今年度初の講座を終えて
6月12日(金)
石川 晋 先生の国立駅前での連続講座第1回目だった。
この日が楽しみで、仕事を定時に終えて職場を出た。一旦、自宅に帰り、少しばかり家族との時間を過ごして会場へ。
たくさん考えさせられた。午後7時から9時なんてあっという間だった。
講座の際に感じたこと、考えたこと、また、講座のメモを振り返って考えたことなど、思うままに書いていく。
まず冒頭は授業づくりネットワークの次号の内容は『学級崩壊』であることの紹介。
今では『学級崩壊』という言葉自体が当然になってきているということ。しかも、件数は増えているのに。学級崩壊のクラスの当事者ではない人ほど、学校現場の当然の現象と受け止めてしまっているようだ。
私は、この状況を大変危惧する。社会的に学校がそのように見られることも危険だが、学校側が学級崩壊が起こってしまうのは当然というスタンスに入ってしまったら大ピンチだ。むしろ、そういった流れが実はもう国内の学校で起こっているのかもしれない。
次号の授業づくりネットワークが楽しみというか、早く読みたい。そして、また考えたい。
今回の講座は『コロナ』がテーマだった。
石川先生の話を聞きながら、休校中の様子、学校再開の様子を振り返ることができた。
休校がもうすぐ明ける頃、学校がとった保護者への休校中におけるアンケート結果が職員に公開された。すべてというわけではないが、ほとんどの家庭が課題に対する重圧、子どもがずっと家にいること、子どもが課題に取り組まないことにストレスを感じている保護者のコメントを読んだ時、一人ため息をついたことを思い出した。アンケート結果の内容は、私はクレームと言うよりも、家庭内のストレスが言葉に表れたと感んじた。
石川先生の話の中で、教師が履修に対して前のめりになっていることについて話があった。そのことについて・・・
私は、今年度算数少人数となった。
学級担任ではない。
担任ではないが、休校明けに向けての学年会の話が耳に入る。
「◯◯の単元、ここはしょれますよね。」
「体育はどうしようか。密を避けなきゃな〜」
「未履修の内容をどう入れ込もうか」
などといった会話が聞こえてくる。
確かにこれらを打ち合わせることは大切だ。しかし、上にも書いた通り、休校中にかなりストレスフルな環境で生活を強いられた子が1人だろうがいるということ。普段の学校の状況とは違う環境で学習することへのストレスだってあるはずだ。そこへのケアや、子どもたちから休校中に感じていた本音を語れる場と時間づくりの具体的な話し合いは、私が聞いた限りでは1つもなかった。
「学校は粛々と元のやり方に戻ろうとしている。」と石川先生。
まさにその通りである。コロナによる休校がまるでなかったかのように。
分散登校中は、担任が子どもの実態をつかみたいということで、算数授業での少人数展開はせず、私は各クラスの算数授業に補助として入った。
ある担任が、きっちり教科書の問題をひとつひとつ全員で解き、答え合わせをする。さらに担任が気になっていることを講義する。退屈感と言ったら凄まじい。「落ち着いているから」という錯覚でそういう授業になるのだろうか。子どもたちは落ち着いているのではなく、普段の学校生活との大きな違いに戸惑っていたり緊張していたりするからだと、私は思っている。
算数の年間指導計画をコロナバージョンで立てた。いろいろな学習活動をカットした。しかし、それでも押さえたい内容は網羅できている。となると、これが通常の学校生活でも通用できるのではないかと考えた。
これからの学校は、もっと子どもと教師が探究できるユニークな学習活動を取り入れるべきだと感じた。
石川先生が行っているオンライン1on1対話である若い教員が、分散登校について「2つのクラスを受け持つことができることがむしろありがたい」というようなことを話したそうだ。先生も言っていたが、とても前向きな捉え方だし、なんだか楽しそうな過ごし方だと感じた。
私が、分散登校で感じたことは、ちょっとこの若い教員とは視点が違う。それは、1学級あたりの児童数を減らすことを、さっさと取り組んでもらいたいということだ。分散登校を通して、政治的な部分をより痛感した。
コロナ禍で学習を進めるにあたって、退職者や学生ボランティアの配置を増やすことを打ち出している。それには、何らかの効果はあるかもしれない。
しかし、このコロナ禍においてはクラスの児童数を早急に改善する対策をまとめ、来年度につなぐべきではないかと考える。
ICTの普及については文科省からの発信もあった。GIGAスクール構想のこともある。ICTに一層力を入れることだろう。私としても、ICTの活用は急ぎたい。
でも、学級の児童数を減らすことをICT並みにお金をかけてもらいたい。そして、一人一台のICTよりも早急に取り組んでほしい。
学校は新型コロナを契機に変わっていくと少し期待した時もあった。しかし、特に大きな変化は起きなかった。そして、起こせなかった。
これが『学校文化』というものか。と、改めて痛感させられた。
そんな学校現場だとしても、希望をもって少しずつ少しずつ変化の足音を立てていきたい。
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