あわい

以前、喜界島に取材に向かった時のことだ。鹿児島をたつ予定の飛行機は機体整備のためにかなり遅延し、数時間後にやっと離陸した。プロペラ機は、真っ青な空と雲の間を、バラバラと音を立てつつ南へ飛んでいる。

その数年前に鹿児島の知覧を訪れていたことを、機上で思い出していた。知覧は特攻隊の基地があった地で、記念館には零戦の機体や特攻兵の手紙が展示されてい、その中の慶應大学生だった兵士の方の手紙が、印象に残っていた。明日には出撃、という日にしたためられたその一葉には、内外の諸状況を鑑みて明らかにこの出撃は無意味だと悟りつつも空へ向かった、若いひとの思いが綴られていた。

そういえば、喜界島への進路は知覧から南洋へと向かう路---。そう思ったとき、窓の外の雲と空のあわいに、小さな機影が見えた。本当に、彼方で小さな翼が光った気がした。その時、片道分の油しか積まず「目的地」に向かう操縦者は一体、この青い中空で何を思っていたのだろうかと思い、するとバラバラと鳴るプロペラの音と振動を媒介のようにして、五感はどうしても、その操縦者の方へと傾いてゆく。やがて彼方の機影は消えたが私の動悸は増し、けれどきちんと整備された我が機体は何事もなく、喜界島の小さな空港へと着陸した。

簡易なコンベアーから預けた荷物を受け取りながら、空には見えない道があり、今もそこを飛ぶひとがいるのだろうなと思った。ひとというよりも、思いだろう。

旅の仕事をしていると、そういう「思い」に出くわすことが、たまにある。城下町や港町など舞台は様々だが、こちらが「知ろう」としていると「おぉ、知ってくれるか!」という感じのこともあれば、この時のように、なんの準備もなく不意に出くわすこともある。もちろん、機影は本当の機影だったかもしれないし、単なる幻影といってしまえばそれまでだ。けれどそのつど、媒体で仕事をしている仕事の意味を問い直す機会をもらう。見えないもの、聞こえない声を伝えることこそが、そもそも「媒体(メディア)」の使命だよなぁ、と。

世の中は、見えるものと見えないものが半々でできていると思う。どちらかが欠けてもいけないし、どちらかが大きくなりすぎてもいけない。両輪だ。伝えるべき言葉は、 そしてそのあわいにあるように思う。だから私は、800年の思いが染みた鎌倉という地に住みたかったんだなあと、なんだか後から納得している。

6 月。

雨が降ると、古い町はその湿気に助けられるように遠い記憶を土中深くからまちに吐き出し、今は見えないものの気配を、そこここに立ち登らせる気がする。


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