最後に悟空は元気玉を投げず、“グーパンチ” で敵を倒した

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」

「賢者」というのは文字通り賢いから、「君子あやうきに近寄らず」みたいに、危険なことや悪いことはちゃんと知っていて、合理的選択としてやらない。でも「愚者」はそんなことも知らなくて、失敗しないとわからない愚か者だよねっていう。


でもそうは言っても人生、やっぱり自分で「やってみてどうか」を試したくなる。生きてて醍醐味でもあり、そうして自分を創っていくものだとも思う。

たとえば今やりたいことがあるとしたら、それはきっとやった方がいい。できたらいいだろうなって思い描いてるくらいの事でも、きっとやった方がいい。

環境がそうさせないのなら、どうにかできる環境にする方法を模索するのもいい。模索自体も楽しくなるかもしれない。説得したり相談したり、物理的に移動したり。できるポジションや立場を目指すとか。そういう行動ができてるだけでも、すでに挑戦は始まってる。やらない後悔よりやって後悔した方がいい。


これは僕が仕事やプライベートのいろいろについて悩んで悩んで病んで苦悩・苦悶して、右往左往し相談し落ち込み不安と恐怖感に駆られて諦めたりして、ずっとそんなことを繰り返した末にできた決断っていう経験で、実感をもって言えるようになったことの1つ。少なくとも観念的じゃなく実感で言える。


学生時代に先輩が教えてくれたドラゴンボールの話

先輩が学生時代に教えてくれた『ドラゴンボール』の話があるんです。

映画か何かで、主人公の孫 悟空は雑魚をみんなやっつけて、”史上最強の敵” みたいなやつにたどり着く。悟空は最後の力を振り絞って「おらに元気を分けてくれ~...!」と元気玉をつくるんだけど、クリリンか誰かが「悟空!スーパーサイヤ人じゃ元気玉はうてねぇ!」みたいなことを悟空に叫んで、悟空は「くそぉ!」ってなるんだけど、最終的にじゃあもっとすごい元気玉とか かめはめ波 みたいなので倒したのかっていうとそうじゃなく。最終的に悟空は元気玉を自分に取り込んで ”グーパンチ” で倒したんだという話。

これにはどんな寓意があるかというと、

(僕的には)「他人の言葉でものを言うな。自分自身の実感で生きろ」ということ。曲解してるかな。。


想像してみて、不安になったり、背中を押してくれる人がいないからと、やめてしまうと、気付かないうちに、自分のまわりに格子付きの檻をつくってしまうようなもので、自信がなくなって、ますます他の事にも挑戦できなくなっていく。他人にも否定的になりがちになる。

場外から意見する人はきっと「反対」や「疑問」が多いけど、

たとえば自分より先にそれを実行している人に相談したとしたら、きっと「むりだ。やめておけ」とは言わない。


僕の仕事の後輩が、こないださらっと大事なことを言ってた。

「人生って結局自分を演じてる劇なんですよね」

そう思うと、途端に気持ちが軽くなった。

漫画でもドラマでも、主人公とその仲間たちが、無理だと思える壁にぶつかったり、史上最強の敵と戦ったりする中で、「不安」や「諦め」、「葛藤」と「挑戦」っていう人間味があるからきっと面白い。

自分を演じている劇中なら、厳しい敵や壁に挑まない主人公見ていたくないよなぁって。全力で演じていれば、現実きっと結構キツイし失敗するかもしれないけど、思い出になる。


だから冒頭の言葉で言えばぼくはかなり愚者の方になるかもしれないけど、「熱い」とか「冷たい」とか人生のいろいろを、自分の実感で言えるように、実験や挑戦は大事にして劇を演じていきたいと思ってます。



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