新興宗教施設へ行ってきた話

はじめに

 新興宗教と聞くとどんな印象を抱くだろうか。「なんかやばそう」という感想を抱く人は少なくないのではないだろうか。しつこく勧誘されそう、だとかお布施や高額な霊感商法などによる生活の崩壊。人によってはオウムの凶悪事件を連想させる人もいるだろう。なんにせよ、概ねネガティブな印象をもつ人が多いように思う。しかし新興宗教というのも数多く存在しており、それを新興宗教という一括にして評価をするというのは些か早計な様に思う。
 というわけで私が自らの足でひとつのとある新興宗教施設へと赴いた記録をあくまでも私の主観として、個人的な感想を残そうと思う。これを興味本位で覗いた方の新興宗教というものへの偏見、あるいは差別的な意識を薄める材料になればいいと思う。
 とはいえ、これらはすべて私の見たもの、インターネットを使って調べた知識でしかないので正しいとは限らない、という事を留意頂きたい。あくまでも興味を引くきっかけ、あるいはエンターテインメントの範疇で読んで楽しんでいただければ幸いである。
 
 2022年夏、私は友人と岐阜県は高山市にある「光ミュージアム」へと行ってきた。というか、我々は鶏ちゃん焼き食べたさに岐阜まで出かけ、そのついでに(というと聞こえは悪いが)、エジプト展を開いていた光ミュージアムへと行くことにしたというのが正しい表現になる。
 ミュージアムはピラミッド状の建物で中は吹き抜けの様になっており、嫌味のない高級感の漂う内装は眼を見張るものがあった。ところどころ、所謂「インスタ映えスポット」のようなものもあり、比較的時代の波に乗っているような印象を受けた。
 入館時、受付の横に「崇教真光」のパンフレットと「お布施のご案内」のような紙が置かれているのに気がついた。「崇教眞光」といえば「手かざし」で有名な新興宗教である。名前だけはぼんやりと知っていたがここで邂逅するとは、と思わずマスクの下で笑みが浮かぶ。
 そういう目で見るとピラミッド状の建物、館内で定期的に行われるライトアップ、そういったものがまた別の意味が込められているのではないか、と思えてくる。とはいえ、中の展示には些かばかりのスピリチュアルな香りは漂っていたがそれ以上に親切な係員といい清潔な館内といい居心地は悪くなかった。
 それから我々は最後にお土産屋を冷やかして帰ろうか、という事になりエスカレーターに乗り地上へと上がった(館内は個性的な作りとなっており展示などは地下?になっている)。
 お土産屋にはエジプトの香水瓶などが置かれており(それもリーズナブルだった)、なかなかおもしろかった。見て回っていると途中から売り場に仏具のようなものが増え始めた。おリンをのせる座布団のようなものからお供物サイズのお膳、徳利にお猪口。そこまではまだ個性的だ。という感想でなんとか片付けられたかもしれない。その後に私を待っていたのはかごに大量に積まれた「ミニ乳首」という商品だった。
 ミニ乳首である。それも数百円だったと思う。見た目は小さな哺乳瓶の飲み口だ。しかし商品名は「ミニ乳首」。おそらくそれを眺めていた私の広角は5ミリほど上がり、口は半開きだったと思う。
 ミニ乳首に目を奪われていると後ろから甲高い声が響いた。
「あらぁ、きれいねぇえええ!」
 お土産屋に響き渡るマダムの声。思わず振り返ると白いジャケットをお召になったマダムが香水瓶を前に声を上げている。しかしその甲高い声には抑揚が欠けておりそれが違和感の元になっていた。
 そのマダムの胸元には金色の六芒星のブローチ。「あぁ、多分宗教関係者だ」そう冷静に考えながらも、なんだかここに居ては行けないような気がして我々は足早に帰路についた。
 それが私と崇教眞光とのファーストコンタクトであった。

崇教眞光とは

 崇教眞光は岐阜県に本山をかまえる所謂、新興宗教で元軍人の岡田良一氏により前身となる「L・H陽光子友乃会」が発足。その後「世界真光文明教団」へと名前を改める。
 岡田良一氏の死後、後継者争いが勃発。養女である岡田恵珠氏率いる「岡田派」と教団幹部であった関口榮氏率いる「関口派」に別れ、これが裁判へと発展する。裁判は和解という形で落ち着くが「世界真光文明教団」の名は関口派が勝ち取る形になり、その後岡田派は「崇教眞光」と名を改めて活動を継続する。裁判としては実質的に関口派の勝利ではあったが、分裂の際、皮肉にも信者の多くは岡田派として「崇教眞光」へと移っている。
 「手かざし」と聞くと平成初期頃、オカルト系のテレビ特番などでその奇跡のようなものがよく取り上げられていたので記憶の奥の方に「あぁ、そういえばそんなものもあったかもな」と思われる人が多いかもしれない。とりあえずだいたいそんなものとして認識して頂ければ最低限の知識としては十分である。詳細に関しては必要と思われるものはまた後述する。興味がある方はここらでご自身で調べて頂きたい。

