集団ストーカーの謎を追え

 友人の大学の同級生に少しばかり変わった女性がいる。創価学会やらヨーロッパのテロ、ナチスに戦争・・・様々な陰謀論をごちゃ混ぜにしたような(それも妙な日本語表現を用いて)内容をSNSに投稿し続けている。
 どうやら統合失調症に近しい症状が現れているらしい。
 
 ここで個人的に疑問に思ったのはなぜこういう手合の人間は創価学会を目の敵にするのか、というところだ。日本には新興宗教の数はそこそこある。そんな中でなぜ創価学会にフォーカスするのだろう。
 調べていた中で統一教会も同様にちらほら名前が出たがそれでもやはり創価学会というネームが圧倒的に多い。創価学会といえば池田大作の存在が強いが一線を退いた後や死後は一気に勢いを失っている印象だ。
 それでもなお、なぜこんなにも統合失調症患者(あるいはそれに近しい人々)の心を掴んでやまないのだろうか。
 
 まず、一番に上げられるのは全盛期の過剰な勧誘からくるイメージだろう。家にやってきてこんこんと創価学会の教えの素晴らしさと他の宗教の教えがいかに間違っているか、というところを詰める。そういった手法を用いて今で言う”論破”をすることで勧誘をしていた背景がある。今ほどではないとはいえ、それなりに昔から日本は無宗教に近い国民性を持っている。自分の宗派の教えを詳しく知らない人にはそれに反論をする武器があまりにも少ない。
 そういった強引な勧誘が新興宗教という大きな括りでのイメージに大きな影響を残した一因であると思うとその影響力は大きい。
 そして、その後に退会した人間たちに対して一部の信者から嫌がらせが起きていたという事実なども集団ストーカー行為に結びつけるに至る原因の一つだ。
 実際にそれに近しい行為をしていたというのであれば、自身に起きた何らかの不具合の原因を遡及推論する上で持って来やすい要素となりうる。
 
 次に公明党の存在だ。支持率は世論調査なんかを見れば一目瞭然ではあるが、それでも名前が知れた政党であることには違いはない。そして政治にも宗教にもあまり興味がない人間でも「公明党って創価だろ?」となんだか全てを知っているかのような下卑た笑いを浮かべたりするくらいにネガティブなイメージが強く根付いている。
 その存在感が一人歩きし、一般市民では踏み入れることの出来ない陰謀渦巻く政治の世界にも繋がりのある宗教団体という印象が肥大化していったのではないだろうか。
 
 また、日本の2020年時点での一般世帯総数は4,885万世帯、それに対し創価学会会員827万世帯(創価学会による公表)という安易に調べれば出てくる情報を鵜呑みにすると約5世帯に1世帯は創価学会員ということになる。一度疑心暗鬼になった人間からすると少なく見積もっても10〜20人とすれ違ったらそのうち1人は会員では、という恐怖に襲われてもおかしくない気がする。
 しかし冷静に考えると公表された数字が”会員数”ではなく、世帯数というところに違和感を感じるはずだ。実際、私の周りに数人創価学会の会員が親族にいるという人間が居た。そのうちの一人に配偶者とその親族が会員だという男がいる。彼は「嫌だけど多分勝手に入れられてるんじゃないかな」と興味なさげに言っていた。「なんか集会みたいなのに子供も連れてったりしてるよ。やめてって言ってるんだけどね」とも言っていたところをみると実質的に会員ではない様な存在が多くを占めているという推測にたどり着く。
 しかし冷静な思考回路を失った人々からすればそういった事実は学会に対してのネガティブな印象だけを加速させ、その背景にある実際の(活動を行っている)会員数は少ないという事実と集団ストーカーを行うだけのマンパワー(これは今では不適切な表現になっているのか?)を有していない可能性を結びつけることはしない。
 考えるまでもなく、普通に生活していたら他人を追い回して嫌がらせをする暇なんて無い。そして全国に分布している集団ストーカー被害者を集団ストーキングするためには凄まじい労力と人工を要する。そのコストはどこが賄っているのか。
 しかし、その労働力も「宗教」という要素が全て解決する。どれだけ過酷な生活になろうとも信者はその身を削って行動する妄信的なものだ、というイメージをオウムやエホバを筆頭に様々な宗教が傍目には凶行に映る行動に出た歴史的な事実が統合失調的人間たちの考えを裏付けてしまう。
 足りていないマンパワーなどのコストもすべて信者の理解し難い信心深い行動の賜物だ、ということになるのだ。その考えこそが理解し難いがそう簡単に理解出来ていたらこの世界に争い事など起きないだろう。
 
 私はこういった考察をするのが好きだ。考察をする上でそれにまつわる様々な周囲の状況も調べたりする。そういったものたちから導き出した自分なりの答えのようなものを見つけると何だが少しだけ理解に近づいた様な気になれる。
 きっと統合失調症的な人々も私と同じなのだろう。ただそのベクトルが他者に理解され難い(私のこの考察も多数派の人間たちに理解されるものかどうかはわからないが・・・)と言うだけで彼らは彼らなりに自分に起きた不調、不利益などを理解しようとし、その結果解釈が歪んでいったのだろう。
 そう思うと彼らの存在が身近に感じられると同時に私のその一線のすぐ際に立っているのだと実感させられる。私も自覚がないだけで傍目にはその線の向こう側にいるように見えるかもしれない。

 誰に、いつ、その一線の向こう側に行くトリガーが作動するのか、それは神のみぞ知るといったところだ。

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