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環境や境遇関係なしに頑張る悟空

ドラゴンボールの悟空に憧れて、悟空の良さについて考えている。



前回は「意思を貫く」というところについて考えてみた。

「強くなりたい」という気持ちと、ただただ「武道が好き」だということにおいてひたすらになって生きている悟空。
師匠からの助言は大きく受け止めて、その他のことに関してはたぶらかされるところを見たことはない。


たとえば、悟空が出会う女性は“美人”が多い。(漫画なんてそんなものか)
ギャグ漫画ゆえにそういった女性によだれを垂らす人も少なくはないが、悟空はそういった美女にも見向きもしない。
もちろん好き嫌いが人間にはあるのだけど、そもそもそういうことの良し悪しには悟空は興味がないのだろう。
容姿が良い悪いで人の良し悪しも評価しないのも、意思を貫くというところに起因しているのではないだろうか。悟空は異性にうつつを抜かされなかった。


そして次は“お金”だ。
人間には欲がある。欲があると出てくるのは、より多くの物を持ちたいとか、いろんなことをしたい様々な場所に行ってみたいといういろいろな分野に関しての欲が出てきて、多くの場合それらを得るためにお金を必要とする場合がほとんどだ。

しかし悟空の生活はほとんどお金がかからない。もしかするとお金を使って何か購入したことはないんじゃないかってくらいに、生活するのにお金を必要としていない。


でも、めちゃくちゃご飯を食べるじゃないかって?

いや、実はそんなこともないと思う。
ブルマと最初に出会った時は自分の体の4〜6倍もあるような魚を取って食べようとしていたし、その日の晩は、自分で狩りをして食事をしていたが、どこかで取ってきたオオカミとムカデを食べていた。
一般の人はそれほど食べはしないので、普通の人よりも大食らいなのはわかる。
しかし、取ってきた魚もブルマに「ご馳走してやる」と言っている。自分の食事から分け与えようという気持ちもあるし、“自分の食事が減ってしまう”ということにも特に気にしてはいないようだ。それで満足できるということである。

この時ブルマ(女性)とは初めて会うと言っていたし、おそらく悟空が住んでいたパオズ山には悟空以外の人が住んでいないのだろう。自分のじいちゃん(孫悟飯)以外の人間に会うのはこの時が初めてだった。
ということはだ、もしかするとブルマもかなりの大食らいなのかもしれないと考えたりもできる。それなのに自分の魚でご馳走してやるという心意気を見せるのは、幾分か自分の食事が減ってしまっても大丈夫だと考えているからなのかもしれない。(推測でしかないが)


ただ、その後の描写にはとんでもない量の食事をするシーンがあるが、必ずしもそれだけ必要とはしていない(満腹になることを目的としてはいない)ようである。

つまり、やりようによっては自分が取ってきた獲物だけの食事でなんとか生きることはできるということだ。そう考えるなら食事代だってそこまでかからないと見ていいのではないだろうか?(腹が減ったらその辺の生き物を食べたらいいってこと)


つまり、悟空の場合いろんな意味で“欲が少ない”。それゆえに武道に関して気持ちが向くんじゃないかな?なんて考えた。
自分の意思を貫くのにも、外からいろんな誘惑がやってきて、その道から外らせようとするが、欲が少ないゆえに武道に気持ちが向くのも当然の事なんじゃないかって思うのである。



今回は、「可能性を信じる」という事について考えてみる。

この世界は才能に溢れる人とそうでない人がいるものだ。才能がある人を見ると「自分なんて…」と思ってしまうが、その気持ちもわかる。

しかし、いろんな事をやってみるとわかるのだが、才能とは案外と簡単に見つけられるものなのかもしれない。いろんなことをやってみるとわかる。

それに家系とか家柄、それにお金持ちの家庭に生まれたかどうかなんて一切関係ないのかもしれない。

もちろんここで考えて必ずと言っていいほど出てしまうのが家系や種族の話で、悟空はサイヤ人だから強くて当たり前だったのかもしれないが、その中でもベジータが言うようにエリートとそうでない下級戦士という階級に分かれていたのだということだ。

ベジータが言うに悟空は下級戦士で、基本的な強さは持っていないのだそうだ。へ?そうなの?めちゃくちゃ強いけど…。


ただ、悟空はそういったことは全く気にしていなかったということについて考えようと思う。


じゃあ、単刀直入に考えよう。
人には才能があるかないか、そして、家柄などが影響して物事を学んだり、素直に取り組んだりする事に影響するかどうか?と考えると。僕が思うにそれは『確かにある』と思う。(偏見だけど)


僕も一応水泳の先生の端くれではあるが、数々の子どもたちを見ているとわかるのが、上記にも挙げたように…。

・遺伝的に体を動かすのがうまい
・人の話をちゃんと聞ける
・感が良い、身体能力が高い
・お金持ち(家柄)
・学ぶ意欲がある

こういった点において、随分と上達するかそうでないかと分かれていくのだ。
まずは「遺伝的に体を動かすのが上手い」という点。

これはもう何も言うことはない。走るのが速い人がクラスに1〜5人いただろう。それと同じことである。
特に何か特別な特訓をしたわけでもないのに足の速い子がいるのと同じように、運動に関して優れた能力を発揮する子が何人かにひとりは必ずいる。それだ。

