脱線→航海
ここ最近、書くことがなくても"書くことがない"という話を延々と書くという、よく分からないことをしているが、それを通して一つ気づいたことがある。
それは、僕は考えるのがあまり得意ではないということだ。
ある事柄について考えていても、途中でちょっとした連想から脱線して、脱線して、脱線して、結局なんの話なのか分からなくなってしまうのだ。
自分1人、自由なときであれば好きなだけ連想の枝葉を伸ばし、考え、思いついたままに行動できるが、集団で物事を進めるときには非常に苦労する。
なにしろ、目的に沿った考えが上手くできないのだ。どうしても途中で脱線してしまう。だから僕はあえて、脱線こそが自分の強みになればいいのではと最近は思い始めている。
共通の目的があるときには、みんなの視野は狭窄しがちなのではないだろうか。でも僕は一つについて考えられないが故に、常に新たな視点を提供できる。
脱線という言い方も良くない。そもそも思考というのに決まった筋道はないのだから、敷かれたレールの上を動く列車ではなく、大海を漕ぎ出す船であれば良いのだ。
一つの目的に向かって考えを突き詰められる人もいれば、僕のようによくいえば視野を広く、悪く言えば散漫に、物事を考える人もいる。
さまざまな考え方を持つ人同士が手を取り合い、互いに考えを提供し合うことによって、僕らの乗る船はまだ誰もみたことのない場所へと進めるのかもしれない。
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