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【映画批評】#3「ミッシング」変化球アプローチで本作を紐解く

𠮷田恵補監督、最新作「ミッシング」を徹底批評!
石原さとみの熱演光る!だがしかし、本当の主人公はアイツだ!


鑑賞メモ

タイトル
 ミッシング(118分)

鑑賞日
 5月26日(日)8:20
映画館
 なんばパークスシネマ(なんば)
鑑賞料金
 実質0円(ムビチケ:エポスポイント購入)
事前準備
 予告をちょろっと観てこういう感じかな程度
体調
 早起きチャリ移動、立ち食いそば食後、すこぶる良し


点数(100点満点)

90点

𠮷田恵輔は小さき者への共感を絶対に捨てない。
信用に値する男である。


あらすじ

とある街で起きた幼女の失踪事件。
あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。

娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。

そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。

世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。

一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。

それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。
その先にある、光に—

映画「ミッシング」公式HPより引用

ネタバレなし感想&X短評

「空白」に続く、不幸に翻弄される人間を描いた胸絞めつけ系映画。
可能性が閉ざされていないことの地獄を厳しくも、高すぎない目線で捉える。


ネタバレあり感想&考察

私の𠮷田監督作品履歴書

古くは大学時代に観た「純喫茶磯部」に始まり、「さんかく」「ばしゃ馬さんとビッグマウス」「麦子さんと」「ヒメアノール」「犬猿」「愛しのアイリーン」「空白」「神は見返りを求める」と吉田監督との付き合いは長いと勝手に親近感を覚えている。(「BLUE」逃してるのは痛恨!)
ちなみに一番好きな作品は「愛しのアイリーン」。𠮷田監督作品の中では重さや壮絶さもかなり異質な作品だが、圧倒的に力強く、美しい作品だ。いつでも観られるようにブルーレイで保管してるぐらいとにかく好き。これを読んだ方には少しの人でもいいから興味を持ってほしいし、よかったらサブスク等で鑑賞していただきたい。新井英樹の原作マンガもすごいのでぜひ!
もちろん、ほか作品もどれも面白く、邦画監督の中では1,2を争うぐらい、打率が高い監督なのは間違いない。

𠮷田作品に通底しているのは、業の肯定。つまり、談志イズム。
人の愚かさを時に厳しく、時に意地悪く、時に滑稽に描くものの、その愚かな部分が人間らしさであり、それこそが人間である。そして、一見愚かに見える人にも必ず良い部分がある。角度を変えて人や物事を見てみようと常に言われてるような気がする。
当たり前のことといえば、当たり前のことだが、それらを脚本と舞台設定で見事に具現化してしまう力量は毎度お見事だし、本人がそのことを愚直に信じているのがよく伝わるからこその高評価なのだと思う。

𠮷田監督は本質的に人間を見る目が優しい

これが𠮷田恵輔印であり、彼の映画を替えの効かない存在にしてしまう魔法なのだと私は定義付けたい。

石原さとみ以外のキャラを掘り下げたい

さて本作の話題に入ろう。
今作は石原さとみの熱演が観るものの心をつかむのは間違いない。気合いの入り方が違った。その熱が映画の作風とマッチするように監督もうまくコントロールできている。演じているキャラクター自体が周囲とは温度感が違う存在だったから、そこのバランスも見事にハマっていた。

ただ今回の批評のアプローチは彼女以外のキャラクターに向けたい。
石原さとみの演技、存在についてのあれこれは他の方々にお任せする。
それぐらい周囲のキャラクターも見事な演技でこの映画の出来を確かなものにし、格式を上げているからだ。

一人ぐらいこんなスタンスの批評もあっていいだろう。

まずは、青木崇高が演じた、夫・豊について。

今作の豊の振る舞いは制御が効いていて、映画を観やすくしてくれた。
妻役の石原さとみがアクセル全開フルスロットルで突き進むのに対し、彼がブレーキとして自分と妻の感情を制御し、夫婦として機能するイメージができたため、よほどの外圧がない限りはこの二人は大丈夫そうだと安心して観ることができた。(そのよほどの外圧は幾度となく起こるが)
また、良くない本音がポロっと出てしまった時の対応も素早く、内省できる人間であることもしっかり描写されていた。
その彼も制御できずに感情を発露する場面が序盤と終盤、2ヵ所ある。その場面が起きるタイミングも相まって見事な感動を生んだ。ここらへんのフリと演出はさすが。𠮷田監督の手練手管に脱帽である。それを演技で見事に応えた青木さんも素晴らしかった。