その次、「人の話がちゃんと聞ける」かどうか。
練習内容を聞いていない子は練習の趣旨や要点などを一向に理解しない。つまり何を頑張ればいいのかよくわからなくて成長しなくてやけくそになってしまう可能性が非常に高い。注意してもそれが直らない子は、逆に人の話をちゃんと聞かないという才能があるんだと思う。

はい次。
感が良い子。遺伝的に運動ができる子に近いものがあるが、人の体の動きなどを見ていてもすぐにマネできる子なんかがこれに当たる。
魔人ブウの最終形態もそんなところがあった。人の戦いを見てすぐに技などをマネできる、言うなれば天才だ(天才は魔人ブウの場合)。すぐにかめはめはを撃てた悟空もこれに近いだろう。

その次、お金持ち
この点は偏見でしかないが、お金持ちの子はいろんな習い事をしているのと、週に2回程(つまり普通の子の倍)習いに来ている。
僕なんか、習い事なんてひとつもしていなかった。字も絵も習ったことはなく、ほとんど自分の才能(持ち合わせの能力)でやる事しかできない。いろんな事を習えるというのは非常に家柄に恵まれているとも言えるのかもしれない。
ちなみに人の2倍練習したり習い事をすると、成長具合も半端ない。かなり上達スピードはアップする!

最後、学ぶ意欲があるかどうか(好奇心がある)。
学ぶ意欲がある子は先生に直接要点やポイントなどを聞ける純粋さを持っている。こういう子も何人かにひとりは必ずいるものだ。


以上の点において、1つのことを学ぶのに関して、才能や恵まれた環境にいるかどうかということを見る事ができるが、これら全てに該当する人というのはもちろん多くない。しかしどれか1つでも該当しているとレベルアップする速度はグンと高いものになっている。(数値化しているわけではないが)


ベジータなんかはエリートゆえに、戦いも、そしておそらく勉強もたくさんしてきたのだと思うのだ。こどもの頃からフリーザに仕えて仕事しているシーンもたくさんあったし、随分歳上のナッパよりかなり頭はキレる。(実際にキレっぽいナッパを一喝して行動を抑制する事が何度かあった。その場の判断力や冷静に答えを出すのに相手の言動や今置かれている状況から感情的にならないのは賢い選択だと思う。)

ナッパに関して言えば、ベジータと行動を共にしている理由は何なのかよくわからないし下級戦士かどうかと言及しているシーンは無いのでわからないが、悟空が下級戦士の階級なのに相当の強さを持っていたことに関してかなり動揺していた事から、彼もエリート階級なのだろう。

しかし、そんなエリート階級で歳上にも関わらず、ベジータの手のひらで転がされているところを見ると、ナッパもその遺伝的強さを生かせなかった人物に当たるのではないだろうか。
もしも、真面目にトレーニングをしたりエリート階級に思い上がった気持ちを持たなかったら、もっともっと強くなっていただろうに…。
その点ベジータは幼少期からトレーニングに熱心だったシーンがあり、強くなる事に真面目だった行動が見られる。単なるプライドだけ高いわけでなく、実際に強かったし強くなろうと頑張っていたと考えられるわけだな。


そして悟空はというと。実はベジータよりもかなり弱い、と僕は見ている。

界王様のところから帰還してベジータと戦ったわけだが、悟空は通常時の戦闘力ではベジータに及ばず、界王拳を使わないとその戦いにはついていけなかった。
ちょっと無理をして体がボロボロになるのを覚悟した上で界王拳を使わないとベジータの強さには追いつかなかったのだ。
つまりこの時点で才能の差がかなり出ているわけだ。

悟空が界王拳を使えるのだったら、ベジータだって界王拳をマスターできるに違いない。(界王様と仲良くなれるかどうかは謎だけど…)
じゃあ、もしもベジータが界王拳を使えたのなら、ドラゴンボールのストーリーはどうなっていただろうか。もしもベジータが界王拳を使えたならと考えると、かなりベジータは強くなるに違いなく、悟空の立場が危うい。


悟空はフリーザといくらか対等に戦うシーンもあったが、それも界王拳を使っていたからである。
それに比べてベジータはというと、界王拳を使わなくともいくらかフリーザと戦えていたシーンがあった。フリーザ変身前とか。

やはりこの点においても悟空は通常時でベジータの戦闘力を上回ることはできていたのかという点も僕はちょっと謎に思っている。
ただ、だからといって悟空には才能が無いかというとそんなことはない。



長くなったが、この話の要点はここ。


悟空の良い点は、”才能があるかどうか”や、”良い環境かどうか”と人と比べて「学ぶ環境」や「才能」などを全く気にしない性格をしていたという点なのだ。



どんなに相手が強かろうが、こっちも強くなればいい。
それだけの単純な話なのであり、どれだけ才能があって良い環境に生まれたとしても、自分がそれを生かそうと思わなければ、全て水の泡と化す。

才能なんて羨ましいと思ったって仕方ない。
やるか、やらないか。
それだけなんだと思うのだ。


悟空は才能とか生まれた環境、家柄なんて気にしていなかった。
ピッコロやベジータが強いからって、自分は諦めなかったのである。

目指すところがどんなにか上だったなら、そしてもしも自分に才能が無いと思うなら、違う方法で追いつけばいい。と悟空はそう思うはずだ。




ああー
悟空はいいなぁーー!

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二ノ宮金三郎
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