21歳が思う『歳をとる』ということ

3月生まれの僕は、学生時代ずっと「早く大人になりたい」と思っていました。高校生の頃は早く18歳になりたいと思っていたし、高校を卒業してからは早く20歳になりたいと思っていました。
18歳、20歳であることに意味があると考えていました。

しかし20歳を超えた今、「歳をとりたくない」と思う方が増えました。

例えば、朝夜の寒さが来年以上に身に沁みるようになったとき。
ふと階段を使ったら2日後に筋肉痛が来たとき。
ついこの前だと思っていたことが10年前のことだったとき。

こういった事柄に出会うたび、僕は自分が『歳をとった』と思い、同時に「歳をとりたくない」と思うようになりました。


僕の両親は人生も半ばといった年齢ですが、その両親と話していると、「???」となることが最近増えてきました。

なんというか、先住民族と話しているような感覚。話が噛み合わない。

(今朝もちょっとした出来事があったがために、久々にnoteを書いてみたりしている訳ですが…)

今朝の出来事を反芻するうち、僕は一つの仮説を立てました。

『歳をとる』ということは、『柔軟性を失う』ことではないか。

あまりに高く人生の経験を積み上げてしまったが故に、そこから降りて未だ知らないことを知ろうということができないのではないか。

結果として思考はアップデートされず、ザ・現代っ子な僕と話が噛み合わなくなる。


子供の頃はよく怪我をしたのに、成長するにつれ怪我をしにくくなるのは、何が危険か無意識に判断し避けるようになるからだと聞いたことがある。

それは思考・思想においても同じではないだろうか。
昔はきっと知らないこと、できないことばかりチャレンジしなければいけなかったけれど、年月の経過に伴って安定し、できることだけやるようになる。

このように考えた結果、こう結論付けました。

『歳をとる』ということは、『好奇心を失う』こと。

好奇心を失えば、自分の周りに積み上げた知識・経験の山によって思考は限定的になり、しかもそれを積み上げた苦労も相まって自らの正しさを疑わなくなる。自分の積み上げた山の外に別の本がまだまだ山ほどあると言う事実に気づかない。

どれだけ歳をとっても、好奇心を失わず、常に目新しいものに目を向けていけば、この先10年20年と「21歳の僕」のままでいられるのかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?