見出し画像

「詫」救世主のみなさんへ「寂」

▼はじめに

日本人とはなんでしょうか?
巷では
「日本人はすごい」、
「日本人はしょうもない」、
様々な声が溢れていますね。

しかし、
「日本人とは何か?」
この問いに応えられる方がどれほどいるでしょうか。
何かわからないのに「すごい」だとか「しょうもない」だとか言うのもどうなのでしょうね。

ズバリ言います
「日本人とは救世主」です。
その理由をこれからお伝えしていきます。
そしてこの記事であなたに問いたいことを先に提示させていただきます。
それは、

「あなたはまだ日本人でいられていますか?」

ということです。

それでは本題に入りましょう。

▼本題

まず、救世主とは何かを提示します。
それは
「人間という種を存続させる存在です」
あなたは人間が絶滅危惧種になっていることに気づいていますか?
それは人々が「合理性」や「効率」、「タイムパフォーマンス」に傾倒するからです。

それらの行き着く先は

「AI」

真に「合理性」や「効率」、「タイムパフォーマンス」を成すのであれば一番に邪魔なのは人間性です。
後々、人々は全ての選択をAIに任せるようになります。
そんなことはありえない?
分野によっては大学の卒業論文はチャットGPTで書かれたものが散乱してしますよ。
戦争だってAIが搭載された武器が使われているのですよ。
そもそも今のあなたの思考だって、AIがオススメする記事や動画、商品で成り立っているのではないですか?

10年前、20年前、まだAIという言葉を聞いたことがなかったころを思い返してください。

ここまでAIが生活に浸透すると思っていましたか?

そして、10年後、20年後を想像してみてください。今現在が第四次産業革命と呼ばれていることを踏まえればAIの成長はさらに加速度を増していくことが予測されます。

あなたもきっとAIに飲み込まれているはずです。

それが人類全体にまで広がってしまったら。

多様性

以下の記事で多様性について触れました。

様々な環境の変化でも対応できるよう、種を存続させるために個体差を生じさせた。
多様性とは種を存続させるもの。
そういった内容です。

そのため個体差や生き方のバリエーションが少ないと変化に対応できず種の絶滅の可能性が上がってしまうのです。

AIの選択に沿って生きる人間のみの世界になったとしましょう。
上記の多様性の原則からすれば人間の存続が脆弱性にさらされている、といえます。

ですから、多くの人々がAIの選択に全betするようになったとしても、例えわずかでもそうでない人々を残し、種を存続させる必要があるのです。

それは必然的に「合理主義」、「効率」、「タイムパフォーマンス」等々を価値基準としない人々ということになります。

つまり「非合理性の極地」にいるもの。

例を挙げます

「たとえ損をするとわかっていても動かずにいられない」

「危険とわかっていても、死ぬとわかっていても名誉を重んずる」

「不完全さ、未熟さを美しいと感じる」

「朽ちていくこと、老いること、傷すらも愛おしいと感じる」

「深いまどろみの中で自然や宇宙と一体となるような、太陽に溶けていくような、木々が語りかけてくるような感覚」

「遠回りの連続の果てに元の位置に戻り、それでも確かに始まりとは違う自分になっている、という救い」

「名前も知らない見ず知らずの人の幸せを願う」

言い換えるなら

「情念」

「武士道」

「詫び」

「寂び」

「瞑想」

「悟り」

「祈り」


日本人のことですよ。

日本人とは「非合理性の極地に至る素養」を持つものです。

その素養は日本人に遺伝子レベルで刻まれており、矛盾と葛藤の中で育ちます。

また、日本の「島国」、「四季」、「災害大国」、などの地理的条件もその素養を育てるのに非常に適しています。

この素養について触れていきましょう。

▼非合理性の極地に至る素養


この素養は葛藤と矛盾の中で育つと先に指摘しました。このことについて触れていきましょう。

下記での動画で紹介されているのは「菊と刀」。第二次世界大戦中にアメリカが行った日本人の民族性の調査になります。

日本人の中にある「恥」の概念。
己の中に、よく言えば「美学」、悪く言えば「固定観念」といえるものがあり、それを汚してしまうこと、汚されることを異様に恐れる。
また、恥をかくことを恐れるあまり空気を読み、同調圧力も生じる。
そのため世間一般の道徳基準や常識に反することを異様に嫌う。
こういった内容が紹介されています。

一方でそういった「恥」の概念を嫌い、脱したいという感性も多くの日本人の中にはあるはずです。
その結果、己の中で「葛藤」が生まれるのです。
世間の常識に従っていれば「恥」をかくことはない。
しかし、それは自分の人生といえるのだろうか。
「恥」をかかないために生きていく人生でよいのだろうか。
それを生きているといえるのだろうか…

答えはそれぞれです。
重要なのはその「葛藤」です。
ここでお伝えしておきたいのは日本人にとって「恥」というものは単なる気の持ちようではなく、遺伝子で刻まれている避けようのない宿命といえるものである、ということです。
この遺伝子を「恐怖遺伝子」と呼びます。

