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はじめまして。 きぬごしと申します。日々上手くもないゲームに勤しんでは、上手くない自分…

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はじめまして。 きぬごしと申します。日々上手くもないゲームに勤しんでは、上手くない自分にモヤモヤしています。そんな僕のちょっとした言葉、読んでもらえると幸いです。

最近の記事

21歳が思う『歳をとる』ということ

3月生まれの僕は、学生時代ずっと「早く大人になりたい」と思っていました。高校生の頃は早く18歳になりたいと思っていたし、高校を卒業してからは早く20歳になりたいと思っていました。 18歳、20歳であることに意味があると考えていました。 しかし20歳を超えた今、「歳をとりたくない」と思う方が増えました。 例えば、朝夜の寒さが来年以上に身に沁みるようになったとき。 ふと階段を使ったら2日後に筋肉痛が来たとき。 ついこの前だと思っていたことが10年前のことだったとき。 こうい

    • イッヌ

      アニマルセラピーというものをご存知だろうか。すごく雑に説明すると、動物との触れ合いを通じて心を落ち着けたり癒したりすることをいう。 僕自身はアニマルセラピーのお世話になっているわけではないが、それに近いもののお世話になっている。 何も難しいことは無い。ただ、犬を飼っているというだけだ。 ペットを飼っている人は沢山いると思うが、なぜあんなにも可愛らしいのだろうか。 楽しく会話出来るわけでもなければ、同じところに行き、同じように楽しめるわけでもない。 ただ、いるだけだ。

      • ぼっちはつらいよ

        最近はスターバックスやドトールと言ったような、いわゆるコーヒーショップに行く人が多いが、僕は断然コメダ派だ。コメダ珈琲やそれらの類いの喫茶店にはスタバにはない魅力があると僕は思う。…もっとも、スタバにほとんど行ったことがないからスタバのことを正しく評価できてるとは言い難いが。 だとしても、コメダ珈琲には行き易くスタバには行き難いという事実そのものが、コメダは落ち着ける場所だと示しているのではないだろうか。 しかし、多くの若者にとってスタバは決して敷居が高い場所ではないはず

        • 頭と身体

          今日も書くことがない。 アルバイトをいくつかかけ持ちしている僕だが、日によってはバイトをはしごすることがある。今日がまさにそんな日だったわけだが、実ははしごをすること自体はそこまで苦痛ではない。 苦痛なのは、1度家に帰って、再度出なければならないことなのだ。 この苦しみは尋常ではない。スイッチが切れる、という感覚は体の機能をこれでもかと低下させる。そして再びスイッチを入れる力を出すのに大変な努力を要し、そのことがまた自分を疲れさせる。 人の集中力は一般に60~90分程度

        21歳が思う『歳をとる』ということ

          情緒

          今年の冬は暖冬だそうだ。たしかに、来週にはセンター試験が迫っているというのに、雪が降りそうな気配はまるで無い(僕の住む地域ではセンター試験前後に雪が降るのが通例)。これだけ暖かいと、日向ぼっこも捗るというものだ。ただ、左右を見回してみても、明らかに僕の2倍は生きていそうな方々ばかりだというのが気になるが。 暖冬とはいっても、朝や夜は冷える。そうすると、どうしてもマフラーに顔をうずめ、下を向いて歩いてしまう。だが昼なら、平気で日向ぼっこできるほどには暖かい。すれば、視線は前を

          脱線→航海

          ここ最近、書くことがなくても"書くことがない"という話を延々と書くという、よく分からないことをしているが、それを通して一つ気づいたことがある。 それは、僕は考えるのがあまり得意ではないということだ。 ある事柄について考えていても、途中でちょっとした連想から脱線して、脱線して、脱線して、結局なんの話なのか分からなくなってしまうのだ。 自分1人、自由なときであれば好きなだけ連想の枝葉を伸ばし、考え、思いついたままに行動できるが、集団で物事を進めるときには非常に苦労する。 な

          何度目かの雨

          雨というのは、どうしてこれほどまでに己の弱さを感じさせるのだろうか。 雨が降る度にnote投稿しているといっても過言ではない私だが、雨そのものよりは、雨によって自分がどうなったかによって気分がかなり左右される。たとえば、事前に雨を知っていて十分な対策ができればそれほど気分の変化はないし、むしろ第六感を信じて傘を持ったら雨降ってた、みたいな場合だとちょっと盛り上がる。 だが今日は最悪のパターンだった。雨に対して一切の策を講じることなく、無防備に自らを晒してしまったのだ。それ

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          何度目かの雨

          失望

          思わぬ休日を得た。 あれほどまでに切望した休日も、こうも突然に、しかもあっさりと手にしてしまうと却って拍子抜けしてしまう。平日であれば、休みになったらこれをやろうあれをやろうと考えるのに、いざ休みになってみると何一つ成し得ることなくせっかくの休日をふいにしてしまう。 今だって、未だ今日という日に何も成し得ない自分への失望と、残りの時間は有意義に過ごせるだろうかという微かな希望とを胸に秘め淡々と文を書き連ねている訳だが、そんな暇があるなら大人しく机に向かった方が余程いい。

