”を“記録”する活動をはじめました。

使命感などという大層な言葉を使ってしまいましたが、本当は「言葉として残したい」という単純な思いだけかもしれません。

「昭和の記憶を記録する」概要

(1)取材・原稿作成の進め方

◆取材対象者をどう探すか?
現在はわたしが古写真集の取材を通して出会った方に取材を申し込んでいますが、今後はまちづくりに関わっている団体(商店街や商工会、青年会議所、神社の氏子の皆さんなど)に協力をお願いし、“記憶”を“記録”させてくださる方を紹介していただく予定です。商店街の公式サイトやSNSでの公開、冊子などの作成も視野に入れ、わたしの取材・原稿料もいただけるようにしたいと考えています。

◆こんな「記録」を「記憶」したいと考えています。
・戦争中のこと、戦後の混乱期のこと
・高度経済成長期に変貌を遂げた街並みや商店街のこと
・父母や祖父母の人生
・ご家族のルーツや家業のこと
・今も忘れられない出来事
・これまでのあゆみやお仕事のこと など

◆取材の進め方と注意事項
・取材時間は2時間程度を予定。ご自宅などご指定の場所へうかがい、その場で取材いたします(取材内容は許可を得た上で録音します)
・完成した原稿はご指定の住所へ郵送し、事実関係などの間違いがないか確認していただきます(修正は2回まで)
・原稿を修正後、noteのクリエイターページやSNS、blogなどに掲載いたします。

◆方言やその人らしい言い回しを尊重する
・“記憶”を語ってくださった方の“その人らしさ”や“息づかい”を大切にするため、できるだけその方の語った内容通り、原稿を起こします。
・同時に読みやすさや伝わりやすさも大切にします。必要に応じて、①重複した内容を削除②話の順番の入れ替え③インタビュアーによる補足などを行います。
・基本的にうかがったお話をそのまま言葉におこしますが、コンプライアンスを尊重し、現代社会では問題となりそうな用語や言い回しを修正します。

◆“記憶”の考証(歴史的事実の確認)
この活動の目的は、できるだけたくさんの“記憶”を“記録”するです。そのため、調査に時間を要する「歴史的事実の確認」はおこないません。公開する際は、注釈として「個人の記憶に基づく記述である」ことを記載します。

◆プライバシーの保護
本名非公開の方はイニシャル表記とします。また、プライバシーには最大限配慮し、ネットでの公開前はもちろん、公開後も必要に応じて内容を修正いたします

◆著作権について
作成した文章や撮影した写真の著作権は、原稿作成者本人(わたし「言葉おこし」)に帰属することとし、二次使用(他の印刷物やメディアなどへの転載)される際は、お問い合わせをお願いします。

(2)今後のビジョン

前述しましたが、現在は「できるだけたくさんの“記憶”を“記録”したい」という思いから、インターネットへの掲載を条件に取材・原稿料をいただいておりません。

しかし、取材を進めるうち、2つの限界を感じるようになりました。

① 仕事(生業)のかたわら、無償でこの活動を続けるのは限界がある
② 歴史的史料として保管するためには、できるだけ多くの“記憶”を集めなくてはならないが、わたし一人が手掛けられる人数には限界がある


 そこで、この活動の認知度を上げ、産学官との連携のもと、事業として収益を上げ、各地で「昭和の記憶を記録」してもらえないかと考えるようになりました。

  提案の方向として、下記の2つを考えています。

① 貴重な昭和の“記憶”を歴史的資料として後世に伝える
② 高齢者の生きがいづくり、認知症予防

人は高齢になっても若いころの記憶(自分が一番輝いていた青春時代の記憶)を大切に持っています。また、若いころの記憶を思い起こすことは脳の活性化につながり、認知症の予防にもつながるそうです。現在はコロナ禍の影響もあり、難しいかと思いますが、感染状況が落ち着いたら、高齢者施設にこの活動を提案していきたいと考えています。

noteクリエイターサポートプログラムに応募した理由

まずは福島県内で「昭和の記憶を記録する」の活動し、全国へ広め、貴重な歴史的証言を未来へ残したいと考えています。

また、この活動の認知度をアップし、産学官と連携することにより、事業として成立させ、収益を得られるしくみをつくりたいと考えています。また、それにより、地元で活躍するライターの仕事を創出します。

「昭和の記憶を記録する」活動と自身の知名度を上げるため、2023年秋を目標に集めた記憶を冊子としてまとめて配布(もしくは販売)する予定です。

◆希望するサポート期間
2022年11月〜2023年10月

◆支援してほしい内容(用途と希望金額)
①取材費用 1名あたり40,000円(取材・原稿作成・交通費)×20名=800,000円②「昭和の記憶を記録する」福島市版または郡山市版の冊子作成=1,000,000円
③ 地元メディアへの広告出稿=20万円(金額は概算です)
合計 2,000,000円のご支援をお願いできれば幸いです。

私「言葉おこし」につきまして

詳しいプロフィールや活動はこちらをご参照ください。

個人HP https://www.kotoba-okoshi.net 「わたしのこと」にプロフィールあり

このクリエイターページのほか、下記のような活動もしています。

note 「言葉おこし」 https://note.com/kotoba_okoshi

blog 「たぶん最後の映画看板絵師」 https://ameblo.jp/kotobaokoshi/

blog 「まなびたび」 https://ameblo.jp/aoineko29/

今後は、「記憶」だけでなく、近年断捨離・終活ブームにより処分されつつある貴重な古写真や古い日記などの保存など、「昭和の記憶を残す」活動全般にも力を入れていきたいと考えています。なにとぞ応援のほどよろしくお願い申し上げます。

いただいたサポートの半額は地域の小さな祭りや伝統行事を守る保存会に寄付し、残りの半額は取材にかかる交通費や宿泊費に充てさせていただきます。よろしければサポートお願いいたします。また、収支は定期的に発表いたしますm(_ _)m