本。

首が回らない。経済的に、という側面ではなく(時節柄フリーランスとしてはそれこそ、たいそう怖いのだが)どうも寝違えたようで、昨日から左を向けない。回らなくなって初めて、今まで傍若無人に首を回せていたのだなぁと、改めて気づく。仕方ないので、ギクシャクしながらできることをする。前さえ向ければ特に不自由はない。そう、前さえ向ければ。

ここ一週間、ブックカバーチャレンジという、好きな本の表紙画像を投稿するSNS企画に誘われFBで投稿をしていた。そのため、奥行き3重に詰まっていた本棚を久しぶりに崩し、本を物色した。7冊選ぶのがルールだそうだが、それではとてもおさまらない。引越しの際、かなりの本を売ったり、人にあげたりして残った精鋭たちの中から、さらに「本当に好きなもの」を選ばねばならなぬ。唸った結果の7冊(10冊になっちゃったけど)に共通するのは、今までに何度も何度も読み返していたもの。精神安定剤のように、それを開くことで折々の心をなんとなく「前へ」向かせてくれるものだった。

焦り、不安、悲しみ、怒り、諦め。

日々生まれるそうした心持ちは、なかなかに御し難い。人となんて比べてないさ、とうそぶいていても、やっぱり無意識のどこかで人と自分を比べて落ち込むものだし、世界に自分だけポツンと取り残されたような不安を感じることだってある。本当に落ちている時は、そもそも本なんて選べない。でも、ちょっと浮上した時に読める本はある。そういうラインナップのように、客観的に、見えた。同じ命題を下された人も、同じように選ぶのだろうか。きっとそこには人それぞれの歴史や物語や、世界に対する視点の基準点あるのだろうと思う。だから人の本棚や好きな本を知るのは面白い。覗き見だもんね。

本を読むことは一人でもできる。でも、それだけではやっぱり足りないなぁということもまた、こんな日々の中で発見し続けている。不自由になって知ることの方が多いのは、昨夜来の寝違えと同じかもしれない。首が回っていた頃の自由があたり前すぎたように。そしておそらく私はきちんと治って、とっととその違和感を忘れるのだろうと思う。

だからこそこの不自由を、ちゃんと覚えておかなきゃなぁと、思うのだ。写真は、そのチャレンジ最終日の一冊。これぞ言葉の力。死ぬ直前にも読めそうな本と出会うことは、とっても幸せなことではなかろうか。

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