続いて、中村倫也演じる地方局のディレクター・砂田。

彼については後述するが、考えるべき示唆を与えてくれる存在として、彼もまた素晴らしい演技と佇まいであった。

そして今回の最重要人物である、弟・圭吾。

私は彼が本作の主人公だと本気で思っている。
それぐらい、この映画内で彼に課せられた役割は大きい。

本当の主人公は圭吾(森優作)
彼周辺のお話に答えが示されている

みんなが石原さとみ語りに走るので、私、森優作語りを独占させてもらいます。(ジャイアント馬場)

かなり大きく振りかぶった物言いで申し訳ない。
しかしプロレスの名言は汎用性が高い。まさかこういった場面でジャイアント馬場のあの発言を引用するとは夢にも思わなかった。

本題に戻ろう。
まずはMissingの意味を正確にとらえたい。

missing
形容詞 /ˈmɪsɪŋ/ 比較級- 最上級-
欠けている,見当たらない;行方不明の,失踪中の;欠席している

「DICTIONARY / 英ナビ!辞書」より引用

娘の失踪を題材として取り扱ったゆえのMissingというタイトルなのだが、意味が複数あり、より重層的であることがわかる。
今回、表向きは娘が「失踪している」ため、完全に退路を断たれているわけではない。そういう意味では結果が出ない限り、解決や着地点が「見当たらない」。
取材を重ねるたびに登場人物たち、目に見えぬ社会から向けられる心や配慮が「欠けていく」さまも映し出される。本来の目的を「見失う」人々を追った映画でもある。

これら多くの多層的なMisssingの意味性は主演の石原さとみに課されるのは当然といえば、当然である。
ただ彼女らだけではなく、娘を預かり、失踪の直接的な原因を作った弟の圭吾はさらに多くない?と言っていいほど、Missingを抱えた存在として描かれている。

「欠けている」
・自尊心、自己肯定感(いじめ経験や姉夫婦からの目線)
・知能、言語化能力(いじめによる内向的な人格形成、学業の支障等が原因)
・想像力(美羽を一人にしてしまう危険性に対して等)
・正直さ、誠実さ(闇カジノの件の発覚を恐れ、当初自己保身を優先した)
「見当たらない、見失う」
・ウソの証言の着地点
・心の拠り所(美羽の喪失感は彼も姉夫婦同様に感じていた)
「なくす、失う」
・信用(夫婦、職場、取材陣、社会)
・居場所(職場、地元、自宅)
・理解者(カトウシンスケ演じる同僚)

ざっと並べただけでも、圭吾のMissingもこれだけある。
特に終盤になるまで、美羽を失ったことへの苦悩はほぼ描かれないので、ラストの沙緒里への謝罪と、美羽と遊んだ動画を見返して悲しむ姿には胸に迫るものがあった。彼のような存在を決して駒として使わず、心を持った存在として見どころをしっかり用意するあたりは圧巻だ。𠮷田監督の人間へのまなざしはやはり温かい。

ここに至るまでの圭吾の行動は極限状態だったとはいえ、あまりにも稚拙であった。(主に自己保身のウソを重ねた件)
ただ終盤に間違っているとはいえ、事態を解決するために行動を起こし、最終的には姉と悲しみを共有することができた。
この映画で一番成長し、救われたのは間違いなく彼だと思う。そして彼の成長を後押しした存在がいる。カトウシンスケ演じる同僚だ。

彼は圭吾を闇カジノに初めに誘った張本人であり、どうしようもない人間ではある。ただ直接的な原因ではない美羽の失踪まで含めて、圭吾に対する責任を彼自身が十分に認識し、謝罪している。彼の今後を案じ、具体的な誠意も示している。尺的には短いあのシーンを差し込んだのはやはり白眉である。(「空白」でいう片岡礼子の役のシーンもすごかった)
さらに職場の社長に対する恨みから嫌がらせを企んでいたが、(本気でやろうとしたかは一旦さておいて)今それをすると圭吾に疑いがかかるからと実行をやめていたりと最低限とはいえ、想像力の働く一端の人間ではある。
自分はあのカトウシンスケ演じる同僚に答えが詰まっていると感じた。

長く生きてりゃ、人間どこか間違うことはある。間違ったあとにどういう態度を取るか、彼から学んでくれ。

誠に勝手ながら、𠮷田監督からこんなメッセージを受け取ったつもりでいる。
このくだりがあったから、圭吾も行動を起こし、姉と不器用ながらの心情の吐露と和解を試みたはずだ。(2年かかったけどね)
だから圭吾とカトウシンスケの居酒屋シーンはこの映画の根幹なのである。間違いなくこの映画の格を押し上げた。今年ベストシーンと言ってもいい。

