じぶんの初期設定に戻っていく
子どもといっしょに暮らしていると、わりとよく感じることかもしれないけれど、ちいさなひとたちって、その存在がまるっと清らかだよね。
思うがままで、無邪気で、自由で、満たされていて、善悪を超えた“無垢”な存在。
光そのもの、とでも言うのかな。
だから眩くて、輝いていて、見ているこっちまでたんまり幸福のおすそ分けをもらえてしまう。
“ひとには、それぞれ生まれ持った体質がある”
というのは、先日もちらっと書いたアーユルヴェーダの考え方。その“体質”はもちろん、そのひとの“性格”をも含む。いわば、そのひとがもっともそのひとらしくあれる、こころとからだの“初期設定”みたいなもの。
アーユルヴェーダでは、その本来的な体質を“プラクリティ(自然)”と呼ぶのだけれど、その状態が保たれているとき、ひとはいちばん自然で、調和的で、幸福でいられるんだって。
幼少期の子どもがキラキラしているのは、きっと、その存在がまだプラクリティそのものだからなんだろうね。いのち全体で自然を享受しているから、いつでも未知へと開かれていて、意識しなくても宇宙の自然とつながっていて、満たされている。
成長はもちろん素敵なことだけれど、おとなになる過程で、この初期設定が揺らいで、乱れが生じるようになる。乱れがつづくうちに、知らぬ間に自分の本来的な体質から大きくズレた生き方を選んでしまって、苦しくなる。
単純に、自分らしさから遠ざかっているから生きにくいし、つねに“何か違う”感がつきまとって、満たされない。
だから、からだやこころが苦しいときは、自分の初期設定を知っていると安心材料になる。そこに戻っていけるように、じぶんを調整すればいいから。
という、理論はシンプルだけれど、実行するのはなかなかね。
本当の自分のプラクリティを知るには、アーユルヴェーダの医師に脈診を受ける必要があるそうなのだけれど、ざっくりイメージするなら、自分の幼い頃の傾向にしたがってみる感じにも近いと思う。
小さな頃はゆっくり歩くタイプだったのに、いませかせか歩いてしまうなら、ゆっくり歩くよう意識してみる、みたいな、とてもシンプルなこと。
幼いころ、どんな自分だった?
さて、それでね、最近思うのは、お子①の変化について。とくに今回の長い休校期間を経て、自覚的になったことがあった。
それは…‥わたし、お子の世話を焼きすぎている、ということ。
じぶん以外の誰かが同じ空間にいると、そのひとがどんな心持ちでその場にいるか、快適に過ごせているかがめっちゃ気になるし、世話好きなのも自覚している。
ただ、“放っておく”のが、思っていた以上に苦手なんだ、と気づいた(わたしがね)。
子どものあるがままのプラクリティ(自然)を、なるべくおとながけがさないように。
そう思って子育てしてきたつもりだったけれど、無意識のうちに、彼女の余白を奪っていたのかもしれないなと。
学校が再開したとたん、お子①は同調圧力的な雰囲気に飲み込まれやすくなる。「先生がこう言ったから」という理由でものごとを決断する傾向が急にあがるのね。
猜疑心満載なわたしは、「それって、自分で考えたの?」「なぜそうしなきゃいけないか訊いたの?」という疑問がつい口をついて出てしまう。しかしお子①は「だって、先生が言ったし、そうしなきゃいけないから」の一点張り。
お子①の自由で奔放な初期設定が、なんとなく曇りはじめている…と思ってしまうのは、時期尚早なのか否か。
それが思慮(分別)を学ぶということなのか、あるいは生命としての輝きがけがされはじめているということなのか、見極めはなかなかむずかしい。
それでもどうにか、うまく手を差し伸べたい…と、思ってしまうわたしのエゴが、よけいに彼女の自由を疎外しているかもしれないという矛盾。
(あれ、初期設定の話が子育て話になっちゃった…)
最近、週1で通っている整体で今日、「脳みそが疲れてますね」といわれた。脳みその疲れ具合が現象としてどう出ているのかを訊きそびれちゃったけれど、脳みそも疲れるという事実は、わたしにはここちよい。休んでいいってことだから。脳みそつかいすぎ、なんだよきっとってね。
あれこれ考えすぎか。
(雨ばっかりで重たいしね、季節のせいにしよう)
自分の本当の体質って何だろう?と知りたい方も多いかもしれないので、体質診断について書いて見ようかとも思ったのだけれど、膨大なテキスト量になりそうなので、またいつか小分けにしてでも。
とりあえずは、この本がおすすめなこと再発見!
フリーランスになりたての頃につくった1冊(なつかしい〜)。当時は盛りだくさんすぎたように思えたけれど、いまになってみると、この盛りだくさんが魅力かも(しかも、まだ買えるという奇跡!)。
オイルマッサージのやり方はもちろんだけれど、そのほかのページに詰め込まれたアーユルヴェーダの智慧が、とてもわかりやすくて、案外くわしくて、よいです◎ 体質診断や心とからだの処方箋なんかも読みどころ。
2006年刊行だけれど、なにせアーユルヴェーダの智慧は5000年ものだから、十数年たったくらいで古くなるはずはない(笑)。
「自分自身をよく知る」
というのが、たしかこの本のテーマだったんだ。
まさに初期設定をさぐるために、こうやってわたしも掘り起こしているのかな。本来の自分をよく知って、自分自身へと戻っていくことが、美しさや幸せを叶える唯一の道だと、先生も言っていた気がする。
幸せは外にあるのではなく、自分の内側からわきあがってくるものだから。
すぐ忘れちゃうんだけれどね。。
また思い出して一歩進んで、変わりつづけよう。
Photography by Kabo
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