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じっと動きを見て、法則を考える

戻りつつある日常に僕らはどう動いていったら良いんだろうか?


僕が考えていたのは、こういう状況は1年かそこら、もしくはそれ以上続くと思っていたものだから、こんな形でこの雰囲気がなんとな〜く回復しそうな感じになるのは考えていなかった。


それは、ちょっと迷惑な予想外で、少し前の「今まさに耐えるべき時です」と政府が激しく言っていた時くらいの方がなんとなく過ごしやすかったかも?なんて思ってしまった。

なんというか、かなり状況が中途半端なのだ。


政府の対応の遅さにみんなイライラしている。それがまたこの状況によってしんどい面がさらにしんどくなるんじゃないかと思うのだ。

町の状況はこんな朝に近い。たまに旅行先で、朝早くに町に到着したものだからお店が完全に閉まっていて、コンビニとか駅前の朝コーヒーセットを売っている喫茶店か、24時間のスーパーくらいしか空いていないような、そんな感じに似ている。楽しむって感じではないし、お腹は?「空いてない。」とりあえず座ろうかってなって喫茶店に入る的な。荷物が重たくて遠くにはいけないし、宿はまだ空いてもいないどころか移動方法もまだわかっていなくて、とりあえずどこかに腰を落ち着かせたいという感じだ。


政府の対応が遅かった分のツケはどんどんと利子が増していって取り返しの付かない状況になりつつあるなと、そう思う。実際取り返しのつかない状況はすでに起こっているんだろうし、苦肉の策をチョイスして凌いでいるひとだってたくさんいるだろう。「昔から続けて来たから、みんなから応援されて来たから続けたい。」なんていう気持ちだとやってかれないわと、どうしようもない選択肢を選ばざるを得ない。
なんというか、こんな事で、そういう選択肢を選ばされるのが悔しくて仕方ないだろうなって思う。ムカつくよね。

ニュースに30代の男性が職場から解雇されて、“抗議したい”というひとが出ていた。
僕は、抗議してどうするんだろう?解雇と決まった事に関して抗議って何を抗議するんだろうと見ていると”解雇を撤回して欲しい”んだとさ。

………。
ちょっと考えりゃわかるだろうに何を言っているのか。
自分がその会社から解雇された理由はひとつだ。自分が有能でなかったというよりも、この環境ゆえに収入が減ったから「あなたを養うことはできませんよ」と、そう言っているのだ。

「自分は自分の家族が養えないから辛いんだ」と、そういう気持ちはわからんまでもないよ。だけど、そんな事言ったって仕方ないじゃないかと、えなり君だって言いたくなるに違いない。

そう。
何が辛いのかって、状況が少し回復したんだとか、感染者が少なくなったんだとか言ってはいるんだけど、だからって今まで通りに働いても大丈夫だよとは誰も思っていないし、言ってもいない。なんなら“そう思って活動してはいけない”と、「動きたい衝動を自分で抑えなさい。動かさなきゃやっていかれないから動かしたいんだ。という衝動をギュッと自分の中に押し込めなさい。」と言われている状況が続いてしまっている。それがかなりつらい。八方塞がりでニッチもサッチもいかないから右を向いても左を向いてもどうにもならない状況なのだ。

さっきの30代男性の話に戻って。

もしその抗議で「わかりました、じゃああなたを解雇するのをやめますね。」なんて言われて、やったーなんて言ってたら今度は「あなたのお給料が支払えないので会社は倒産します。」なんて言われてみなさいよ。それこそやってかれないじゃない。

そう、たぶんこのひと。
そういうちょっと考えりゃわかるようなことが、いろんなことの影響で考えられなくなってんじゃないかなと。
どうにかこうにか、何かにしがみ付かなきゃいけないってのに、「元いたところにしがみ付いちゃえ」ってなってんだと思う。



ああ。良くないな、この流れ。ひと(他人)のことは何だって言えるわ。

ひとの良くないことや、変な考え、おかしな衝動とか言動にいちいち反応するのは簡単なのである。

なぜそれが起こっているのか、じゃあ自分達は一体何をすべきか、どう感じてどんな風に対処すべきか、変な考えやおかしな事柄は、本当におかしなことなのかと、ちょっとひと呼吸おいて、一度様子を見てから根本的に自分達が求めている安全とか安心がいったい何なのか考えても良いはずだ。

今まで通りのものが手に入らないからと言って地団駄踏むなんてのは考えずともできる単なる感情の発散でしかない。そんなのは幼稚で、大人気ない。

どうすれば良いんだろうとあっちやこっちを見回して、みんなと同じ方向に行こうかそれとも自分で考えた方向に行こうかと迷って、右に左にと歩いているのは、ひとから見ればただウロウロしているだけで何もしていない姿だ。
そうなるくらいなら、じっとその場に止まって腕を組んで少しだけでもじっと考える方が、有益だったりするんじゃなかろうか。


すこぉし、じっと考える、これからの僕は。

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