いざ、崇教眞光の道場へ

 光ミュージアム行った日から随分と経ち、それこそ崇教真光という名前が頭の中で埃をかぶり始めた頃、仕事を終え帰宅すると郵便受けに小冊子が入っていた。
「幸せになるためのヒント 陽光ライフ 神様の計画」
 そう紺色のインクで書かれた見慣れない語感の文字の羅列に興味がそそられ、玄関の前で思わず冊子を開いた。ざっと流し見すると「神様の計画」としてこの世界はどのようにして生まれたのか、そしてどうすれば人は幸せに、そして平和に暮らせるようになるのか、というものが簡単に書かれている。それらを流し見しながら裏面を向けると「崇教眞光」という文字が目についた。それだけではなく、近隣にある道場やお浄め所の地図や住所がかかれており、末尾には「お気軽にお出かけください!!」とまで書かれている。

 そうか、お気軽に行っていいのか。そういうなら行ってみようか。と思いその週末、私は崇教眞光の道場へと行くことにした。
 
 その次の日曜日、早めの昼食を済ませ、私は道場へと向かった。
 建屋はなんというか、古くからある町の小料理屋とか、書道教室のような風貌だった。二階建てで、二階の窓の横にはおなじみの書体で「崇教眞光」と書かれた看板が出ている。光ミュージアムや桃があしらわれたあの有名な本山とはまた違った趣で住宅街の中に見事に馴染んでいるような印象を受けた。そこに続々人が集まっている様子を横目に「なんだか思っていたよりも人が多いな」と落ち着かない気持ちを抱えながら駐車場へと向かう。正直なところ、この時点での人の多さに一度もう帰ろうかな、とすら思った。
 駐車場は住宅街の一棟分のスペースが取られており、二人の男性が案内を行っていた。駐車場へ入ると二人のうちの一人がにこやかに対応してくれた。飛び込みで伺った旨を伝えると本日は月に一度の集まりの日の為、奥に車を停めると出られなくなるから、と出やすい場所を案内してくれた。また、集まりは行われているがその見学もさせてくれるとのこと。

 その時の私はといえば、髪の毛はオールバックでガチガチに固め、柄シャツにやれたコットンジャケット。エドウィンの503にレッドウィングのブーツ。極めつけは色の濃いティアドロップ型のサングラス(流石に車から降りたところではメガネへと変えたが)という格好であったにも関わらず表情一つ変えずに、快く迎え入れてくれたりと彼らの寛大さを強く感じられた。
 好意に甘え、見学させてもらうことにした私は案内に従って建屋へと向かった。すると玄関前で「導師」と呼ばれる女性とまた別の二人の男性が出迎えてくれた。本日の案内はこの導師が務めるとのこと。導師は黒のニット調のセットアップで下はスカートであった。案内してくれた男性や玄関前で出迎えてくれた男性と同じく胸元には六芒星のブローチが輝いていた。それを見て、私が光ミュージアムでみたマダムは崇教眞光の関係者であったのだと改めて思うと同時に妙な興奮が胸のうちにわき起こった。
 建屋に入ると一階に給湯室を兼ねた多目的室、奥にお手洗いが4つ(内1つが男性用、しかし集まりが行われている関係かその日は男女兼用となっていた)。印象的だったのは玄関から入ってすぐ、大きな業務用の手洗い場が設置されていたことだ。コロナウイルス感染防止の為にしては些かばかり気合が入りすぎているしなにより年季も入っている。案内されるままに二階へと上がると畳張りの広い部屋が広がっていた。そこでは続々と集まっている信者たちが手かざしをしていたりうつ伏せで寝ている人に指圧のようなことを施していたり、数名で集まって世間話に興じていたりしていた。そのほのぼのとした光景は町の公民館での集まりのような空気感を感じさせた。
 
 その部屋の正面には神様を祀る掛け軸のようなものと大黒様に酷似した仏像。その両脇には大きな文字で何かが書かれている。左手には「若人よあこがれを持とう!」と書かれていた(右手にも何かが書かれていたが思い出すことが出来ない)。その言葉にクラーク博士が頭の奥、隅の方からちらりとこちらを見てくる。
 案内してくれた女性導師より今日が「月並祭」と呼ばれる集まりの開催日だったという事、またそれは日々の様々な事をお祀りする神様への感謝をするためのものであるとの説明を受けた。今日は月並祭と交換会が行われるので人が大勢あつまっているんですよ、と彼女はどこか嬉しそうに笑っていた。
 私が今日伺ったのは、郵便受けに陽光ライフが入っていた事、また趣味で文化としての宗教について勉強しているので勉強をさせていただければと思っての事。と伝えると大層感激したとでも言うようなオーバーリアクションで「それは素晴らしい!お若いのに!」と言われ、なんとも言えない気持ちになる。
 ちょっとの世間話をするなかで彼女は30歳で(私の1つ上だ)、二世信者にあたり10歳の頃に入信してからずっとおつかえしている。とのことだった。そのことについて掘り下げたい欲に駆られたが流石に聞くことは出来なかった。

