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vol.3 ヘリを飛ばす社長~株式会社ARILA社長・松本陽太さん~

さてさてさて、「おもろい人と会うゴリラ」の第三弾記事。

今回お話を伺ったのは株式会社ARILAの社長を勤める松本陽太さん

紹介者の近藤立基さんによると、25歳で年収1億円を稼ぎ出したんだとか

1億円?ちょっと桁間違えてない?とも思うけれど、3回目にしてものすごい人に当たってしまったのかもしれない。

まあ話を聞かないことにはわからない。ということでインタビュースタート!

プロフィール
関西外国語大学卒。新卒で株式会社GUに入社も1年で退社。その後、10の事業を手掛けるも失敗。2018年に広告業を一人で始め、その年に1億円を稼ぐ。株式会社ARILAは、5G時代に向けて映像を自由自在に扱う会社になるとして起業。


空に特化した映像事業


始めにやっていることを伺ってみる

ーー今はどのようなことをされているんですか?

株式会社ARILAで映像事業をしております。空の企画撮影に特化した映像会社でヘリコプターやプライベートジェットを貸し出しての撮影や、クルーザー船を貸し出しての撮影などに特化した事業をしています。


なるほど。映像事業。こんな写真やこんな動画が撮れるらしい。かっこ良すぎる。

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でもなんで映像事業?他にも色々あるでしょ

ーーなぜ空に特化した映像事業なんですか?

5Gが来るということで映像自体が主流になっていくと思い、映像事業を手掛けようと思いました。ただ映像を売るだけでは比較されて負けてしまうため、比較されないプラットフォームをつくり出そうということで、空に特化した映像事業を始めました。


なるほど、未来を見据えたうえで現実的に考えて、空に特化した映像会社なのか。
納得。
現在の活動について軽く聞いたところで、例の案件について聞いてみる

ーー広告業で1億円稼いだというのはほんとですか?

はい25歳の頃に稼ぎました。アフィリエイトですけど。で、稼いだ所でなんかしょうもなくなって事業を立ち上げることになった。

え?1億稼いでしょうもない。こう言う彼の考えはどうやって形成されてきたのだろうか。
少し長くはなるが、お付き合いいただきたい。

飛行機に乗りたくて

松本さんは、大阪府で生まれた。
生家は家業を営んでおり、母親はお金のやりくりに敏感。
自然とお金に対する意識が芽生えていった。


そうして育った彼は小中高と卒業し、関西外国語大学に。
お金の大事さを感じて育った彼は授業では必ず最前列に座って過ごした。

そう大学生活を過ごすうちに就職活動が始まる。
周りの学生と同様に就職活動を始めた松本さん。

そんな彼にはなりたい職業があった。
それは、キャビンアテンダント

「飛行機が好きなんですよ。幼いころからずっと。だからCAにずっと憧れていましたね」

ただキャビンアテンダントは男性にとっては狭き門、というより門戸が閉ざされている。
男性の採用情報は探しても探しても見つからないのだ。


CAの道を諦めざるを得なくなった松本さん。目指す先がわからないまま就活を続けた。


経営者になる!

そんなある日、あるリフォーム会社の就活セミナーに出向いた。

そこで出てきたのは人事担当官ではなく、その会社の社長。
高級そうなスーツを身にまとい、ロレックスの時計をつける社長の話を聞いていくと、社長はこんなことを言った。
「月に十か所以上を飛行機で飛び回っている。」

それを聞いた飛行機オタクの松本さんの頭の中には、みるみるうちに夢が出来上がった。

「経営者になって、JALのファーストクラスへ乗る」

そう決めた松本さんは、JALのファーストクラスの写真を印刷して壁に貼り付けたという。


何社受けても受からない。


ファーストクラスへ乗るために経営者になることを決めた松本さん。
ひとまずは就職活動を続ける。
ただ結果は惨敗。何社、何十社と出してもどこもとってくれない。

そうすると、見るに見かねた母親が口を出してきた。
「あんた、なんでどこも受からんの?ちょっと面接官やるからどう話しているかやってみな」
そうして始まった模擬面接
「弊社でどのように活躍できるかを教えてください」
と母。
「私は数年で独立するのでわかりません。」
と松本さん。
しょっぱなから問題ありありだった。

「なんでそんなに正直に言うん?適当なこと言っとけばいいのに」
と母親には言われるが嘘は言いたくない。
正直な就職活動を続けた。


逆境の価値を信じて

ただもちろん、辞めると言っている人間を取ってくれる企業はなかなかなく、友達が内定をもらうにつれて焦りは募る。
先の見えない就職活動だったが、
人間不信にさえなっていた彼を支えていたのは、ナポレオン・ヒルのある言葉だった。

