裁判傍聴 ストーカーくん

 ブローが足りないのか潰れた形になったセンターパートの世間ではロン毛と呼ばれるであろう(もっとも、私のほうが遥かにロン毛だが)男性が被告人席に座っている。

 最近センターパートの男性を見る機会が増えてきた。田舎に住んでいる私がそう思うのだからきっと都会にはセンターパートくんがもっといるのだろう。
 一昔前に「量産型」という、同じ流行りに乗り差別化が行われないファッションをする人間を揶揄する言葉をよく耳にした。彼の潰れたセンターパートはもしかするとそういった量産型から逃れる為に流行から少しハズしたおしゃれのテクニックかもしれない。これが抜け感というやつか。

 彼の纏ったベージュのニットの襟は伸び、椅子には浅く腰掛けて背もたれに深くもたれかかっている。法廷でこの姿勢で居られる事から垣間見える精神の強さが彼の罪状に現れたのかもしれない。
 ニットの下はグレーのスウェットに足元は便所サンダル。東洋のカート・コバーンを目指したのか、額面通りのグランジを体現していた。
 そう思うと禅とかヒッピー文化とかをごちゃ混ぜにした思想を持つコミューンでコンガでも叩いてそうに見えてくるから不思議だ。あるいはそんなコミューンがなかったからこそ、こうなってしまったのか。
 
 ストーカー規制法違反。これが彼に問われた罪だ。
 
 ストーカーやつきまとい行為というものはちょっとしたニュースやSNSなんかではたまに目にするが、こうして当事者を目にするのは初めてである。

 高校生の頃、同級生が意中の女性に対し日に100件を超える通話発信を繰り返し、その女性からその件についてクレームを受けたことがある。私に言われても困るなぁ、と思いながらその旨同級生に伝えた所、逆ギレされた。他人の色恋は関わるとろくな事がない。

 当時は「メンヘラストーカーじみた奴だなあ」なんて思っていたが、調べてみるとその程度ならばストーカー規制法には引っかからないようだ。今思うとそれはそれでどうなのだろう。
 そして、そこまで相手の事を想えた試しが無い私としては一度はその恋に焦がれるような経験をしてみたいものである。
 このままでは縁がなさすぎて火葬場の炎に焦がれて無縁仏行きになってしまう。
 

 裁判の中で彼は今まで複数回、同様の罪で裁判になっており前回の判決の際に「最後のチャンス」ということで執行猶予付きの判決が下されていたという。
 そういう訳で今回、女性に対しての接近禁止命令も出ていた執行猶予中での出来事であった。
 それにも関わらず彼は道路を挟んでのつきまとい行為を続けていた。執行猶予中であっても彼なりに一応接近禁止令という事実は受け止めていたのか、電話やメールといった手法は用いなかったという。
 その点に関しては彼なりの改善のようなものをうっすら感じられるが、それでも「そういうことじゃない」という思いは禁じ得ない。彼なりに頑張ったとしてもそれが社会に認められるものである訳では無い。
 また、その立ち振舞いからもなんだか彼の本質の輪郭がぼんやりと見えるようだ。

 彼なりの誠意(らしきもの)と今後はカウンセリングを受けることなどを鑑み、今回も「最後のチャンス」ということで執行猶予付きの判決が下された。
 最後のチャンスとは、という疑問と共に執行猶予中の犯罪は実質実刑判決という印象を持っていただけに、それでも尚チャンスが与えられるという事実に驚いた。
 恐らく誰も(目に見える肉体的な)怪我や死人、物質的な被害が出ていなかった事がその要因だろう。しかし被害女性からしてみれば「そんな甘っちょろいことしてねぇでもうどうにかしてくれよ」という気持ちにならないか心配である。私ならそう思う。
 そして、その判決を聞いて私が小さい頃、両親に対しておもちゃなんかをねだる際に「一生のお願い!これが最後だから!」を繰り返していた事を思い出した。
 トイザらスに漂う独特の香りが蘇る。今ではああいうおもちゃ屋がめっきり減り、軒並み仏具屋に変わっていってしまった。仏具屋も見ていて楽しいがそれでもトイザらスやハローマックの様な気持ちになることは出来ない。
 なんだか物悲しい時の流れを感じる。
 

 今回の裁判を受けて、案外世界は子供の頃の世界の延長線上にあるらしいと深く思わされた。
 group_inouの楽曲の歌詞で「親父は倅の成れの果て」という歌詞があったがまさにそれである。我々はどこまで言っても子供の成れの果てでしかないのだろう。
 実際、社会に出て生きていると子どもの様に駄々をコネて我を通す人間があまりにも多いことに驚いた。それと同時に自分も無理に大人ぶらなくていいのかも、と思えた。その事実はこれから自分の力でこの社会を生きていかねばならない、と身構えていた私の肩の荷を下ろしてくれた。
 それから10数年、同級生たちはちゃんとした仕事をして家庭を持ち一戸建てを買い、絵に書いた様な大人になった。そして私は荒廃した6畳間でこんな文章を書いている。
 