 それから、月並祭まで時間がまだすこしあるから、ということで導師が「手かざし」を施してくれるとのことでお言葉に甘えてお願いすることにした。
 座布団の上に座り、まずは神様へお祈りをする。その際に特徴的に思えたのは合掌、拝む際手のひらを地面につけない様、上を向けていたことだ。後に聞いてみたところ、手かざしをする手を地面につけるのは良くないから、とのことであった。それを聞いてあの大きな手洗い場は手かざしを行う手を清潔にするためのものだったのかもしれない、と一人で勝手に納得した。
 お祈りの後、導師に背中を向ける形で座り、胸の前で合掌。背面から手かざしを実施(10分ほどであったが体感としては随分と長く感じられた)。その後、どこか体調の悪いところはないか、夜は眠れるか、という質問に対し「強いて言うならば胃の調子が良くない」と伝えると今度は仰向けになるように言われる。おそらく胃に向けて手かざしをしてくれたのだろう。
 この手かざしによって場合によっては逆に調子が悪くなるということもあるのでその際はまた来てほしいということだった。少なくとも何らかの影響はあるとの事だったが手かざしから現時点では悪影響は出ていない。しかしその日の昼に食べた横浜家系ラーメンによる胃もたれなどは(体調が高調ではない日には起きる)起きていない為、いい影響をもたらしているとも言えるが公正な判断を下す上ではその因果関係を認めることは出来ない。
 その後、交換会と呼ばれる会の時間となったため、列の後方で見学をさせてもらった。交換会では二人一組となり、互いに手かざしをしあうというものでその際には神様を祀っている祭壇に背を向け、対面している人間に対し手かざしを行っていた。これにもなにか意味があるのかもしれないが聞くタイミングがなく、不明のままである。
 交換会が行われている最中、導師よりも位が高そうな、上等そうな生地のブラックスーツの男性が私に手かざしを施してくれた。その際、導師とはまた手法が変わり、お祈りの後に背中、肩、後頭部に指圧のようなものも施してくれた。その合間に手かざしが行われていた様である。確かに肩は少し軽くなった気がする(また、壁には整体などに貼られているツボの書かれた人体図のようなポイントが記されたポスターが貼られていた。気功やツボ押し系と近いものがあるのかもしれない)。
 交換会では手かざしの後に「おしずまり」と3回大きな声で唱えられていたのが印象的。見学する際、「びっくりするかもしれません」と導師が事前に言っていたのはこの事を言っていたのかもしれない。確かに実際びっくりした。
 交換会の後、少しの間を挟むと月並祭が始まった。
 月並祭の前には幹部らしき男性より非常用食料のカタログが新しくなったので欲しいものがある日は是非注文を、またどうせなら美味しいものを、などと話して笑いを取っていた。それと同時に災害等の非常時の心構えなども話しており、その際にはまずは神様に感謝し、落ち着いて行動をしてください。という話も出ていた。冗談を交えながら非常食のセールスを行う男性の姿は昔見たテレビドラマ「トリック」を連想させた。
 その後、幹部らしき数名が挨拶、お祈りを行い、信者がそれに続く。司会進行を緑色のジャケットに白に近いベージュのスラックスを着た男性(比較的若めの印象)が行っていた。そんな月並祭の最中、私の横に「隊長」と呼ばれた男性が座り、経本を手にレクチャーをしてくれた。隊長も司会進行を行っている男性と同じ服装であり、それもまた「トリック」感を一層感じさせた。あのドラマの制作陣にはどこかの新興宗教に以前入信していた人が本当にいるのかもしれない。
 月並祭の内容としては
 お経 → お経 → うた(スナオという名前で曹洞宗の49日の修行を歌う歌に近い特徴的な抑揚の歌であった)
 というものを2回繰り返すものだった。内容は全く同じものを二周した後に比較的長めの1拝が行われる。その間は基本的に正座。
 一周目のスナオという歌を一度歌い終えた後、導師より「一節目の抑揚が足りなかったのでもう一度練習をしましょう」とダメ出しが入り、そこで再度その節のみ練習が入った。そこから導師のこの月並祭への強い熱が感じられた。
 その後、信者による近況報告のような発表を数件行い、月並祭は終了。
 近況報告の内容は「母の介護の為、活動が行えていなかったところ脹脛の肉離れが起き、それが完治したと思えば今度は膝に関節痛があらわれ、正座も出来なくなってしまった。これは神様は怒っていらっしゃると思い、今年から活動を再開したらみるみるうちに膝が良くなり、今では問題なく正座もできるようになった」というものと「久しく道場へ通っていなかった娘より先日LINEがきた。職場に手かざしをしてくれる人がいて体調不良が治ったとのこと。残念なことにその方は他宗教の方であったが娘が再び連絡を寄こしてくれて道場へもきてくれるようになったのは神様のお導きである」というものであった。
 月並祭の後は幹部からのお話が行われる。そこで導師よりここも見ていかれますか?と聞かれ(交換会開始前、月並祭開始前にも同じことを聞かれている)、流石にいつまでも居座り続けるのはどうかという事と、最後まで居て幹部に囲まれるの可能性に些かばかりの恐怖を覚え、そこでお暇することにした。
 最後、玄関まで導師が見送ってくれた。
 帰り際、導師は平日は朝の9時から夜の9時まで、土日は夜7時まで道場は開かれているので是非、またいらしてください、というお言葉もいただいた。
 また、基本的に導師はこの道場に常駐しているとのことで、住まいとしての住所はこの道場になっていると言っていたが「住所は」という表現に違和感を覚えると同時に、ここに住んでいるのか?それとも書類上ここに住んでいる事になっているがまた別のところに住んでいるのだろうか、という疑問は湧いたがそれ以上深掘することは出来なかった。