美羽と遊んでいる時ですら雑に扱われる圭吾に、姉弟の関係性が表れている

「可能性はゼロではない」は救いにも地獄にもなる
これを自覚することが人間性の獲得につながる

メインイシューは終えた。
ただ、拾うべき課題はまだある。中村倫也演じる砂田に関してだ。

彼はしきりに石原さとみ夫婦に対して、「可能性はゼロではありませんから」と励ます。
なのに本人は全くそんなことを思っていない。美羽はもう戻っては来ないだろうと内心思っていたことは映画内でもハッキリ示されている。取材を続けるための詭弁でないことぐらいは彼の態度をみて理解はできるし、自分たちも彼の立場ならそう言うはずだ。
今回のケースは美羽が見つかる可能性は限りなくゼロに近いが、ゼロではないからこそ、当人らを結果が出ない限り永久に消耗するという意味での絶望がある。夫婦はこの発言を素直に受け取って砂田に協力の意思を示したからよかったものの、人によっては無責任な発言と受け取られる可能性だって大いにある。
要は自分が良かれと思って言った発言であっても、相手方に良い方に受け取られない可能性だってゼロではないのである。われわれはそのことを自覚する必要がある。
しかし、それはものすごく難しい課題でもある。迂闊に発言できなくなる可能性だってある。だから「考えすぎるぐらい、考えましょうよ」なのである。彼もまた重要な示唆を与えてくれる存在だった。

出世した後輩が飲み屋で調子づいたときに砂田が諫めたシーンは、観たものに向けられたものだと思っている。
良くないニュースや、そこいらでぎょっとするような人間や事象に触れたとき、何も考えずに攻撃的な反応をしたり、即物的な処罰感情に駆られていないかと。
今すぐに発露しなくてもいいんじゃないの?そもそも言う必要ないんじゃないの?書くなんてもってのほかなんじゃないの?てかお前ら関係ないのに何なの?etc…

心をなくさないためにも、一回立ち止まってから考えようということか。

何の気なしに取った言動が相手を傷つける可能性はゼロではないことをもっと心に刻む必要があるだろう。しかし、何の気なしに取った言動で相手を勇気づける可能性もゼロではない。この映画は終盤にどっとそれが押し寄せ、夫婦を少しばかり救済へと向かわせる。その可能性を捨てていないところがこの映画の憎いところである。

本当に素晴らしい映画だと心から思う。


まとめ

石原さとみ以外のキャストを中心に批評するという変化球な批評でしたが、内容は自分の言いたいこと、ド直球火の玉ストレートといった感じです。
チャレンジングな取り組みでしたが、素直に石原さとみ以外のキャストに心奪われたのも事実であり、そのことを書きたかった気持ちは変わりありません。

個人的に「ミッシング」は「空白」と比べるとだいぶみやすかったです。「空白」の方がずしんと来るものがあって、好き度もキツさもあちらの方が上でした。とはいえ、甲乙つけがたいレベルです。どちらも凄まじい作品なのは間違いなく、𠮷田恵輔クオリティ=信頼の証といっていいでしょう。
当初80点で出そうと思っていましたが、書いてるうちに評価がみるみる上がって90点にしました。

一点注文を付けるとすれば、「虎舞竜」発言です。正直自分も思いましたし、誰しもそう思うのは自然なことだと思います。ただ、あれをあの場でわざわざ言う人はいないんじゃないかなと。個人的にあそこはリアリティラインの外に出てしまった気がします。あれを撮った後で「あそこはさすがに虎舞竜浮かんじゃうんで切りましょうよ」と言うシーンを入れればよかっただけな気が。石原さとみ主演なので、客層に配慮した采配だとは思いますが、あそこは気になりました。と言っても些末な問題ではありますが。

とにかく今年を代表する一作に間違いないです。
ごちそうさまでした。

次作の作風はどうなるんでしょうか。ホントにそういう部分が読めない監督ですが、楽しみです。
次作も必ず観ます!どうぞよろしく!


最後に

どんどん長文になっている気が…。歯止めが効かん。笑
(文字数推移 #1:3,800→#2:3,400→#3:5,600文字
ハードルが上がっていくのも考え物ですが、乗りかかった船ですし、長く続くよう頑張ります!

次回は「家出レスラー」を取り扱いたいと思います。

※カトウシンスケさんへ
 X短評ポストに「いいね!」ありがとうございました!

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ご拝読、ありがとうございました。

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