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離れ小島にいた話。

私は、無人島に住んでいる。

社会は、同学年の皆は、同僚は。

皆、コミュニティを広げていく。

それを、やるせない気持ちで砂浜から眺めていた。


「読みたいことを、書けばいい。」という本がある。

著者は電通コピーライターとして24年勤め、現在は「青年失業家」を自称。フリーランスでインターネット上で執筆活動をされている、田中泰延(たなか・ひろのぶ)さん。

その本の中に、こんな記述があった。

船が難破し、5歳の子どもが親や他の乗客と生き別れ、板切れに掴まり、無人島にたった一人で漂着した。彼は食料を探し、洞窟で暮らし、孤独の中で15年間生き延びた。
そうして20歳のとき、奇跡的にも通りかかった船に救助されるのだが、そのとき、彼は人々にこう言った。「みんなきいて! だいはっけんしたんだ。貝がらを並べて、ひとつ置いたり、ひとつ減らしたりすると、いろんなものの数をあらわすことができるんだ!」

これが、「無人島の大発見」という故事。

いま、わたしが作った。

引用:「読みたいことを、書けばいい。」 著者 田中泰延(たなか・ひろのぶ) 発行 ダイヤモンド社

……らしい。

これは、巨人の肩に乗ることについて書かれたものだ。


これはこの本、この例はライターの話。
だが、私の置かれている、もとい甘えてしまっていた過去のポジションに変換してみた。

つまり、組織にいるのに、その組織の制度を知らず、コピー機の使い方も知らず。「知らないので教えてください。教えていただきありがとうございます」「今更?」と呆れられていることを指す。

同期は、仕事をもらいに行き、頼られ、ニックネームを拝命する。
直属の上司と仲良くなり、色々教えてもらえている。

私はというと、一人、資格勉強などに充てている時間が多すぎた。

上司のほとんどが「自分でなんでも、そつなくやってしまう」方々で囲まれていた。

ありがたいことに、資格勉強など、自分の勉強には注力できた。
しかし、仕事には熱が湧かなくなってしまった。
日常と化したのは、今、目の前の仕事ではなく。
「労働時間中の自分磨き」。そればかり考えてしまった。

短い時間しかない中で、他人を考えていられなかった。
その仕事は、若者が育つ場所。私の学んできたことと違う配属先。
学生上がりの私は、
その職場での人間関係に悩んでいた。

ゆえに、自分磨きに没頭していた。
否、「自分磨き」と称するのも不適切なのかもしれない。

とてつもなく馬鹿だった。現状を打開することに消極的な、最低な人間だ。
勇気がなかった。目の前の人間関係から目を背け、自分の世界でしか物を考えられずにいた。

ゆえに、週報には業務が書かけることが全くと言っていいほどなく、電話応対ぐらい。あとは、「こんな記事で、こんな事を学んだ」とか。

その頃はnoteが、唯一、自分を社会と繋ぐ「学び」だった。

無人島でボーっとしていたら崖から落ちそうになり、ポツンと垂直の壁から顔を出す「note」という一本の枝にしがみついていた。

何とか這い上がっても、体力と時間を浪費しただけ。


私は雑務が主なので、基本的に口出しできないし、後輩に対しても勉学を見てやれない事情と立場にいた。

素人だったから。学んできたことが違う。どこから学べばいい。
……だからこそ、私は誰でもできる雑務を引き受け、教職員の負担を請け負う……そんな存在だ。と正当化しようとして。


そのポジションに自分から甘えていたのだ。
「週報に書きたいので、仕事もらえませんか?」と聞きに行けず、ズルズルと。

そう。私は、離れ小島にいた。

同期の多くが知っていることを、知らない状況に遭遇した。

すでに知っていなきゃならないこと。知られている対処法を、数か月経って今更学んでいる。遅れた人。

その団体に所属しているのに、私だけ孤独があった。

今思えば、惰眠をむさぼっていたようなものだと反省しているが。


先日、研修会があり、気づかされた。

無人島にいて、救助が来ない状況だった。
自分の力では、どうもできない。踏み出せない。
目の前の広大な海を渡りきるなんでできない。

でも、生還できたと、私は思う。
そして、社会に戻る決意を固めた。
これからはもっと自らコミュニケーションをとっていこう……と。

実は私、教職員をやっています。
読むだけだったnote。ですが考えを改め、しばらくして。
自分のために、戒めとして書き、公開しようと決めました。




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