 それから、道場をあとにした私は軽快な足取りで車に乗り込むと一路、隣町の喫茶店へと車を走らせた。ひとまずコーヒーを飲んで頭を整理したかった。
 こうして一度目の崇教眞光、小道場への訪問は幕を閉じた。

「是非、またいらしてください」
 導師はそう言っていたので、その翌週、私は調子付いて二度目の訪問を行った。
 ちょうど特に意味のない有給休暇を取っていた月曜日に知人も興味があるということで連れ立って朝から小道場へと向かった。道中、喫茶店へ寄ってドーナツとコーヒーで腹ごしらえをする。流石に二度目ともなると緊張は当初と比べて薄れていたが同行する知人はどこかソワソワしている様子だった。
 道場につくとまず驚いたのは駐車場がほぼ満車だったということだ。なんとか一台分のスペースを見つけ、駐車すると一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けて道場へと向かった。前回の月並祭と同じくらいの車が停まっている。普段はこんなに集まることはない、と聞いていたが今日はなにかのイベントだろうか、とよぎったが思い当たる節はない(崇教真光にはいくつか月毎の集まりのようなものがある。月並祭、月始祭等・・・)。
 とはいえ、いつまでも駐車場でうだうだしているわけにも行かない。ええいままよ、と我々は戸口を叩いた。
 
 導師を尋ねると今日は平常時だからか前回の落ち着いた黒のセットアップから打って変わって薄いピンクのニットにベージュのチェック柄のスカートという出で立ちであった。ピンクのニットはどこか野暮ったいような、街の小さなスーパーの婦人服売り場的な趣が感じられる。それはそれで似合っていてとても良かった。
 笑顔で出迎えてくれた導師に案内されるままに多目的室へと通された。
「今日は人は50人位集まっていて・・」と申し訳無さそうに言う姿に飛び込みで来た私としては申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 
 少しするともうひとりの准幹部と呼ばれる女性がやってきて私にお浄めをしてくれるとの事。横では知人が導師からお浄めを受けている。
 准幹部は60代位だろうか、品の良さそうな背筋の伸びた細身な女性で中学生の頃に入信して一度離れる機会はあったものの娘や孫も今では信者であるということだった。そもそものきっかけは当時母親が病に倒れた所、藁にもすがる思いで同級生が入っていた崇教真光の手かざしを受けた所、母の病状がみるみる回復したことだという。その話をする際、彼女は穏やかに笑っていた。
 それから以前受けたのと同じ様にお祈りをした後、座して後ろから手かざしを受け、次にうつ伏せで手かざしを受けた。その祭、私のほうが先に受け始めたにも関わらず知人のほうが先にお浄めが終わったところをみるに人により時間には多少の誤差があるようだ。また、うつ伏せでお浄めを受けた際にはやはり背中に指圧を受けたが導師から受けていた知人には指圧は行われなかったようだ。思い返すと前回私が導師からお浄めを受けた際にも指圧はなかったのでこれもまた人により差があるようだ。
 お浄めの後、導師が「ちょっと、面白い実験のようなものをやりませんか」と我々の答えを待つ前に席を立った。
 導師は手にコンビニのプリンについてくるようなスプーンと醤油の小瓶を2本もって戻ってきた。準備する二人はなんだか知育菓子を前にした子供のような、ワクワクを隠せないとでも言うかのような表情を浮かべている。
「ここに2つあるお醤油はコンビニで買ってきた同じものなんですが片方には手かざしを施しています。しょっぱいので気をつけてくださいね」
 そう笑いながら私達にスプーンを差し出す。まずは手かざしをしたものから、と醤油をスプーンに垂らして味見。醤油である。ごく一般的な醤油だ。一度、お茶を一口飲んでから次に手かざしをしていない方の醤油。正直な感想としては一口目の方が幾分か旨味成分のようなものを感じられたが一口目の塩分過多のおかげでお茶を飲んだところで舌先には醤油の塩分の後遺症のようなピリつきが残っていたのでそのせいで味覚が鈍化してそう感じただけではないか、と思えてしまう。
 導師はこういった食品から車のようなものにまで手かざしの効果は現れます。実際、動かなくなった機械に手かざしを行った所動くようになったり、東日本大震災のときには家の前の土地に手かざしを行っていた夫婦は手かざしを行っていたところで津波が割れて周りの家は流されてしまったが夫婦とその家は無事だったなんてこともあったという。東日本大震災の一件に関してはインタビューもされていて記録が残っている。と言っていたが帰宅して調べてみたもののそれらしいものは見当たらなかった。
 
