上司が教えてくれたコミュニケーション術

 私と上司は大体月に一度ほどのペースで飲みに行っており、その月は月末の金曜日に飲みに行くという話になっていた。いつもであれば上司の家の近くにある小料理屋で飲むのだが、この時は上司がまた別のおすすめの焼き鳥屋を見つけたからという事でその店に行くことになっていた。
 
 そんな折、我々の務める会社のすぐ近くに新しく居酒屋がオープンした。看板もなく、外壁には印刷したA4の紙を4枚つなげた物をビニールで加工した様なものが貼られ、「居酒屋よし子 17時〜オープン」とだけ書かれていた。
 ちょっと気になるなと思っていた所、上司は私の何十倍も気になっていた様で「近々あそこ飲みに行きたいな」としきりに言っていた。まぁ来月か、それ以降の会合だろう、と思いつつ「そうですねぇ」なんて返していた。
 すると突然その週の半ばに「今週末空いてたら新しく出来た所飲みに行かない?」と切り出された。

 私はお酒が好きだ。一人で家でのんびり飲むのもいいし、外に飲みに行くのも良い。どちらも好きだ。ただ上司との飲みの席(それも自分のペースではないタイミングでのそれ)はまた別である。なによりお賃金前だったので財布事情も苦しい。そして翌週金曜日は元から飲みに行く予定である。2週連続は勘弁願いたい。

結局、「すみません、予定が入っているもので・・・」と断りを入れてまた次回あそこにするのもいいですよね、なんて返してお茶を濁して仕事へと戻った。
 
 すると翌日、木曜日の朝。上司が朝一番にタバコを吸いながらこれから仕事をしなければいけないという現実と戦う私の元へとやって来るなり、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「やっぱり我慢できなくてさ。あそこの居酒屋、今日仕事終わりに飲みに行こうぜ!楽しみすぎて今日歩きで来ちゃった。今日は俺がご馳走するぜ!」
 少年の様に笑うその表情を見て、彼の奥さんは彼のこういう笑顔に惹かれたのかもしれないな、とぼんやりと思った。
 
 私は日々自分の中で予定を立てながら暮らしている。そして、それを突然他人の都合で変えられるのを何より嫌っている。上司もそういった私の思いを知っている。その上でこの有り様だ。
 湧き水の様にただただ静かに怒りがこみ上げてくるのを感じながら、昨日大人しく金曜日に飲みに行けばよかった、と自分の選択の悪さを呪いながら「いいですね!」と答えた。
 そう言うしかあるまい。上司が歩きで職場まで来て、朝一番でそんな事を言われて断れる人がどれだけ居るだろうか。
 
 私は人から何かを奢ってもらったりごちそうになるのが苦手である。
 どうしても気持ちとして相手より弱くなってしまう気がしてならない。それは上司相手であっても同じだ。その為、いつも上司と飲みに行く際にも「二人でちゃんと割ったらその分多く飲みに行けるから」などと適当な事を言いながら大体半額からそれに少し満たないくらいは出し、多く出してもらった翌月にはそれを補填するように出す様にしている。
 この言い訳がここで仇となるとは思わなかった。冷静に考えると至極当たり前のことではあるがそれでも受け入れ難い。きっと”行き着く先が分かっていてもやってしまう”類の犯罪を犯す人々もこれと近い現象なのかもしれない。
 
 定時をまわり、続々とタイムカードを打刻して帰路に付く従業員を尻目に私達は件の居酒屋へと歩みを進めた。
 店が見えてきた所で少し不穏な空気が流れ始めた。店内に明かりがついていないのだ。暖簾も出ていなければ人の気配を感じない。
 一度バカのふりをして戸を引いてみたが鍵がかかっている様子でびくともしない。上司はその現実が受け入れられない様でなにやらぶつぶつ言いながら周辺をフラフラしている。

 それから20分ほど上司が店のまわりをウロウロし、駄々っ子の如くごねた後、偶然通りかかった近隣住民から告げられた現実は「金〜日」の3日間のみ営業しているというものだった。
 ネットで調べても出てこないほどの小さな店であるから仕方のないことだがここまで振り回されてはたまったものではない。
 
