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『たまには伝え方を変えてみる』

少しだけ、反社会的な考えを作文します。Twitterとかだったら、火事になるのでしょうか?どうなんだろう。
いや、それは言い過ぎかな。大したことないでしょう。きっと。


僕は今居酒屋のキッチンで働いているのですが、以前は二足の草鞋を履いていました。午前中からスポーツジムに勤めて、それが終わってから居酒屋に行っていました。今は辞めて居酒屋にいるのですが、あまりにもスポーツジムが面白くない(ストレスたまる)ので辞めてしまいました。
それでも、それは僕の個人的な目線での“面白くない”なので、他に働いている方にとっては良いのかもしれないし、お客さんも良いスポーツジムだと思っているのかもしれません。

水泳の指導

スポーツジムと言っても、僕がやりたかったのは水泳の指導で、主にこどもに対して、こどもを相手として仕事がしたかったんですね。
こども相手だとイライラすることもありますが、そういう時はおとなである自分の指導の悪さ故にこども達は暴れだすのです。自分の失敗がわかりやすい、反省しやすいという利点があると思っています。

しかし、いちばんイライラすることがあるのはやはりオトナが理由です。自分に対して攻撃されているなら、幾分か「負けるもんか!」と対抗心やライバル心が出てきて、俄然やる気が出るところなんですけど、そうじゃないんですね。
どちらかというと、僕はショックを受けていました。仕事をしていて辛かったです。

伝える

スポーツの指導は難しいです。特に水泳の動きは、泳いでいるひと本人が、自分の動きを「見られない」ので正しく美しい動きをしているのかわからないのです。そこをできているかどうかをちゃんとお伝えしなくてはいけないのです。
こどもでもオトナでもその点は変わりません。

運動を実際にやっていて、こどもの頃に習ったんだとか、ずっとそれに従事してきたんだという方は有利かと言えば、実はそうでもありません。自分が実際にプレイするのと、外から見て指導するのでは全く違います。ただ、練習強度を知っているので、この練習はすごく大変かも?と予測がし易かったり、どれほどの時間がかかるのか計算しやすい、何の練習になるのか理解しやすい(ココがいちばん重要)のです。

相手の事を考えてみる

実を言うと、僕は水泳を習ったことはありませんし、たくさん泳ぐこともできません。学生の頃は陸上部で、泳ぐ体力よりも、長く走る方が優れているでしょう。

しかしそれは、僕から言わせると以前経験したことがあるというだけなのです。
もちろん、経験は大切です。僕もコーチをしていて「なぜ水泳をやって育たなかったんだろう?」と思ったことが何度もありました。羨ましかったですし、水泳に関しての体力があるのは良いなぁと思っていました。(練習すれば体力が付くんだけど、わりと綺麗な泳ぎを身につけたら満足してしまいました。)

それでも僕は、お客さんやこども達に定評がありました。(たぶん)その証拠にというのも変ですが、「僕のクラスだったら入りたい」という方もおられるほどだったのです。
じゃあ、教えるのに何が重要なのかと言うと、僕が教える時に意識していたのは…

「理解しやすい言葉」を使って指導する事でした。


たまに、経験豊かなコーチでおられるのが、「専門用語を連発するばかりで、全く内容が伝わらない」という方です。僕も何年かコーチを経験してなおかつ、他のコーチの様子なども見聞きして導き出した答えがそうでした。もし、運動を習っていてわからない言葉や言い回しが難しいなら、正直に、「わからない」と伝えて、先生に違う言葉や言い回しで説明させてみましょう。いくらか伝わってくるかもしれません。わからないままでいると、本当に良くないのです。

伝え方を考えてみる

オトナには伝わるけど、専門的な知識が無くて伝わらないなら意味がありませんし、こどもはそもそも言語どころかただの音のように聞こえているのかもしれません。
おじいちゃんやおばあちゃんのような年配者であれば、敬うのもそうですし、練習がキツイのかどうかとか、身体の痛いところや年齢ゆえに縮まった可動域なども配慮して声をかけなければいけないのです。

いつも同じ自分の言語で話しているといつまで経っても伝わりません。相手の立場に自分がなるのは何よりも難しいですが、相手の立場を知って同じ高さに立つのは、「なんとなくできる」ものです。
そのなんとなくが重要だったりします。


評価の悪いコーチはそういうことができません、自分を低くしてこども目線で話すということが恥ずかしくてできないのです。
こども目線で話すのは、物理的に身を低くするのではありません。それも重要なことではありますが、わかり易く言うなら、「こどもの使う言葉で説明する」のです。

やめてほしい

悪いコーチは、言葉が伝わっていないことに気づいていません。なんなら声量も小さくて、話す言葉が耳にすら入らない事もしばしばです。伝わらないなら、こどもはする事(練習内容)すらも間違えてきます。間違えるとどうするか?
コーチは自分が悪いとは思っていないので、「なんでできないの!」と怒りだします。理不尽ですよね…。

(ちなみに僕が仕事を辞めた理由はココでした。厳しい、乱暴な言葉を使ったり態度を表したりするコーチの指導を会社側がやらないので、自分もココで働いていて成長しないだろうなと感じたのです。せん越にも、自分が変えてやろうかといくらか会社側に訴えてみたのですが、伝わりませんでした。)

少し落ち着いて、もう一度。
もう少しゆっくり大きな声で、もう一度。
それでも間違えるなら、もっとゆっくりもう一度。

言えばいいのですよね。

何も怒ることはないのですよ。
わかる言葉で、わかる仕方で、わかる声量で、わかるように話せば、伝わらないなんてことはないのです。

ちょっとマズイこと言いますが、もしそれでもイライラして怒っちゃうのであれば…

社会的にヤバイ薬でも使って温厚に、冷静になって自分を見つめれば?

なんて思っちゃいます。
怒っても伝わらないなら伝わらないのです。伝える方法として怒ってはいけません。相手が弱者(こども、老人、部下、障害者など…)だからって、大声張り上げて怒鳴ったり、イジワルや嫌がらせとかしちゃいけないんです。そういうことするなら◯麻やコ◯インや◯リファナでもしたらどうなんでしょう?いくらかストレス発散になるし、温厚にも陽気にもなれます。そういう事です。

怒ります

じゃあ、いつ怒るのか?
僕が教えられたのと、自分で思ったことは、「自分自身と周りのみんなが危ないとき」です。
怪我をしそうだとか、傷つけて泣かせてしまうとか、そういう時です。
それは、自分の事でも同じです。家族や友人が、もしもそういう選択肢を選ぼうとしている、してしまった。そんなときは僕も怒ってしまいます。
もちろん。
危ない薬をやるのも、自分を傷つける行為です。やっちゃいけない事なんです。

だからですよ。
怒ることなんてないのです。

大切な事はもう一度。これからの僕は。

気軽に読んでいただきたいので、ひとつひとつの記事に値段は付ていません。靴磨きや仕事のお手伝いなどを投げ銭でやってみると、様々な方が僕の仕事にいろいろな価値をつけて下さってすごく助かります。僕の記事にもあなたの価値をつけていただけると嬉しいです。