 帰り際にわがままを言ってなにか教えについて詳しく乗っている資料みたいなものはないかと聞いてみた所、L・H陽光出版 真光問答という本を頂けた。
 今度は是非お車のお浄めもさせてください。とありがたいお言葉まで頂けた。宗教施設で冊子にも「お気軽にお出かけください!」と書いていたとはいえ、怪しい出で立ちのオールバックの男がふらりと現れてそれを笑顔で受け入れる、というのはなかな勇気が居るものだと思うし、それで快く詳しく解説してくれたり、お土産まで頂けるという事はなかなか見ない親切さではないだろうか。
 
 そうして二度目の訪問は幕を閉じた。
 
 そろそろくどいと思うかもしれない。とはいえ私のわがままで本をもらっておいてお礼をしないというのは個人的にどうかと思ったので少し日は空いてしまったが簡単な菓子折りをも持ってお礼に行ってきた。
 当日、導師はお休みということで不在であったが前回お世話になった准幹部が対応してくれた。どうせなら神様に奉納して行ってください。ということで、用紙に記入し、それをなにやら賽銭入れのような箱に入れた後、お祈りを済ませた。
 お祈りの後、道場長からお浄めをしてもらえるということで、道場長の準備が出来るまでは私が、とまた別の女性がお浄めをしてくれた。今回は座った手かざしの後、うつ伏せでお浄めを受ける際、肩、背中、足まで軽くマッサージもしてもらえた。これがまたなかなか気持ちが良くてウトウトしてしまった。
 横では初老の女性同士が「最近足が痛いから足を重点的にお願い」なんていいながら足のもみほぐしをしていた。そんな様子を横目にお浄め(というかもみほぐしというか・・・)を受けていると「左肩がこってるね」と重点的にもんでもらえた。
 そんな事をしていると道場長がやってきて最後に魂のお浄めをさせていただきます。と対面で額に手かざしをしてもらえた。
 三回目の訪問は目新しいものが減り、こうして書くことがなくなってくる。あっけなく終わってしまった。
 しかし、今回、初めて本当に平常時の比較的人が少ない日常的な道場の姿を見ることが出来たがそこはとても平和で小学生の頃、連休で祖父母の家を訪ねたときのような「のんびり」した空気が漂っていた。
 現代ではめっきり減ってしまった人と人のインターネットを介さない人間関係とうものを、言ってしまえば月額500円で集まる場を買っている。という目線で見るとそれはいっそ健康的な様にも思える。
 
 こうして本当に一通りの私の道場訪問記は一段落となる。しかし多分また行くだろう。勧誘を受けるか、もう来るな、と言われるまで行くと思う。その際また何か感じるものなどがあれば(かつこの記事に興味を持ってくれる人がいれば)、また続編のようなものが作れればと思う。
 
 さて、そんな崇教真光の道場だがそこで見てきたもの、感じたものとネットに流れている情報を交えて考察していく。

崇教眞光ってやばいのか?

 結論から言ってしまうと、「ヤバいといえばヤバいし、ヤバくないといえばヤバくない」である。
 なんだよそれ。そんなありきたりな落とし所なんて求めてないんだよ。と思われる方が多数だと思うがその判断はもう少しだけ待って頂きたい。
 
 まずはヤバくない、という側面についてだが、そもそも崇教眞光と言わず、新興宗教をやめた人の声として多いものは「親が信者で強制的に入れられた」「周りの目が辛い」「休みの日に宗教関係の都合で自由が効かない」「お布施、霊感商法などの経済的な打撃」というのが多く目につく。
 まず、親が信者でありそのせいで強制的に入れられ(場合によっては辞めることが困難である)ということだがそれは宗教が悪い、というよりは親が悪い、ということになるのではないだろうか。選択権があるにも関わらずそれを選択させることをしない親側の問題である。そして辞めることが出来ない、というのもまた親側、その手続を渋る人間側の問題である。崇教眞光に関しては辞めたいが名簿から消してもらえない、という声もあるがそれと同じくらい簡単に辞める事ができた、という声もある。この問題に関してはその人の関係者の問題であり、宗教そのものが悪いか否か、という問題とはまた別の問題になる。
 次に周りの目が辛い、というものだ。これに関してはその好奇の目で見る周りの差別的な感性の問題となってくる。差別は良くない、と言いながらもやはり自分がその人から不利益を被った訳でなくても差別的な目で見る。いわばこれも周りの問題になる訳だ。またその後に続く、休みの日に宗教関係の都合で自由が効かない問題、お布施、霊感商法に対しての問題に関してもその宗教に関わる「モノ」「時間」に対して自分が支払う「コスト(金銭、時間)」がアンマッチであるならばその人には信仰を辞める権利がある。それは辞めれば済むだけの話だ。それは宗教が問題ではなく、ただただ買い物において「それにお金を出すだけの価値がないから買わない」という事象と何ら変わりはなく、逆にお参りしたりそういった宗教的なものに何かしらのコストを支払うことで救われたい、と思うのであればそれを支払うというのは至極全うなことではないだろうか。新興宗教だからどう、という問題ではなく、「宗教的なものにお金を払うのは愚かなことだ」という偏った意識を社会が必要以上に騒ぎ立てていることの方が問題ではないだろうか。 
 
