モンゴルの人々はなぜ傘を差さないのか?
こんにちは。気象予報士の木下和花です。
(自己紹介を除くと)一本目の「天気×〇〇」です。筆が力んでしまいます。
どんな話にしようかと迷ったのですが、私にとって人生の分岐点になった、モンゴルでの経験の一つを書こうと思いました。
2022年・大学3年生のとき、現地の英字新聞社に所属していました。
そのときに「モンゴルの人々はなぜ傘を差さないのか?」というテーマで取材し、紙面の一記事を書きました。
電子版にはなりますが、元記事は以下のリンクにあるので、もしよかったら読んでみてください。
私は6月にモンゴルに渡航しました。
日本では梅雨を迎える頃。モンゴルの首都・ウランバートルでは、晴れた次の日は雨、その次の日はダウンコートの出番、そのまた次の日は晴れて半袖…という移り変わりの激しい天気でした。
本降りの雨の日
ある日は本降りの雨でした。
外に出たとき、ザーという雨の音が聞こえ、宙を舞う雨粒も見えましが、私は雨が降っているのかいないのか、一瞬理解ができませんでした。
町の人が誰一人、傘を差していなかったのです。
水たまりの波紋を見て、やはり雨は降っているのだと気づかされました。
町の人は、雨宿りに急ぐわけでも、持っているかばんを傘代わりにするわけでもなく、びしょびしょになりながら平然と歩いていました。
このことについて話を聞いてみたい、取材したい。
そうした衝動が心から沸き上がりました。
数日後、政府宮殿の前にある、スフバートル広場という大きな広場で、老若男女に話を聞きました。「傘は持たないのですか」「濡れるのは嫌ではないのですか」という素直に疑問をたずねました。
「土砂降りの時以外は傘を差さない。」ほぼ全員が答えました。
それどころか聞こえてきたのは「雨は大気汚染を和らげてくれる」「むしろ濡れるのは好きだ」という雨をありがたく思う声。
草原にも滞在し、遊牧民の人々に話を聞きましたが、雨に対して肯定的でした。(草原で嵐にあった話など、色んな話がありますが、また後日。)
雨をありがたく思う気持ち
モンゴルは乾燥の激しい内陸国。大部分が草原で、砂漠の地域さえあります。雨の多い地域でも、東京の年間雨量の4分の1があるかないか、というくらいです。
もしかしたら都市への定住が進んだ今日でも、厳しい乾燥の中、草原で遊牧をしていた頃の、雨をありがたく思う気持ちが受け継がれているのかもしれません。
そんなことを考えているうちに、私もモンゴルから帰る頃には、むしろ雨に濡れるのが心地よくなっていました。現地に折りたたみ傘を忘れてきた理由にしています(笑)
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