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ひとまず終了

#チコちゃんに叱られそう日記  36日目。

朝は残り物のバゲットをバルミューダ様で温め、再び感動する。このパン買ってから3日たってんだよ? すごいわこれ。どうやって焼き方を研究したんだろう。これなら毎日食べたい。またバゲットを買ってこようかな。


「日記を書いてみたいな」と思い、36日間やってみた。

最初は日記のネタを見つけなくては、と、ただ歩いている時もキョロキョロしたり、風があれば立ち止まって身体で受け、雲を見上げ、顔を寄せて花を観察した。ダラダラとやっつけ気味の仕事でさえ新しい視点をみつけることができた。詳しく書くことはできないので変な比喩を使っているうち、仕事のモチベーションの上げ方も編み出したように思う。

今日と初日を入れないで34回書いた。相互フォローなどの優しい友人たちが「見たよ」と合図してくれるとだいたい15から20くらいスキが付く。それ以上に、たとえば30を超えるような場合はふだんお付き合いのない人からのスキが付け加わっていて、そういう時は(多分)何かが見知らぬ人の心に触れて読んでいただけたのだと思っている。

比較的スキが多かったのが、26日目の#呑み書きを除けば、補聴器会社の営業さんと、コーヒーが飲めない話verdeさんの大人相談会の話いろいろへこんだが小さなハッピーを探した話バルミューダ様を買った話 くらいかな。ほかの人の記事を埋め込んだ場合は比較的たくさんの人が来て下さるような気もする。山羊の写真なんかは自分ではとても気に入っているのだけど、さほどでもない。

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まだあったヤギのお蔵出し。


自分自身がどういうタイプの日記を読んで楽しいかというと、書き手の感じたことや考えたことがうまく表現されているもの。たとえていうと、ごはんを食べるとか本や映画を鑑賞するとか仕事をするというのは素材で、その素材だけを描写してもそれほど心惹かれない。わたしの日記はまだこのあたりをうろついている気がする。

素材を書き手が消化してそのあとにわき上がってきた気持ち、それも単純な「好き」「きらい」や「おいしい」「おいしくない」ではなくて、「好きだけどきらい」とか、「好みじゃないけどここに惹かれる」とか、「大変な中にこんなことを発見した」とか、ちょっとおっ?と思えるような内容がある時、この日記は面白い、と思い、続けて同じ書き手のものを読むようになる。

さらにはそうした感じ方、見方、考え方を通して、その書き手の人生みたいなものが見えたり、長い日記の中で書き手が変化していく時、深く心にしみてもっともっと読みたくなるようだ。自分が書いたものはまだとてもそんな境地には達していない。でもそこを目指してみたい。今回はいったんおしまいにするけど、また何かの折に毎日日記をやってみよう。

それから、自分が読みたくなるのはやっぱりハッピーな方向を向いて終わる文章。全編ハッピーに彩られるという意味ではなく、少しでも良くあろう、明るい方向を向こうとしている文章は読んでいて自分も前向きになれる。変に例に挙げて恐縮だけど岸田奈美さんの「もうあかんわ日記」なんて、どれほどの窮地か想像しただけで恐ろしいが、それでも岸田さんの、どんな境遇にあって落ち込んでいても身体の中からにじみ出る「前向きさ」が人を惹きつけるんだと思う。わたしも惹きつけられる。本買いましたよ!

ウツウツは、吐き出す本人はいいけれど読んでいて辛くなるのであまり書かない方がいいみたい。愚痴はTwitter専用にしよう😅 (あ、Twitterのフォローが外れていく音が……)

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8月24日でnote2周年を迎え、3年目に入った。
3年目はどんな年になるんだろう。やれることをがんばりつつ、気持ちを休めることも忘れずに精一杯生きていきたい。いくつになっても、どんなに年を取ってもそれは変わらないだろうと思う。


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