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自分ネグレクト

最近、「ネグレクト」という言葉が胸に突き刺さる。

ネグレクトというのは「放棄してしまうこと」を言う。
世話をしたり、養育をしたり、介護する必要を投げ出してしまうことである。自分の事じゃなくって他人の事でも。


ひとり暮らしをしていると、食べ物はテキトーになったり、部屋が散らかったりゴミが溜まってしまったり、請求書とか市役所に提出すべきものが積み重なったり、服を畳まなかったりすることがあるかもしれないし冷蔵庫の中とかも腐った物がそのままにしてあったり。
それの“ちょっとひどいやつ”がネグレクトである。


「自分の部屋は心の状態を表す」とはよく言うけど、自分の世話もネグレクトするようになってくると、ほんとに心が荒んでくる。


僕の場合はまだ、マシなのかもしれない。
床はまだ見えてるし、そもそも物が少ないから救われるが、何でもかんでも「欲しい、捨てたくない」ではどんどんと物が蓄積されていってひどい状況になるはずである。においも出ると思うんだ。



正直僕も、幾年か前に鬱状態になってから部屋の掃除が難しくなってしまったが、今もその名残りがあるのか部屋の掃除はあんまり得意ではない。まさに心の状態を映しているかのようである。情けないけど。

自分の部屋もそうなんだが、靴の状況もそれに似ているんではないかなぁと思ったりもするのだ。
自分の靴が汚れているのは、仕事ができないとかってよく言ったりするけど。それって、「自分の世話もできないのに他人の世話なんかもできないだろ?」って言いたいのだと思うのだ。

どこかで働かせてもらうというのは、人に仕えるという事でもある。言うことを聞くだけでなくて、誰かの世話とかカバーとか援助や協力もしていかなくてはいけない。
自分の靴が汚れているから、「キレイにしなきゃなぁ」とも思えない人に人の事なんて言えないし注意だってできないだろう。

という“物の見方”の話なんだと思うのである。


それでいうと僕は他人の「スニーカーの汚れ」とか、実はよく見ている。
靴の汚れ具合で人の生活が見えてくるというのは本当なのかもしれないぞ。
僕にはまだ、人の生活は見えてこないけどさ。

実はスニーカーの汚れもおもしろい。おもしろいという言い方もどうかと思うけどさ。
たとえば、スニーカーが汚れていると全然モテない。
僕は以前、何でもかんでも汚れたままでもいいから、長く使う事はいい事だと思って、汚れたスニーカーを自分のステータスだと思って生活していたが、ふと気づいたのは、電車の中で“女性が全く隣に座ろうとしない”のである。おそらくパッと見た感じの”汚さ”を見て隣に座りたがらなかったんだと思うのである。

あとは、女性は汚れた靴だと「ナンパされやすい」という事実があるんだそうな。自分の事も世話できない人は性生活もテキトーな価値観を持った人が多いんだとか。という経験から、ナンパ師は汚れた靴を狙うという話を聞いた事がある。(ちゃんとキレイな女の子を狙う人だっているけどね)


という豆知識もあるくらいに、靴の汚れは生活にも直結しているのである。


また違う「ネグレクト」の話があるので、それはまた次にでも。

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