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癒しを求める理由

お昼のテレビを見ていると、“癒しがなんだ”とよく言っています。

癒し効果だとか、癒されますね〜とか言ってて、よくわからないままにボーっとテレビを見ていたのです。

そもそも何?癒されるって何なの?とそう思いました。


何をそんなにカッカカッカした生活してて、どんな何に癒されるという感覚があると言うんでしょう?
ちょっと、そこんところがよくわかりません。

気持ちいいとか快感とか、爽快だとか、スカッとしたという感覚と何が違うんでしょうか?

僕の勝手なイメージだと、「癒される」というと、RPGなんかでダメージが回復した時の感じです。
となれば、「傷が癒える」と仮定して考えてみると、普段の生活をただただこなしているだけのひとでも、どこか傷ついているとでも言うんでしょうか?(そんなこと言うと、普段家で家事をこなしている方を敵に回してしまいますね)


ちょっとだけ一歩引いて考えますよ。
「普段家で家事をこなしている方を敵に回してしまいます」って何?何なのでしょうか?
家にいると疲れも傷つきもしないだろうと思っているから、たぶん反感を買うんだろうなと、なぜわかるのでしょうか?
「反感を買う」というのは、気持ちがわかっていないからです。
これはちょっと考える必要がありませんかね?


家の中の面倒な事について考えます。
自分の面倒を見るのってかなりめんどくさくてひとり暮らしだと、何でもかんでもほったらかしになりがちです。
僕の部屋もお世辞にも綺麗だとは言えませんし、片付いているとも言えません。

ただ、やらなきゃいけない最低限のことはやっていますよ。
洗濯とかね。体洗うとか、歯磨きとか、髪を切るとか。
そう、ほんと最低限の清潔感は保つように決めています。

だからそれをやることに、すごく疲れ切ってしまったり、イライラして機嫌悪くなってしまったり、それこそ傷つくなんてことは全くもってありません。

そう、普段家にいて家事をしている方はそれとは違うんでしょうか?
自分以外のひとのお皿や洗濯物があると、お掃除しなきゃいけないところがあると、なるんでしょうか?イライラして機嫌悪くなるの?
そうなの?


ちょっと考えます…。

(約1分)


なんとなく自分なりに結論が出たんですが、こういうことでしょうか。
たとえば、ひとり暮らししていると、生活面での疎かにしている部分があって、家に帰るたびにそこからストレスを受けています。

・掃除していなくて、部屋の隅にホコリが溜まっている
・お風呂の排水溝に溜まった髪の毛
・エベレストのような洗濯物
・洗っていないお皿とお箸
・朝捨てられなかったゴミ袋
・雨の日に汚してしまった靴
・玄関の砂や土の汚れ
・アイロンのかけてないカッターシャツ
・先週買ったんだけど開けてないユニクロの袋
・スーパーのビニール袋の山
・干してなくてやや重たくなっている寝具(ちなみに、この重さはダニの重さなんだとか…汗)
・請求書、国民年金、健康保険、その他の封筒が、山脈になっている
・積読と定期的に買っている雑誌のお山

そんなようなところでしょうか。
つまり、これ全部を片付けないといけないんですよね。「お家にいる」って大変です。


あー、これは疲れますね。会社の事務並みに仕事があるのかもしれません。
ひと一人生きているだけでこれだけの面倒なお仕事があるのに、自分の分も含めていろいろ処理していかないといけないのです。

それは疲れますね。傷つくと言っても過言ではありません。
何というか、内面的に傷つきます。
だってやれどもやれども、特にボーナスや給料が生じるわけではありませんからね。
それ相応の「成果」としての「ご褒美」が得られないのですね。それは困ります。
本当ならお金貰いたいところですよね。
だって本当に家庭のことができなくて、お金を出してそれを処理してもらうひとだっているんですからね。


それで。
仕事から帰ってくるひとは、助かりますね。
家は綺麗だし、面倒なことは片付いていますからね。
つまり、“このひとは癒される”わけですが、家事をしている側(大半が奥様)は何か別の癒しが必要なんだと、そういうわけなんですね。


不思議ですね、「癒し」というのは、自分で綺麗にした「場所(家)」ではあんまり感じられないのです。
自分で綺麗にした「物(家具や服や靴など)」でもそれは同じで、あんまりそこから癒しは感じにくいんですね。

だから、やってもらうとかやってくれるという癒し、カワイイとかやわらかいんだとか、フワフワしているんだとか、美味しいとかスッキリするんだ深く寝られるんだ、あったかいんだ、という数々の「特別にやってもらおう」という事が癒しになるんですね!


そうなんですよ。
お家にいると、綺麗に保たれているのは言ってみれば「普通」な事だから、それ以上のちょっとした贅沢が家にいると欲しくなると、そういった事なんだと思うのですね。なるほど!
そりゃそうだ、たまには贅沢したいし、美味しい料理も食べたい!外食だってしたい!雑貨屋さんだって行きたい!のです。

人間って不思議なもので、何をやるにも「何かしらの効果や成果や反響」なんかを気にしているんですよね。
様々なひとの要求に応えるとどうなるのか?というのが時代の流れでもあるのかもしれませんね。面白いですね。

ひとの要求を考えてみよう、これからの僕は。

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