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1年の価値をどう見る?

何秒にひとりが……。何個売れている…。という表現がある。

総合の数を数えて、ひとの数と時間で割ったりして計算したのかな、ハンバーガーの売れ行きとか病気とか飢餓で何人が亡くなっているんだとかの計算で使われる表現だ。
コレってこどもの頃から聞いていたけど、ほんとに何秒間かに何人かが亡くなっているのかと思ってすごく怖いと思った事がある。
つまりこの「何秒にいくつ」という表現が小さな少年にもわかるような理解しやすいものだということだろう。

その時は“自分が何事もなく生きていられることに感謝をしてほしい”と誰かオトナのひとが説明してくれたのだけど、僕が考えている事は違った。そうやって何秒かにひとり、自分と同じようなこどもが亡くなっているのがわかっていながら、なぜ誰も対処しようとしないのかが謎で、そこに恐怖とか焦ったい思いをしていたように思う。

そう、ついこないだのような毎年年末に、自分の成長具合ややり遂げたこと、やろうと思っていたことができなかったことにガッカリしてしまうような、そんな気持ちと似ている。


そこで思った。
よく年齢を1日の時間と照らし合わせて、「君の歳はまだ、夜が明けてもいない」とかなんとか言って、“まだまだこれから”という気持ちにさせてくれる考えを与えられたりするのだけど、僕の場合はもうちょっとシビアに考えてみたのだ。


たとえば、1年を80年として考える。


1年のうち1度だけ自分の歳が増える日がある。そういう時に度々落ち込んだりすることがあるでしょ。
「また何もしないで1年過ぎた。」
なんて声を聞く。

それを応用してみる。
1年を80で、つまりひとがひとりお年寄りになる数で割ってみると「4.5」となる。
ちょっと計算しにくいので「4」にしようかな。まぁどっちでもいいのだけど、そうなると…そう。4日で1歳、歳をとるという計算になるな。

40日経つと10歳だ。早い。
そうやって考えると、4日経つのが嫌になるかもしれないけど、4日間をちょっとだけ大切にできる?…ような気がする。


んー…
あんまり面白くないかな。
でも季節感もなんとなく歳にリンクする感じもあるし、考え方としてはひとつ有りなのかも。

1年をちょっとだけ大事に考える、これからの僕は。

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