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知って良かった知らざるべきこと

知らない方が良かったことってそこいらじゅうに転がっている。

たとえば。
「本当に好きなもの」を知ること。


家族や友達、恋人らが、「好きだ」と言っているものは意外とそのものの薄い皮の表面だったりして、そのもう一歩踏み込んだところの奥まったマニアックな領域まで足を踏み入れると、「え、うわあ。なんだこの空間は。」ってなってしまって、ちょっと引いてしまうということがあるのだ。

それは、音楽や映画にもあるし、演劇や性癖、食べ物や、服装、それに運動だってそうだ。
なんなら生活方法や仕事、お金やひとに対しての価値観だってそうだろう。


「君も好きなの?じゃあ付いてきなよ」


なんて簡単なことは言えなくて、どうしても教えて欲しかったり付いて来たかったりして、付いて来ても良いよって言ったは良いものの、人柄とは想像できないような趣味の領域で、“正直キモかった”なんて言われたりすることになりかねないんだな。


どんな趣味の世界にも、“そこまでやるとさすがにキモいだろ”って領域がある。そういうところまで紹介しなきゃ良いんだけど、ふと説明しちゃったり紹介しちゃうときがあるもんで…
そういうときにその趣味がそのひとの人格とイコールされて見られたりして、変なひと扱いされてしまうこともあるのだわ。


最近の傾向としては、“みんながみんな変なところがあって当たり前”という見方があるし、それぞれの個性を重視している。だから、個性的であっても良いんだという流れがあって僕としては居心地が良いのだけど、最初はちょっとドキドキしてしまうよな。

好きなひとってのは仲良くなればなるほど、生活の中のちょっとした癖が見えてきて、なんだか複雑な気持ちになるかもしれないが、“自分もやってみる”と、案外ハマってしまうものでもあるのだ。
たとえば、好きじゃなかった服とか物のチョイスも、プレゼントされると好きになったり、意外と似合ったりフィットして心地良かったりして、“自分の好き範囲が広がる”のは気分が良い。それと似ている。

もしひとを軽蔑してしまいがちが自分がいるなら、たぶん…
自分を広げることを恐れてしまって、たじろいでしまっているんだわ。


ひとを受け入れるのは、最初は怖い事なのかもしれないが、ひとを受け入れることに関しての恐怖は、乗り越えれば乗り越えるだけ、その分以上にちゃんとした益があることを忘れてはいけない。

新しい世界を知るとは、そゆことなんじゃなかろうかね。

広げて知る、これからの僕は。

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