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移民して、アイデンティティに気づいた

おはようございます。
只今の気温は、4°となっていて、
肌寒い冷たい風が吹いて、
日本の桜の🌸咲く時期の春と
トロントの春の短さをよく感じていたものです。

4月も終盤にかかってきていますが、
まだまだ今週はマイナスの冷え込みがやってくると言われています。


本日のサンライズタイムは6:25am、サンセットタイムは8:07pmとなっています。


移民という言葉を聞いたのも、ずいぶん前ですが、理系で育ち日本の田舎で育った私は移民したいと思ったこともなく、
ただトロントに来た時に、初めて学校のことで相談したエージェントっていうところで働いていた友人の知人が移民を目指してアメリカの大学を出てカナダに来たことを聞いて、
その頃衝撃を受けたことを未だに覚えています。
そして、ナースとして移民をした同じ名前の友人と私もナースとして移民することを決めたのでした。

 私はワーホリの時もエージェントを通すということはせず、というか,全くエージェントとか留学とか、何も知らずに、オーストラリアで知り合い当時埼玉に住んでいたアパレル会社で働いていた憧れの友人から聞いた通りに個人で申し込んで、ギリギリまで彼女と一緒にと思い込んではいたのですが、その彼女に彼氏ができたということで、結局トロントに一人でやってきて、ライブラリーの前でキレイな日本人女性に声をかけて、この彼女の助けで、仕事場と住む場所を速攻で決めたのでした。

[実はこの時、飛行場から素敵な出逢いに恵まれてラッキーにもライアーソン(カレッジ)ユニバーシティのダウンタウンのビルに3日だけ泊まることができたんですが、その3日という短い期間なだけに知恵を絞って、北にあった図書館の前で日本人を見つけたというラッキーが重なりました。]

エージェントが流行り出したのも、その後だったのかもしれませんね。

私がもうすぐ一年経つというところにその友人がやってきて、彼女に連れて行かれたところが留学エージェントというところでした。

学校を紹介するというところのようで、美容学校のカレッジを紹介してもらったのでした。

この学校の進路変更は、

大失敗❗️
(キャリアとしては大失敗ではあったんですが、
運命的な出会い
があったことを最近まですっかり忘れていました。🤭
この学校に私が入学しなかったら、
出会わなかったかもしれない人との出会いを通して、あるカップルが誕生したのでした。そして彼らも出会いから結婚,出産,人生の20年という月日が経とうとしてるんじゃないでしょうか。人生って、いろんな角度から見てみると、失敗って無いんですよね。😉)

私が自覚するまでには、月日が経ち、

学校では初の日本人学生ということで
先生からも生徒からもチヤホヤされて
期待通り成績もよく、😂(私がど素人であるということよりも日本人というだけで、当時の教科書にハサミは日本とドイツが一番と書かれていて、ハサミの✂️達人だと勘違いされたようです!あとは、日本人のセンスが良いということで、失敗しても、全て良く見られてしまったようです。😂得意な掃除とサービス精神旺盛なところと全寮制のクリスチャンの学校の経験もあり行儀作法も良かったおかげか、前職がナースだということも信頼性が高まったのか、実家が美容室と床屋だったこともあるのか、)

学校に来るお客様からの指名も
日本人(日本代表みたいなことというか日本好きな人たちのおかげ)というだけに
何故だかダントツ多くて、
(特にイスラム教や黒人の女性の方か、男性が主でした。メンズカットでは他の生徒のお直しや仕上げも引き受けていました。)
卒業して、ヘアショーにも出させてもらい華々しく有名な美容師のたくさん人を育ててる美容室に就職するのですが

調子に乗って
オーナーのアシスタントになって
普通に暮らせてはいましたが、


この時点で私は何を血迷ったのか、
遅れて移民申請を出す準備をしていて、
遅かったようで、タイミング逃しました。

2001年のニューヨークテロ&ハイジャック事件のこともあり、移民申請が困難となる!移民法もコロコロ変わり出す時期に出してしまいました。英語のテストIELTSに一番時間かかったかもしれません。😂


と言いながらも、英語ができたわけではなく、ただ元々、昔からテスト運がとても良くて、アカデミーとジェネラルの両方ともすんなり一回のテストで移民の合格ラインとおりました。
今まで日本とTorontoで計3回試験を受けて7.5がトータル最高値リスニングは8でした。(ポイントは良い学校と先生に当たった👩‍🏫!一応テスト勉強にIELTSのコースとライティングのコースを取っていました。)

この結果、ワタシの周りのみんなはかなり勇気づけられたようで、というのも私の英語レベルが友人たちよりもかなり下回っていたにも関わらず、友人とマイケル、私の周りのほぼ全て全員驚いていました。🤣

この時のテストも、たまたま先生との相性というか、トロントでも日本好きな女の先生との面接、名古屋のテスト場でもトロント出身の先生に助けられることがあったのでした。㊙️🤫

(何よりも笑顔とコミュニケーションなんですよね!分からずとも、必ず答えを書く📝‼️😉)

(思い出したのも名古屋でIELTSの試験を受けている時に、実家から緊急事態という連絡が入り、実家が火事でほぼ全焼という衝撃的な日となったのでした🥲。幸いにも、いろんな人たちのおかげで、今も暮らせている両親と妹達がいます。日本人の人たちの優しさに感謝しています。🙏ありがとうございます😊😭。)

というのも、私が行っていた学校のエステの部門に入学してきた日本人の友人はすでに移民していて、当時は周りが何故だかみんな移民している人たちに囲まれていたのもあるのでしょう。

そんな中、
私のワークビザも切れてしまい、一時帰国、(今となっては、この時、素直に不法滞在せず日本に帰って良かったなと思います。😂)困難な状況に追い込まれてしまいました。

今思うと移民して順調にトロントに残っている人たちは、みんなもちろんカレッジやユニバーシティのデグリーを持っていて、

どんなに成功していても、
いつまでもバックグラウンドのとしてのアイデンティティが強調されます。


私もカナダに来てから、日本人であることを自覚するようになったように感じています。


自分が生まれた場所が、自分の始まりなんだと思うようになりました。

自分の故郷を愛おしく思うのと同じくらい今住んでる場所も愛おしく感じます。


移民して、初めて遠く日本を離れて住んでみると、知らない人から近所の人まで日本の良さや日本人であるアイデンティティに気付かされることが多くあるなと思いました。


いつでも人生は進路変更可能なことにも気付かされました。

春の優しさを知ったのも、
日本の桜の木のおかげかもしれません。


トロント大学内のライブラリーにて

ありがとうございます😊


続く


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