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          漂流

          2020年初めての月曜日。 今日が仕事初めという人も多かったのではないだろうか。はたまた、朝から憂鬱な顔で歩くサラリーマンや学生を見下ろして優雅にコーヒーを啜り、最後の休日を楽しんだ人もいるだろうか。 生憎僕は前者、見下ろされる側だった。といっても午後からの出陣だったから、なんとも微妙だ。優雅な朝を迎え、憂鬱な午後を過ごした。 今のところまとまりもなければ話の筋も見えてこない、曖昧な文章で大変恐縮だが、残念ながら今日は終始この調子である。「初まっちゃったかぁ〜…」というそ

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          謹賀新年

          あけましておめでとうございます。 2020年になりました。今年も色々なイベントがありますね。MCUフェーズ4の開幕、バンドリ!ドームライブ、東京オリンピック…そして就職。 楽しみなこともあれば、不安なこともある。ハーフハーフな気持ちを抱えて新年を迎えました。 "きぬごしの中の人"は概ねこんな感じですが、"きぬごし"としての目標があります。 それは、今まで以上にマルチに活動することです。YouTubeチャンネルやnoteの投稿に留まらず、例えば動画投稿者ではなく編集者として

          大晦日

          2019年もいよいよ残すところあと12時間ほどとなりましたね。個人的に印象に残ってることを書いて、今年の投稿を終えたいと思います。 ①YouTubeチャンネルの開設 1番はやっぱりこれですね。まだまだひよ子チャンネルですが、動画を作ったり配信したりするのはとても"ぽくて"楽しかったです。来年はさらに色々と始めたいなと思ってます。 ②noteの開設 YouTubeが落ち着いた頃に、文字の活動を始めたくなって始めたのがきっかけでした(詳しくは過去のnoteに書いてます)。当初

          "今日"

          2019年も残すところあと4日となった。 年を経るごとに1日の過ぎ去る速度が早くなっていく。 何も為さずに、1日を終えてしまう。 思えば、大学生になってから夜更かしをすることが増えた。初めは単に「不良になったな」などと呑気に考えていたが、今では寝なければという思いに相反して夜更かししてしまう。 今日という日を、何も残すことなく終えてしまうことが怖いのかもしれない。 既に日付は超えているというのに。 このnoteだって、「最近投稿してないね」と言われ、「このままでは終われ

          映画は映画館でこそ輝く。

          日本に映画館は数多く存在するが、その中には特別なものがある。ドルビーシネマという設備だ。なんと日本に4ヶ所しかない。そして今月20日、ミッドランドスクエアにて5ヶ所目のドルビーシネマがオープンする。今日はそんな特別なシアターの試写会に行ってきた。 かつての「スクリーン5」は「ドルビーシネマ」へと生まれ変わっていた。私の友人はこの前で、それはそれは見事な笑顔をカメラに向けポーズをとっていた。 試写会では、ドルビーシネマの柿落としとなる「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明

          映画は映画館でこそ輝く。

          降り注ぐチャンス、迎える僕たち

          雨の日にはいろいろなことを考えさせられる。外に出にくくて身体よりも頭を動かしがちになるからだろうか。はたまた"雨"には条件反射的に反応してしまう何かがあるのだろうか。 日本語には"雨"を表す言葉が400以上あるそうだ。おそらく"晴れ"を表す言葉よりも多いだろう。それらの多くは俳句や短歌、和歌に用いられたのだろう。晴れている日の何気ない日常があれば、雨の日にじっくりとさまざまなものに目を向けてみる日常もあるだろう。そして"雨"を表す言葉の多さから、雨の日の独特な情緒がどれだけ

          降り注ぐチャンス、迎える僕たち

          書を読む

          最近読書を始めた。始めたというより、再開したという方が正しいか。 僕は読書ばかりしている子供であったが、高校・大学と年を経るにつれてゲームや漫画といった方面に触手が伸びるばかりで活字を疎かにしていた。 しかし近頃、スマホやゲームといった電子機器に触れすぎていると感じるようになった。これらに触れている内に頭痛を起こすこともしばしばある。そんなときに、活字の存在に思い至った。 僕は幼い頃に多くの書に触れた結果として、読書に対して非常に高い集中を保つことができる。それだけでは

          表裏

          心が弱ったとき自力で解決できる人はそう多くない。多くの人は誰かに話しを聞いてもらったりして解決していることだろう。あるいは"時間に解決してもらっている"人がほとんどではないだろうか。 僕は心の弱りを能動的に解決する術を知っている。もっとも、具体的に方法として確立できたのはnoteのおかげなのだが。 その方法とは、ネガティブな思考をできる限り伸ばすこと。気の済むまであれがダメこれがダメと考える。そしてネガティブな思考をし続けていると、「なぜこんなにもネガティブなことばかり考