 この意見は新興宗教に関わり(あるいは親族が主教関係者であり)、実質的な被害を被った人から「だとしても自分がその宗教から被害を受けて嫌な気持ちになったことは変わりない」というカウンターを産むかもしれない。その声は大変もっともである。しかしながらやはり、「先天的なものであろうと、後天的であるが自身の意志で逃れることの出来ない事象で不利益を被るという事は新興宗教であろうとなかろうと人生においては往々として起き得ることだ」という事実もまた変わらない。不条理、不利益というものは生きている以上避けられない手合の事象であり、その事実に宗教という要素を絡めるのはまた違う様に思える。
 それに、実際第三者の目から見て救われているかどうか、というのはまた別として本人が藁にもすがる思いで入信し、宗教活動を行うことで精神が少しでも救われているという事実が存在するのもまた事実だ。まわりがどれだけ「そんなものは洗脳だ」なんて言ったとしても実際当人が救われているというのであればそこに第三者の意見なんてものは全く必要ない。周りの目に異様な光景として移っていても当人、あるいはその人の所属するコミュニティ内では何らおかしなことではない、ということは社会においては珍しいものではない。
 そういった側面からみると「ヤバくない」という答えにたどり着く。
 
 次に「ヤバい」側面について、だ。
 
 まずは比較的ライトなものから。
 フランスを筆頭に世界三カ国でこの崇教眞光はセクト(カルト)指定を受けている。カルト宗教というとまぁ「ヤバい」要素の一つに十分なりうるのかもしれない。さて、この次からが本番である。
 
 「大本」「大本事件」というものを皆さんは御存知だろうか。
 比較的(一部の人間の中では)、有名であるからちらりと耳にしたことがあるかもしれないが、ここでざっくりと乱暴な説明をすると「大本」とは全盛期には政治・軍関係者など権力を持つ人間を多く取り込み実質的な力を得ていた神道系新興宗教である。
 もっとも、この大本はそうして各方面の権力者を取り入れ、拡大しすぎたが為に目をつけられて教祖の投獄などで力を失う。その一連の事件を通称「大本事件」である。この大本事件も第三次大本事件まで起こる程に大規模なものだった為、この場での詳しい説明は省く。
 とりあえずの所、凄まじく簡単に説明してしまうと「いっときハチャメチャに力を持っていた右翼よりの新興宗教が政治的な影響力を持ちすぎていた為に、当局に目をつけられ徹底的な弾圧を受けた」というところだ。
 ただこの時にこの大本から分派していった新興宗教が多数存在する。その中で第二次大本事件の際にこの大本を去った人間の一人に一人の男がいる「岡田茂吉」だ。彼は後の新興宗教の一つである「世界救世教」の創始者だ。
 世界救世教は手かざしや自然農法の推進などを行っており、芸術活動にも力を入れている新興宗教だが彼の弟子であったのが崇教眞光の創始者「岡田良一」である(両者ともに岡田性だが血縁関係はない)。
 崇教眞光も世界救世教と同様に手かざしや自然農法に重きを置いており、共通点は多数存在する。
 このあたりで陰謀論なんかが大好きな人間のアンテナはビンビンに反応していることだろう。私も調べているなかで随分とゾクゾクした。これはもう「ヤバい」エッセンスが隠し味になっていない位に激しい自己主張を見せているのを感じる。
 
 「ヤバい」のはこれだけではない。崇教眞光の信者の中にはあの「安倍晋三元首相」がいるということだ。しかし、その事実はさほど話題になっていない。「統一教会」との繋がりの有無が話題になったと思えばそこから少し発展して所謂新興宗教の霊感商法の取締強化、そういったものが社会的にいっときメディアに取り上げられていたのは記憶に新しい。そういったメディアの大好きな、言ってしまえばネタになりそうなここの繋がりに関しては多少記事にはなっているものの認知度としては今ひとつだ。これも小さな違和感、「ヤバさ」に繋がってくる。
 また、その安倍晋三氏の入信のきっかけは石原伸晃氏の勧めがあってのことだという。そしてその石原伸晃氏の父はといえば、「石原慎太郎」である。そしてこの石原慎太郎氏、石原伸晃氏、安倍晋三氏、崇教眞光の創始者である岡田良一氏は全員、かの日本最大の右翼団体である「日本会議」で繋がっている。
 さて、このあたりで随分とゾクゾクしてきたのではないだろうか。
 
