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【朔 #131】上りきると、広い湖の真ん中に立っていて

 今朝の夢。
 喫茶店で創作者の懇親会のような集まりに参加した。喫茶店は、ビルの中にありながら一階と二階とがある洒落た雰囲気で、私達はその二階を貸し切った。いかにも、といった人達が珈琲や紅茶を啜るなか、一人異様な女性を見かける。化粧の薄さが妙に相貌に幼さをあたえていて、黒を基調にした、パンクと言うのだろうか、とにかくあまりこういう集まりに居なさそうな格好をした同い年くらいの女性が退屈そうにしている。かといって、話の輪に入っていないわけでもなく、談笑の机の隅で一応耳を傾けているようではあった。目に止めたが、私は私で向かいの古いビルの壁がすぐ目の前に迫る窓外を眺め、その錆びた窓枠などが雨に濡れるのを面白がっていた。
 いつのまにか散会。この後は親しいもの同士で二次会となるのだろうが、私は一人ビルの中を歩き回っていた。ブティックや雑貨屋、また別の喫茶店などいかにも地方の雑居ビルという感じ。しかも、かようなビルは雨の日に独特の雰囲気を醸し出すもので例に漏れず、歩いている人々も一つ一つの店もあるはずのない郷愁に包まれていた。私はというと、その郷愁の中に自らの居場所はないのだと虚しくなって、最初の喫茶店の前に戻り、通路の隅に設置されていたソファに腰掛けた。
 暫く、ぼんやりと階段の方を見ていると、隣に何者かが来て、ぼふっと勢いよく座った。驚いて見てみると、先程の女性。「ねえ」と話しかけてきた。
「この前、風呂入ったでしょ?」
 瞬時に別の夢の記憶が蘇った。
 それは、大浴場で私が一人一人仕切られて寝そべるタイプの風呂に入っていた時、隣に女性が入ってきた夢だ。男湯なのにどうしたんだろうと思っただけで、別のシーンに移ったのだが、あの時の女性なのだと理解した。
「えっ、あ! おお、おお!」
 と、夢を跨いで現れた女性が急に接近してきたことの困惑と興奮で変な声が出た。女性は私の手を取ると、「行こ」と言って立ち上がった。
 私達はビルの外へ出た。雨は止んでいて、夜になっていた。ここは奈良だと思った。
「ねえ」
 女性の一言で、何故か交際関係が成立したことを悟る。
「行こうか」
 と、私が言うと黙って頷く。その顔にはやはり幼さがあったが、艶も兆してきている。そして、二人の時間が濃密に絡み合うのは一晩だけであり、これ以降のことは誰もわからないのだと分かった。分かったが、私にはまだ決心できずにいた。「一緒に来て欲しい」と言うことを。
 時間はスキップしたのか、バックしたのか、夕方になり、駅前にいた。これは本当の奈良駅ではないのだが、これは奈良駅だと確信していた。
「もう、行く」
 結局、言えないまま私は去ろうとしていた。別に泣くとか悲しそうな顔をするとかではないが、女性から不機嫌そうな感じが伝わってくる。私はこうして何回も駅から一人で出て行ったことを、思い出す。それは駅ではなく門でもあったし、卵や浴場、空やバスでもあった。
 何か最後にできないかと躊躇ううちに、女性の友人らしき二人が来て、
「来て来て、もう掛かってる!」
 と、女性を連れてゆく。私も後を追うが、女性は振り返ることなく、その背中には明確な意志を感じた。
 駅構内を抜けて、別の出口に出る。その正面に『〇〇(どのような名前だったか忘れた)ハゼ』という名札の掛かった木があり、これのことを言っていたのかと思うと、「これこれ」と友人たちが指差す。それはよく駅前で見かける町の地図で、四方を囲む山の名前(やっぱり奈良だ、奈良の山の名前は無いけど奈良だ)や観光名所、店の案内が書かれている。この地図が季節限定でこの謎の櫨の下に掲示されるらしい。私以外の三人は季節を感じているらしいがそんな時でもやはり女性は不機嫌そうだった。この時、容姿こそ変わっていないのだが女性の印象は小学校時代の同級生で、多少親しくしていた人のものに変化していた。
 突然、女性が駅へ戻り始めた。ついてゆく。
 階段を上って左へ入れば駅のはずが、階段を上りきると、広い湖の真ん中に立っていて、真っ青な空が頭上を占めていた。背の低い山々に囲まれている湖畔には一切人工物がなく、日差しの強さが真夏を思わせた。一瞬焦って足元を見ると、細い板三枚を並べて作られた人一人歩ける幅の橋が長く長く、ジグザグに左へ折れながら伸びていた。橋といっても、水面より少し低く作られていて、私の裸足は水に浸かっている。藻や水草が暗い水中に犇めいていて、空の明るさと相俟って恐ろしかった。私は海洋恐怖症で、即ち水深の深い場所が怖いのだ。それに、裸足で湖水に触れているのも恐ろしかった。寄生虫、バクテリア、蛭などへの恐怖である。女性はこの細い橋をどんどん進んでいる。遅れてはいけないとピチャピチャと水を踏みつつ後を追った。ここは滋賀だろうか。一瞬脳裏を掠めた疑問も、圧倒的な明るさと暗さの間、此岸とも彼岸とも言い難い水面を歩いているうちに、違うな、と思った。女性の姿は遠く小さくなってゆく。
 彼女は現実世界にはいない。似た人もいない。そして、私は彼女のことをよく知らない。夢でしか会えない恋人である。

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