泣き言である
日記にもならない泣き言。
できれば元気なときにまたおいで下さい。
少し前から、もう仕事の現役を引退したような気持ちが抜けない。
もう自分の時代じゃない(そんなのがあったとしても)という気持ち。若くて優秀な人々に道を譲ろう、と言えば美しいけれど、要は世の中について行けない思いがどこかにあるのだ。もう自分は新しい局面についていけない。新しい技術にも。体力も続かないし気力も限界だ。壁際族だ。いてもしょうがない。
だから、せめて若い人たちの邪魔をしないよう大人しくしていよう、と考えてしまう。それはそれで良いのかもしれないけど。
仕事はいくらでも代わりがいるが、高齢の親と付き合うのは確かに自分しかできないところがある。個人対個人のことだからね。
親とは良好な関係で特に問題になるところはない。だからつきあっていてストレスというわけではないんだけど、やっぱり「自分の人生を生きてない」「相手に全面的に合わせている」感が抜けない。
だって親はとても高齢で、後どれだけ生きるかわからない。これまでいろいろな苦労をしてきたから、せめて年取った今はしんどくない人生でいて欲しいと思うのだ。できるだけ悲しみやつらさを感じないようにしてあげたいんだ。それは間違ってないでしょ。
だけど自分も疲れる。関係が悪くないのに疲れる。
だいたい行き来でエネルギーを使うし、ふだん涼しいところに住んでいるから、この時期、本州はどこに行っても暑くて死ぬかと思う。
親とは30歳くらい離れているが、自分の方が早くくたばりそうだ。
それはさすがに嫌だ。
ともあれ、仕事では能力と気力の限界を感じ、親との付き合いでも体力と気力の限界を感じ、自分のあれこれマイナーな病気類も急激な悪化はないけどパッとせず、なんだかなあと思う毎日である。
本当は、まだ何かしたい。
仕事は勤続30年以上になり、マジでくたびれてきたけどそれでもまだ楽しい。この業界で、ダメじゃないレベルには働けている(たぶん)。
書きかけて10年以上放置してある小説。
家のあれこれ。片付けとか断捨離とか。
それだけじゃなくて旅に出たい。旅で新しい息吹を感じ、新しい視点を得たい。
ちょっとブラッシュアップすればもっと話して聴けるはずの英語。
できる範囲でだけれど、人の役に立ちたい。
どうしたらいいんだろう。
健康が回復し元気が出てくるといろいろやろうという気持ちになる。
健康が本当に第一だと思うのだけれど、鍛えようとすれば、かえってどこかが悪くなる、という繰り返しで気持ちが凹んだまま戻ってこない。
たとえばウォーキング(ジョギングやランではない、単に歩くだけ)に励むと足底腱膜炎ぽくなって踵が痛み出す。モートン病も再発する(これは靴のインソールが悪いようなので換えてみた)。
ストレッチをやれば関節がボキボキと音を立て、そのうちどこか筋を痛める。
栄養を付けようとすれば胃腸が音を上げる。
凹まない理由がないんだよ。
どうしたらいいんだろう。
身体を鍛えたいよ。身体がすべての基本って気がするんだよね。
どうしたらどこも傷めないで体力を付けることができるんだろう?
プロのインストラクターにつくべき?
ああいう人たちって、アスリートじゃなくて、身体バキバキで弱々の老人でもそれに合わせてアドバイスしてくれるの?
どうも「そこそこ健康な人に限ります」ってな気がしていて。
ちょっと動くと老人はすぐ身体(筋とか腱とか関節とか)を壊すんだけど、そのこと知ってる?
ああなんとかしたいなあ。
なんとかならんものかなあ。
まだ生きて何かの役に立ちたいよ。
楽しみも追求したいよ。
愚痴ってないでもう寝よう。
明日は良い日でありますように。
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