 実際、崇教眞光の創始者である岡田良一氏は元はと言えば軍人である。右翼思想を強くもっていてもさほど違和感はない。しかしそれが政治家と深く繋がっていてそれでいて認知度が低い、という事実を含めるとどうだろう。その上で、政治家と深い関わりをもって力を付けていたが故に大きく弱体化していった大本の姿を見た上で今なお、政治家と深い関わりがあり、信者として政治家を取り込んでいるという事実。
 ここまで来ると結構「ヤバい」と言える。なにか大きな力を裏で握っているのではないか、と私の陰謀論大好き脳が訴えかけてくる。
 他宗教がメディア露出のせいや、自然療法などによるトラブルで大きく力と信者を失っている中、(手かざしによる自然療法をしている)崇教眞光はその網を上手くくぐり抜け、大きな問題を起こさず信者数も国内外含めて100万人にも登る宗教となっている思うと、どうだろう。「ヤバい」という感情は加速していく。また、その信者数も、日本の総人口一億二千万としてその割合を考えると相当なものである。
 「手かざし」という周りから好奇の目にさらされそうなお浄め。そしてそれによる怪我や病気の回復に、土地へのお浄め。果てには農作物などへの手かざしで成長を促す。そういったものを行っている割にはそういった関係でメディアに大きくさらされるようなことが起きていないという事はなんだかそういう作用が人為的に働いているような気がしてならない。
 簡単にまとめると「大本がかつてしていたようなことをしていながら同様の弾圧を受けておらず、信者数の割に認知度も低い。また、社会的に問題になってもおかしくないような教えなどが存在するにも関わらずそれが問題(あるいはメディアのネタ)になっていない。その上で政治関係者と深い関わりがある」となる訳だが、そういう視点から見てみると崇教眞光は「ヤバい」と十分に言えるのではないだろうか。
 
 他にも「ヤバい」と思わせる要素に関してはネット上に多数存在する(逆に「ヤバくない」と思わせるものも同じくらい多く存在するが)。それらの中には書面の写しなど根拠としては比較的信頼出来るものも多数存在している。しかし、そういったものまで上げ始めるとキリがない為これくらいにしておく。

まとめ

 実際、私が今回道場へ行ったりした中であからさまに、どうみても奇跡としか言いようのない事象には出会ってはいない為、手かざしを「インチキ」だとも「本物だ」とも言いようがない。この崇教眞光の信じる神の存在や奇跡の存在を「科学的」に肯定も否定もするだけの根拠を持ち合わせていないのでそういったものに関しては一切合切手を付けずそれ以外の視点のみで考察を行う。
 少なくとも私なりに出来る限り、思いつく限り公正な目で見た結果からくる所感をまとめてみた次第だが、これにより不快に思う方が居たらこの場で謝罪をさせて頂きたい。申し訳ない。しかし、これらに私から多方面に向けての悪意はなかったものだ、というところを理解して頂ければ幸いである。

 新興宗教という枠に社会的に含まれている崇教眞光だが、胡散臭さのようなものは前項で感じられた人は多いと思う。しかし、同時にそれにより救われている人が一定数存在しているのもまた、確かである。胡散臭さがどんなものであれ、それにより実質的な被害、社会的な影響(真因がその宗教であるという前提で)が出ていない以上、私のような第三者が何かを口出しする権利はない。
 また、ネットでの教団の評判を見ると「それはあくまでもその個人に対しての意見であり、宗教に対してはただの言いがかりではないだろうか」と思えるものが多々ある。そういったものはただ何かに対して自身のフラストレーションをぶつけたいだけの意見でなないかと思う。グーグルの口コミでごはん屋さんに理不尽な口コミを残している人たちと同じようなものだろう。

 結局の所、この世界には多くの人が存在し、日常を送っている。ただその事実だけがある。終着点のオチとしては些かばかり弱いように思うかもしれない。しかし施設に足を運び自分の目で見た結果、それに加え関係する宗教に対してネガティブなイメージを持ち、そういった思想、意見をネットに流す人々。いろんな人がいろんな想いを抱えてただそこに生きている。そして人間なんてものはどこまでも人間だ。というただその事実だけが残った。
 私にはそれを肯定も否定もすることが出来ない。ただ、何も知らない上で否定する、ということはしたくないと思うし、してほしくない、と思う。そういったなんの根拠もないネガティブなイメージというものがこの文章によって少しでも減れば私としては幸いである。