「逆境はそれ以上の価値がある」

この言葉を実直に信じて、自分に正直な就活を続けた結果、「経営者、求む」と銘打っていたGUから内定をもらうことに。
長かった就職活動は終わりを見た。


GUとの乖離

GUで働き始めた松本さん。
ただ蓋を開けてみると、経営者とはただの店長や副店長。
自分の求めるものとは違う。という思いが日増しに強まっていった。

経営者になるという思いに焦がれ続けた松本さんは、セミナーへ足を運び、Facebookで起業家に連絡を取り話を聞いていく。
テレビ番組で紹介されていた起業家の元へ会社を休んでいったこともあれば、怪しげなセミナーに騙されたこともあった。
とにかく、熱意を持って動き続けた。

ただ、そんな彼の想いはある日はじけた。

きっかけは移動命令。
岡山に転勤を命じられたことであった。

「自分の住む場所くらい自分で決めるわ!と思って辞表を出しましたね(笑)」

松本さんはGUを辞めた。

福岡でビジネスを

辞表を提出した松本さんは知り合いに誘われて、福岡で民泊などのビジネスを始める。

はじめはなかなか上手くいかなかったが、外国人をターゲットにした「侍ルーム」の貸し出しを始めるとそれが段々と軌道に乗り始めた。
レビューが人を呼び予約が途切れなくなり、全てが上手く行くかと思った。

ただそんな折りに、熊本地震が発災。
その影響は福岡にも及び、客足は遠のいた。

民泊には閑古鳥が鳴き、二進も三進もいかなくなる。
松本さんは福岡でのビジネスに見切りをつけて、ひとまず実家へ帰ることにした。

副業としてのアフィリエイト

実家へ帰った松本さんはハローワークへ。就職支援を受け、簿記の資格をとる。
その資格を活かしてリフォーム会社の経理として働き始めた。
定職にはついた。ただ給料が高いわけでもなければ、経営者になれるわけでもない。
そして夢を諦められるわけでもない。

そうして松本さんは副業としてアフィリエイトを始める。

そうしてアフィリエイトを始めると、始めからはうまくいかないものの、段々と軌道に乗り始め、気づくと年収は1億円を超えるようになっていた。

1億円と気づき

沢山のお金を手にした松本さん。数か月はお金を湯水のように使い遊び回ったが、気がつくとそのことに虚しさを覚えるようになっていった。
周りには儲け話で騙そうとする人ばかりが集まるし、遊びまわっても真の意味で満足することはない。

そこで気がついた。

「世の中は金ではないな。」

信頼できる仲間とやりたいことに向き合えば良いのではないか。
お金ではなくてそうしたことが人生を豊かにするのではないか。

そう思った松本さんは大枚をはたき、ヘリコプターを購入。
まだ見ぬ映像体験を創り上げるために、大切な仲間と共に株式会社ARILAを立ち上げた。



途轍もない話だった。

でも松本さんも始めから成功を重ねたわけではなかった。
失敗に失敗を重ねてアフィリエイトにたどり着き、お金を得た後に人生の豊かさに気づき、arilaと共にいまがあるのだ。

成功の秘訣

そんな失敗の味も知っている松本さんに、成功する秘訣を聞いてみた。

ーー成功の秘訣はなんですか?

継続するしかないですね。
自分は昔事業をやって失敗したのもアフィリエイトで上手くいったのも全部継続したかどうか。
昔やってた事業は何度やっても諦めをつけて投げ出してました。
でもある時、先輩の起業家に成功の秘訣を聞いてみたんです。そしたら一言走れとだけ言われて…(笑)
始めはあしらわれただけかと思ったんですけど、半信半疑ながら走り続けるうちに段々と自分の中でも変化が出てきました。
継続の大事さに気づけたんです。
そこからは人生が好転し始めました。

なるほど、「継続は力なり」とはよく言ったものだ。辛かろうとも、ひたむきに続ける。それが幸運の糸を手繰り寄せるのだろう。

では松本さんが過去の自分に伝えたいことも「継続」なのだろうか?

ーー過去のご自分に伝えたいことは「継続の大事さ」ですか?

それもそうですけど、「答えは自分で作るもの」とも伝えたいですね。
誰かに違うと言われても、それは答えにできるんで。

答えは自分で作るもの。

私たちは普段生きていると多くの価値観に触れる。そしてときには、自分のやっていることが世の中の正解とは逆行する。
そんな時、とてつもない不安に襲われる。自分の行きたい方向を諦めて社会の流れに身を任せてしまいたくなる。
でも答えが自分で作れる。そう信じれば荒波にもまれても自分を保ち続けることができるだろう。
「答えは自分で作る。」
その素敵な言葉を心にしまいこんでインタビューを終えた。


次回予告&感謝

松本さん、素敵なお話ありがとうございましたー!

次回は「想いを持った保険営業マン」

さてさて、どんな話を聞けるのやら…次回もお楽しみに!

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