 結局、二人の帰路の途中にある中華料理屋に行くことになった。
 
 中華料理屋までの道中、上司はずっと店がやっていなかったことを引きずっており、ずっとぼやいていた。それを聞きながら、巻き込まれた私の事も少しくらい慮っていくれてもいいのでは、という気持ちを飲み込む。
 とりあえず営業日が分かっただけでも良いということで、また来週に行こうということになった。
 
 そうしてたどり着いた中華料理屋でグラスが生ぬるいビールと油淋鶏をつまみながらポツポツ話している間、上司のスマホが胃痙攣を起こした犬の様に何度も震えた。
「最近嫁がさー、俺が外出多いからってめっちゃ厳しいの。最近GPSアプリまで入れられてすげぇ嫌なんだよね。監視されているみたいで」
 そう言いながら上司がスマホを眺める。
 
 それを聞いて「まぁ、それだけ自分勝手にやってりゃそうなるでしょうよ。うんこの匂い嗅いでくせー!って言ってるくらい当たり前の事ですわ」と思いながらも「心配だったり、愛情みたいなものの表現方法じゃないんですか?」と言うと「昔はそうだったけど今は違うかな」と苦笑いしていた。
 それに対し色々思う所もあったが、いちいちそれを言うのも野暮というものなのでフォローを入れる。相手は上司だ。

「人の感情ってどうしても受け取る側は受け取る側でフィルター掛かってしまうものですし、何より感情というものは絶対に0か100とかではなくてグラデーションになっているものですから決めつけてしまうとお互い辛いんじゃないですか?」
 なんてことを言いながら餃子をビールで流し込む。興味の無い他人の悩みほどどうでもいいものはないがこの言葉で上司は少し表情が柔らかくなったので良しとする。
 
「今日もさ、ちょっとご飯いって仕事の話してくるって言って来てるから。お酒のんだってことバレると怒られるんだよね」と言いながらビールのおかわりを注文する。それに便乗して私もおかわりを注文しグラスに残ったビールを一気に飲み干した。
 やることやって被害者面して面白い生き物だな、とアルコールで鈍くぶよぶよに膨れ上がった脳みその中で思う。
 それでも彼は彼の中で何かの答えを見つけたようで「帰りに嫁に何かお土産買っていこうかな」と帰っていった。そういうことじゃない、と言ったところで通じそうにないので黙っておいた。
 
 なぜ自分の行いが問題であると自身で気がついているにも関わらずそれを正さないのか。
 漫画「ナニワ金融道」では間違っているという自覚がある人間と、主張が正しいと本当に思っている人とで、駄々をこねる人間は前者に多いという様なことが書かれていた。
 きっと自身の問題や間違いというものを認めてもらう事で、間接的に自分という存在を認めてもらいたいのだろう。そういうきらいがある人間というのはどこか自己肯定感が低い性質を持っており、それを必死に隠そうとしてまるで自信家であるかのような振る舞いをしている様な印象を受けることが多い。全く以て滑稽である。

 その日は生中を3杯ずつ飲んでさらっと解散した。
 
 そしてその翌週、かねてより決まっていた飲みに行く月末金曜日がやってきた。

 前々から決まっていた(そして先週、この飲みの席について話題に上がっていた)にも関わらず、ぎりぎりになって客先で行われる年イチでの講習会が行われるため少し遅れるという連絡が来た。
 なぜ年イチで事前に予定として決まっていた講習の日に飲みに行く予定を入れるのか。彼の正気を疑ったが、どう見ても正気を失っている人間のそれを疑うというのは愚行だった。疑う余地は残されていない。
 とはいえ、当初30分くらい待たせるかもという連絡があった割りには15分ほどで帰社してきた為にさほど待たずに済んだ。無事合流し、件の最近できた居酒屋へと向かった。

 上司はもう楽しみでしょうがない様子で、ずっとメニューには何があるかと想像を膨らませている。そういう想像は出来るのに他人の気持ちは想像出来ないというのは不思議なものだ。共感能力はなかったとしてももう少しその想像力を他に活かしてほしいものである。
 