おまけ 〜崇教眞光 光神殿訪問記〜

 崇教眞光関連施設の写真を見ていた所、一つ目を引くものがあった。それはマヤのピラミッドを模しており、光神殿と言うらしい。神殿とはまた、と思いながらもその造形には心惹かれる。
 しかし飛騨高山、私の暮らす街からは片道で5時間近くかかる。どうせ行くなら本山も含めて周り対し、泊まりで行こうか、しかし泊まりとなると休みの日数やコストも、なんて考えていたがある日、勢いでなんとなく行ってみることにした。
 
 道中、随分走っただろう、と何度もナビを見るも全然進んでおらず、もう8割来たんじゃあないか、とまたナビを見てまだ半分。走れども走れどもナビは進まない。極めつけは不安になる細い道に案内される。ガードレールはなく、直ぐ横は断崖絶壁。対向車が着たらここでバックなんて出来るのか、とヒヤヒヤしてみたり、そんな道を超えてもまだ着かない。
 これに関してはただただナビへの不満だ。
 
 そうこうしてなんとかついた先には一本の印象的なモニュメント。その横には守衛所のようなものがある。ゆっくり侵入していくと警備員の制服を着た(襟にはやはり六芒星)男性がにこやかにバインダーを持って現れる。
「どこの道場からおみえですか?」
 私は自分は「未組み手」(入信していない人)であることを伝えると、どこでここのことを知ったのかを問われた。一応、導師よりその施設の事を聞いていたこともあったのでその旨を伝えると何やら無線のようなもので少し話した後、バインダーに挟まれた用紙に名前と住所(県・市まで)を記入し、奥へと通された。道場の欄は空白にした。その日、私以外に未組み手は着ていなかったようだ。
 車で再び坂を登る。道の両脇には等間隔で灯籠が並んでおり、その上を木々が茂っている。その様はなんだが幻想的に見える。坂の途中にトイレのある小屋と国旗と六芒星があしらわれた旗が掲げられている。

 一番上までのぼると先程の男性と同じ制服を着た男性が二人、駐車スペースを案内してくれた。内、一人の男性が中を案内してくれる。石造りの門を越えながら挨拶や今日伺った経緯なんかを話す。
 なんでも今日は日曜日に控えた月始祭を前にお参りに来る人が多いとのことで、私の前には親子連れや中学生くらいの三人(三人とも緑のジャケットを着ていた。真光隊だろうか)を連れた女性が居た。
 神殿やその前にある大理石の建物、奥には小さな川が流れておりその音や木々のこすれる音が聞こえる。なかなか壮大で幻想的な風景だ。異世界感すら感じられる。
 神殿は事前に写真で見たものとはまた別にもう一つ別の神殿も建てられていた。そちらは二代目の方の岡田氏のものだということで両方ともお墓という事になって入るが遺骨が実際に納められているかは分からないとの事。
 神殿の説明(気になる方は是非行ってほしい)の後、神殿に向けてお祈りをしたが横で男性が私の名前とどこから来たのか(守衛には伝えていたが彼には話していなかった) をお祈りの中で言っていたことには驚いた。

 正直、景色の良さと吹き抜ける風の心地よさに座ってのんびり、ぼんやりと眺めていたい気持ちに駆られたし、なんなら記念撮影でもしてやりたい気持ちになったがそんなことが言い出せないくらいの厳かな雰囲気が漂っていた。
 結局滞在時間は20分ほどでお暇することにした。その後、本山にもいってやろうか、とも思ったが尺の関係でそのまま私は再び5時間かけて帰路についた。
 
 道場から神殿、ミュージアムまで総じて言えるのは圧倒的な「親切丁寧さ」だ。
 確かに一般開放もしている宗教施設(とミュージアム)だし、気軽にお出かけください!と言っているとはいえ、にこやかに時間を割いて詳しく説明してくれたり、なにより普通にお店に買い物に行っても(店によっては)怪訝そうな顔をされたりする私の容姿で、その上で「宗教そのものが好きで勉強の為にお話が伺いたくれ」という胡散臭さを体現した人物に対して、その親切さを発揮出来るというのは本当に「親切」なんだろう、と思う。アパレルやラーメン屋などそういった対応も含めてのブランディングとはいえ、親切さが欠けている現代に置いてはここまで親切なのは珍しいのではないだろうか。
 親切なのは普段来ない単身飛び込みの未組み手であるからではないか、という意見もあると思うし、実際その要素もあると思う。それでもその親切さを向けられて悪い気はしないし、なにより「あくまでも私が体験したことに対しての感想」しか言えないので私としての感想は「親切丁寧であった」という枠を出ない。
 
 とまぁ、そんな感じで光神殿訪問記はあっけなく幕を閉じた。本当にあっけなかった。帰りの道中、少しでも観光感を出そうと申し訳程度に鶏ちゃん焼きを食べた。次は今回の訪問で名前を出させて頂いたことの報告とお礼でまた道場を訪ねてやろうと思っている。気を遣わずにまた来てください。と言っていたし。

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