 裁判官は初老に片足を踏み入れつつある男性で、どこか父を思い出す容姿をしていた。彼は裁判を通してどこか温かく、優しい小学校教諭の様な雰囲気をもっていた。言葉も柔らかく「以前の判決で最後のチャンスとして執行猶予付きの判決でしたがこの様な残念な結果になってしまいました。その上で、この判決になった事をよく考えてください」と身を乗り出すようにして優しく説いていた。
 その言葉に力なくうなずく被告人に気持ちが届いているかどうかは分からない。
 
 ストーカー行為の再犯防止として彼のようにカウンセリングなどの治療が勧められる。しかしその受診率は1割にも満たないと聞く。カウンセリングや治療などに対し「自分は病気ではない」「異常ではない」と拒否する人が多く、医療に繋げることが難しい現実があるという。

 傍目に見るとストーカ行為は異常な行動として映るが当事者はそういった状況下では正常な判断が下せない精神状態である。
 確かに恋愛というものは精神に多少なり不安定さを産む事象であるがその不安定さのバランスを大きく崩した結果が彼を筆頭にストーカー行為をしてしまう人たちだろう。恋は盲目とは言うが、本当に目が見えない人は他の感覚が鋭敏になりよっぽど人を見る目があったりする。代替表現として「恋は疾患」とかもっと病的な物を感じられる物を使う事を推奨していきたい。
 
 さて、そんなストーカーにはいくつかのタイプがある。
 
①未練タイプ
 交際関係や夫婦関係などの崩壊により相手に対しての行き場のない愛情や自分を拒絶した事に対しての怒りなどが原動力となり発現する。
 別れた相手の事を友人等(居れば)に悪く言いながらも別れた相手のSNSを見続けている人間の進化版といえる。
 
②片思いタイプ
 被害者と近づきたい一心で行われる。知人・無関係の人関わらず「一目惚れ」「好きな人の事が知りたい」そういった言い訳の元に行われる。稀にそこに妄想が混ざり始めることもある。
 気になる店員さんに会いに店などに行き続け、シフトまで把握し始める人などが居るがそれもストーカーに入るのだろうか。
 
③被害妄想タイプ
 何らかの被害を自分が受けているという妄想により、その復讐を目的に行われる。
 集団ストーカーに遭っていると主張し、自分の生活圏に定期的に現れる人間に対してつきまとい行為に走る人がこれに該当する。
 
④性趣向爆発タイプ
 些か歪な性的欲求を満たすことを目的とし、主に覗きや盗撮などが行われる。
 通学・通勤路などに張り込み特定の相手に対して”見えないものを見ようとして鏡を覗きこんだ”り”見えないものを見ようとして直に覗き込んだ”りする。亜種として、それと加え見せてはいけないものを直に見せてくるテロル型も存在する。
 
 ストーカーはざっとこの4種類に分類されるだろう。③④はさておき、①②に関しては割りとグレーゾーンな人が多いように感じる。
 ストーカー事件を見て「やっばいじゃん」と逮捕された人を笑う人も多いがその人も似たような行動を取っていたりする事もある。
 そういった場合、幸い相手がその人に対して好感を抱いたか、事件になる前に身を引けたか、といった所だろう。微妙な一線の向こうに立つ相手を笑う権利はない。

 他の振りみて我が振り直せ
 
 「私、この言葉大事にしてるんだよね」
 昔交際していた女性の一人がよく言っていた。確かに大事な言葉である。私も大事だと思う。しかし、その人はそう言いつつもさほど我が振りが直っている様子は見て取れなかった。その言葉を聞く度に私は「大事なことだね」とだけ答えていた。それ以上何も言えまい。
 
 とはいえ、そういうものなのかもしれない。
 そう簡単に自分の問題に気付くことが出来て治す事が出来たらこんなにもおかしな世界にはなっていないだろう。

 ストーカーを筆頭に異常なものとして目に映るものを「やばっwwww」と一言で片付けてしまうのは危険である。自分も気づかずその一線を超えていたり、あるいはまた別のベクトルで異常な行動をしている可能性もある。
 
 もっとも、その異常性とは様々なバイアスが働き自身で気付くのは大変むずかしい。
 そういう意味でもやはり人との関わりというものは大切である。
 これもまた、孤独という要素が根底に潜んでいる様に思えてならない。

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