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「お前はよくわからない世界へ行ってしまった」

僕はフリーランスになってからというもの、会社に所属して仕事をする人たちから、なんだか距離を置かれてしまったように感じる。

昨日、その感覚はある意味で正しかったのだとわかった。近しい人から次のような言葉を言われたから。

「お前はよくわからない世界へ行ってしまった」


僕は今フリーランスでライターをしている。自分で仕事を得て、失敗を重ねて生きている。

「よくわからない世界」とはなんだろう。僕はどんな世界で生きているんだろう。どう見えているんだろう。深く考え込んでしまった。

「業界について詳しくない」と言うなら理解できる。でも彼の言った「よくわからない世界」は、たぶん僕のフリーランスとしての生き方、あるいは僕の活動を全般的に指していた。まるで僕が異国、異文化の人間になったような言い方だった。

フリーランスはそれほど変わった働き方だろうか。

そもそも昔はみんなフリーランス的な働き方だった。江戸時代の農民だって自分たちで仕事を作り、収入を得ていた。現代もそういう人は意外と多い。美容師、税理士、デザイナー、モデル、役者、カメラマンでもそう。フリーランス営業マンだっている。雇用契約を結ばず個別に契約をし、法人をつくっていない人を一般的にフリーランスと呼ぶらしい。

会社員とフリーランスは、よくわからなくなるほど違うことなのだろうか。

たしかに僕は企業勤めだったときに比べれば、働き方は変わったし、所属する場所も大きく変わった。個人で受注し、いくつかのコミュニティでも活動し、自ら仕事を作るようになった。

だけど、それがよく見えないのは大枠としてみんな同じはず。たとえば友人と集まって話しているとき、自社の業界については詳しくても、友人の会社の業界についてはわからないことも多いだろう。

サラリーマンとフリーランスでは、お金の稼ぎ方こそ違っても、「働いてお金を得る」ことは何も変わらない。

コミュニティだって無数に存在する。みんな互いに知らないだけで何かしらに所属していたりする。

然るに、異世界人のように言われたのは、ある種の衝撃を受けた。わからないことに不審になることもあるだろうけど、それほど疎まれることなのか。

僕も人をそんな風に見たことがあったとしたら、本当に失礼だったと思う。自分だけの狭小な視野と価値観で人を評価することほど不躾なことはないと思う。

ともあれ、人が自分をどう捉えようとも、自分は変わらず関わればいいし、どこかで自然に疎遠になってもそれは仕方がないので、あまり意識するつもりはないけれど。

「みんなと同じ」「一定して同じ仕事をする」ことで安堵する人を見るたびに何か違和感を覚える。一定であることより、実現したいことのために変化できることの方が重要な気はする。

わからないことは、そんなに疎まれることで、コミュニティから外れることは、そんなに疎まれることなのか。


ライター 金藤 良秀(かねふじ よしひで)


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