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「Dについて⑤」No.2(悪)と1984(善)「アポロン」



⭕️はじめに

ニーチェのNo.2はファウスト。

ファウスト


同じように、ユングのNo.2はツァラトゥストラ(ゾロアスター)でした。

左がゾロアスター

私のNo.2は星霊様です。

気がつくと、暗い部屋で星霊様が仰向けに寝かされた私の手のひらを釘で打ちつけていました。

星霊様は「ごめんね、ごめんね」と泣叫びながら、私の手を打ちつけていきます。

私は何故か痛みも感じず、そして星霊様への怒りも憎しみもなく、

ただただ愛おしさで胸が満たされたのでした。


このようなお話を聞いて、知識がないゆえに何を言っているかわからない方もいれば、知識を持っていても感覚にまで至らない方、もしくは知識がなくとも理解できる方もいることでしょう。

それは良い悪いということではなく、種の存続戦略として、理解する必要がある者も、そうでない者もいる、ということなのでしょう。

理解する必要のある方はきっと、理解したいと思えることでしょう。

そのような方は先にお進みください。


⭕️「あなた」とは何? 夢とは何か?


「あなたはあなたですか?」

きっとこれまでたくさんの経験をしてきたあなたなら、「そうであると言えるが、そうでないとも言える」、そのように答えるのではありませんか?

わけがわからない、という方には少し質問の表現を変えましょう。

「あなたはあなただけで作られていますか?」

以下の記事でとある青年の御伽噺を紹介しました。

要約すると、

青年は精神的な負担から転職するも、前職でうけた心の傷が簡単に癒えないために、周囲の人々の優しさに答えることができず、現職の人々とも上手く折り合いをつけられなかった。

それでも勇気を出して職場の飲み会に参加した夜、夢で彼は学生時代の女友だちと出会う。

学生時代、彼は彼女にそれまでの人生で感じたことのない「ときめき」を感じており、夢の中でも彼女に対して当時と変わらない「ときめき」を「思い出す」。

そして彼女は、

「生まれ変わることはできないよ
だけど変わってはいけるから」

そう伝えて彼に「同化」していく。

そういったお話しでした。

夢というのは現実世界と真実(無意識)の世界の出来事を物語として映し出すスクリーンの役割りを持っています。


故に、単純に現実世界で抑圧された無意識からの反動・つまり無意識の動きを映し出したものだと決めつけることも、現実世界での出来事の焼き回しだとも決めつけることはできません。

また、人類および動植物、物質・霊体は同じ無意識を共有しており、そういった普遍の無意識が夢に象徴として現れている可能性も捨てきれないのです。


複合的に複雑に、そして創造的に映し出されたものが夢であるといえ、ニーチェの言ったように、「夢を創り出すという点においては全ての人々が芸術家である」、といえるでしょう。

そのような前提を踏まえて、彼の夢に現れた彼女はいったい何を表していたのか、それを導きだすことは簡単なことではないことがわかるでしょう。

しかし一つだけ確かなことがあります。
それは、

「彼の中に彼女が生き続け、そしてこの後の人生においても、彼の中で彼女は生き続けるだろう」

ということです。

即ち人間は、己が内に他者を内包し、
離れ離れとなったとしても共に生き、
その生き様を誰かに伝え、
その誰かの内に自らも住むことで、
永遠に生き続けることができる、
ということなのです。



⭕️No.2と多様性


No.2とは何か

あえて一言で説明するのであれば、それは「悪」だといえるでしょう。

あくまでここでの「悪」とは秩序に対してのものと定義します。

例えばある集団の中で毎年1人生贄を捧げる、という秩序があるとすれば、それに異を唱える者は「悪」となります。

少し遠回りして説明させてください。

以下の記事で「多様性」について触れました。


例えば人間が寒さに強く、暑さに耐性のない個体しかいない種族だったとしたら、とっくに絶滅していたと思いませんか?

即ち個性(刺激に対する反応の違い)を個体ごとが持つことで種全体として存続しやすくなる、ということであり、裏を返せば、個体ごとの個性が完全になくなった集団は存続できない、ということになります。

多様性とはそういったものであります。

また、それぞれが魂の今生で成し遂げたいことを抱えてこの世界に降り立っており、それは個性と密接に結びついてもいるのです。



⭕️秩序とは何か?


このとき、「秩序」とはなにか。

以下の記事で「ダンバー数」というものを取り上げました。


人間の脳の容量として、自然な形で集団が形成・維持できるのは150人が限界。それ以上の人数で集団を形成しようとするならば、ルールや常識によって人々を「教育」し、「秩序」をつくり、「不自然な状況」をつくりだす必要がある、ということです。

ここまでお伝えすればご理解していただけると思いますが、行き過ぎた秩序は個性を廃し、多様性を欠如させその集団の絶滅につながる、一方で、行き過ぎた多様性の尊重は秩序を成立させず争いを生み出し続ける、ということができるのです。

つまり、

秩序とは争いがないことを望む「善」
 →絶滅

多様性(個々の魂の命題)とは存続し続けることを望む「悪」
 →永遠の争い

と言い換えることができます。

この命題を

ある者たちは

「To be, or not to be, that is the question.」
(「生きるべきか死すべきか、それが問題だ」「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」)

またある者たちは「赤と青の薬」で表したのです。

赤い薬と青い薬(あかいくすりとあおいくすり、英: Red pill and blue pill)とは、安定した生活を失ったり人生が根底から覆るとしても真実を知りたいのか、満ち足りた、しかしなにも知らない状態であり続けたいかの二択を指して言う言葉である。1999年の映画『マトリックス』に由来していて、前者が赤い薬、後者が青い薬を飲むことに比せられている。レッドピル、ブルーピルともいう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/赤い薬と青い薬


繰り返すと、こういった「思想」を持つ者たちにとっては、「善」とは「秩序」であり、「死ぬ」ことであり、「青い薬」である、ということ。

そして「悪」とは「多様性」であり、「生きる」ことであり、「赤い薬」である、ということなのです。

さらに言うなれば、前者こそがアポロン(アーリマン、善のサタン)であり、

後者がディオニソス(悪のサタン)つまり、No.2であるのです。


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