活発で元気だった女の子がある時期を境に急に恥ずかしがり屋になったり、赤面症になったり。これも恐怖遺伝子が起こしています。

一概に全ての日本人にいえるわけではありませんが、日本人にとって「恥」を克服する、というのは遺伝子の呪縛を超える、ということと同義なのです。
日本人が「人生」を満喫しようとすること、己という存在を主張していこうとすることはそれほどまでの「葛藤」を要求される、ということです。

遺伝子により生じる「世間」と「自分」の葛藤。
一方「菊と刀」では日本人の人生曲線から生じる葛藤にも触れています。
日本人の幼年期は可愛がられ「甘えん坊な自分」が生じますが、義務教育期間に至るとこれまでの周囲からの扱いが一転。
「周囲に馴染まなければ追いやられる」という感覚が生じるのです。
このことからも「甘えん坊な自分」と「空気を読む自分」の葛藤も生じるのです。

そういった葛藤の先に至る答えはそれぞれです。
「菊と刀」ではその葛藤の先に至った日本人の例を以下のように示されています。

「非常に憶病な性格だがある日突然思い切った行動をする」

「物腰が柔らかく従順な性格を表に見せながらも納得のいかないことには絶対に従わない」

わかりますか?「非合理主義人間」ができあがっています。
もう一度言いますが大事なことは「葛藤」です。
そして、その葛藤を生み出すのは自己の内面の矛盾、自己と世間との間の矛盾、様々な矛盾。その中でもがき苦しむ果てに至る境地が「非合理主義」。
情念、武士道、侘び、寂び、瞑想、悟り、祈り、といったものです。

▼非合理主義を育む風土

上記のような境地に至ることを日本の風土は助けてくれます。
海流が激しい島国であることは私達に外敵からのジェノサイドが起こりにくい平和な生活を与えました。一方で日本人というのは戦闘民族でもあります。鎌倉武士について調べてみると分かりやすいと思います。仏教の非殺生を学びながらも殺しを手柄や名誉とした者たち。日本人はそもそもそういう気質を持っています。しかし、島国の穏やかさはその気質を許しません。己が闘争本能と地理的な平和が葛藤を与えてくれるのです。

わかりやすいので例として「進撃の巨人」の主人公、エレン・イェーガーを思い浮かべていただければと思います。


あれは正に日本を描いたお話しです。

また、四季の変化や自然災害は同じ習慣を続けていたら生きてはいけないことを日本人に突きつけてきました。

恐怖遺伝子により日本人は同じ行動をとりたがります。しかし、自然はそれを許してはくれないのです。見方によれば自然が日本人に行動を促してくれるのです。

つまり日本の風土・自然というのは外敵からの侵略から日本人をある程度守りつつ、葛藤を与え、行動を促す、という日本人に非常に最適な条件なのです。    

▼結論

私が主張したいのは以下のことになります。

・AIの出現により人間は選択を自らでしなくなる。

・全ての人間がAIの選択で生きるようになった場合、多様性の観点から見れば絶滅の危機にあると言える。

・故にAIの合理的な選択基準に価値を置かない、非合理主義な存在が必要になる。

・非合理主義の素養を持つのは日本人。

・故に日本人は種の保存の観点から見て救世主である。

そして上記の「日本人が救世主」であるための「非合理主義」に至る条件、
様々な「矛盾」に対する「葛藤」

そこで最初の質問に戻ります。

「あなたはまだ日本人でいれていますか?」

つまり、情念や武士道、詫び、寂び、瞑想、悟り、祈り、といったものを知識でなく感覚や心で、骨の髄で理解できていますか?
それが理解できていないとしても、そこに至るための葛藤や矛盾に真剣に向き合うことをしていますか?

もし、そうでないとするなら、あなたの未来は日本人ではなく、AIの劣化版です。

酷いことを言いますが、それならAIでいいのでこの世界にはいらないのです。
それは誰に言われるでもなく、自分でそう判断してこの世界から去っていくのです。
どこに?
メタバースにです。
(地獄)
この世界で輝くことを諦めた罪により堕ちるのです。

(あなたは天才という存在を理解できていますか?
本当の天才とは1000年先、2000年先を見るモノたちです。地獄という概念をつくったモノたち。概念さえつくってしまえば人間は自らそれを実在化させることを知っていたモノ達。私の言うことが理解できますか?)


三島由紀夫は全共闘との論議の中で、自分は根っからの日本人であること。そしてそれでいいのだ、と言いました。

吉田松陰はやむにやまれぬ事情があってもそうしてしまうのは自分が日本人であるから、と言いました。

そう、それらが日本人の「情念」です。
葛藤から逃げない選択をとり続けていればあなたの遺伝子と日本の風土はそういった美学にあなたを到達させているはずなのですよ?

あなたは何のために日本人として生まれてきましたか?
その問いに対して葛藤してください。


ー 純粋無垢と複雑さの狭間で


ー 嘘と真実の狭間で


ー 愛と支配の狭間で


ー 自己犠牲とはなにか?


ー 武士道とはなにか?



非合理主義という境地に至るのです。
あなたが生まれた意味に至るのです。
そのために真剣に葛藤をしてください。
それがあなたの存在意義であることを認識するのです。

あなたが未来で日本人であることを

私が未来で日本人であることを祈って

「救世主に幸あれ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?