 件の居酒屋の店内は小綺麗にまとまっており、居酒屋というよりは小さな町の食堂といった雰囲気であった。店内には先客が一人、店主の女性と顔見知りらしく親しげに話している。こういう人がゆくゆくは新規客に絡む常連客へと進化していくのだろうか。
 メニューは日替わりの様で上司の切望していた刺し身系統はなかったが比較的リーズナブルで品数も豊富であった。
 
 まずはキリンの瓶で乾杯し、お通しのポテトサラダで舌鼓を打つ。丁寧な味付けにビールが進む。
 思っていたよりも店の持つポテンシャルが高く一人で仕事帰りにゆっくり飲むのにちょうど良さそうだ。
 
 結局3時間程で結構な量を飲み、二人共フラフラになったので会計をして店を出た。二人の帰路のちょうど分かれ道で上司に挨拶をして別れようとした所で上司の口から「俺って上司としてどうかな?」というイカれた火力の質問が飛び出した。
 その質問をしてどうしようというのだろうか。ここでバカ正直に「いやあ、どうもこうもないですよ」なんて酔っ払っていたとしても言えるわけはない。
 アルコールの霧が完全に去った今となってはなんと答えたかは覚えていないがなんかそれっぽい事をいって流した覚えがある。
 それに対し上司は「君から本心を引き出すにはまだお酒が足りなかったかな」と一度は食い下がったものの、その後納得(したかは別として)した素振りを見せて帰っていった。
 
 その上司は以前から「俺さ、人の気持ちとか疎いほうだからさ」とよく漏らしていた。さすが38年生きているだけあって自己分析をしっかりされている。しかし疎いと分かっていてなぜ改善をしようとしないのか。
 結局のところ彼自身それをさほど問題だと思っていないのだろう。そして行くところまで行った後に「俺ってこういう人間だから」と自己憐憫に浸る。
 彼は治す気がないのだ。問題を認知している事とそれを改善する必要があると思うことは全く以て別物だ。そしてたまに思いつきで改善をしようとしていてもその手法が途方もなく間違っているなんて事もままある。
 P(計画)・D(実行)・C(チェック)・A(アクション)とはよく言うが彼のそれはPiss・Disaster・Chaos・Assholeといっていいほどお粗末なものだ。
 このお粗末な改善は傍目に見ると滑稽であり、38年生きてきた人間のそれには見えないがそれを頭のおかしい人間と評価するのは些か早計である。
 一見すると改善に見えないそれだが彼としてはこれで十分なのだ。なぜならこれは「あくまでも改善をしようとしています」というアピールのために用いるものであるからだ。
 これらは言語によるコミュニケーションの発展型とも言える。
 なぜなら、彼の「上司としてどうかな」であるとか「人の気持ちに疎い」という発言は実際にその質問の答えを求めて、あるいはその事実を伝える為に発せられるものでは無い。
 
 まず、この「上司としてどうかな」というものは「私なりに努力し、あなたを慮る気持ちをもっています」というニュアンスが感じ取れる。そして次に「気持ちに疎い」だが、これは「自身の問題を自認しており、反省の意志はあるのでその点については触れないでほしい」という様な意図が汲み取れる。
 京言葉の「今日はどちらへ?」「ちょっとそこまで」という様な挨拶と近いものがあるかもしれない。
 あえて言葉の指す本質をぼかす(あるいはずらす)ことによって言い辛いことを表現しようとしているのだ。
 
 直接的な表現を用いる事によって相手に与える精神的な負担(あるいは発話側の負担)を軽減するためにこうした表現を用いるのだろう。
 
 他にも日常生活を暮らす中では、上記と同様の一見するとイカれた発言に見えてならない例が散見される。それらは私達が暮らす中でストレスの原因の一つになっているがそれはただ彼らの発言の意図が表層に現れていない為に起こる齟齬である。
 そしてそれは逆に自分自身が相手に対して真摯に「伝えよう」として選んだ言葉も相手に取ってはまた違った映り方をするということを示唆している。
 身につまされる思いだ。
 
 人間とはどうしても分かりあえないものである。今回の一件で私は上司に教えられた。これからは言葉を用いらない彼らでもわかる単純明快なコミュニケーション方法を探していく必要がある。
 
 例えば、拳とか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?