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大好きなママへ

 最近小学生の頃から同級生になった近所のチーちゃんが電話してと言っていたよと母から聞いて、

チーちゃんは同級生なのに、かけっこは一番お勉強もできる時には私を庇ってくれたこともある年上のお姉さんみたいに頼りがいがあるカッコいい友達だった。

私たちは同じ分団で私がチーちゃん家に迎えに行って一緒に毎日登校していたのですが、


ある時から、クラスが別々で変わったのもあるのか、距離ができてしまったのか、

いじめられやすいタイプだったのもあるのか、

ある時私は登校拒否をしてしまい、
覚えているのはその日は雨で大きな傘をさして、家の裏のビルの間に隠れて学校に行くふりをして休んだのですが、


まさかの学校の先生が家に電話して母親たちが私を探しに出たそうです。

もう少しで警察に連絡される手前で、母に見つかってしまったのでした。

母は怒って、「学校に行きなさい!」と

「学校に行かないなら、家に入れません!」って。

父は何も言わずに、車を出して学校に行くことになりました。

この時の学校の担任の先生は、バスケ部顧問の綺麗な山本先生でしたが、子供たちの教育にも熱心で、夏休みだろうが私たちできない子供たちのためにプールをオープンして指導してくれるような先生で、プールは暑い夏の日の子供達を引き寄せるためのようなもので、算数を点数が取れるまで理解できるまでいつまでも指導してくれる熱い先生でした。

この先生の熱意なのか、この日教室に行くとみんなシーンと静かに座っていました。その中を一番前から自分の席に着く時に「ご両親に心配かけないようにね。」とギュッと抱きしめられて、私はこの時からガラッと教室の空気が変わったのを今でも覚えています。

母は保育園の先生からもよく先生と呼ばれていました。


母は理容師と美容師の両方の免許証を持ち、大阪万博でヘアーの大会に出るような人で、自分のお店を2軒出して、従業員を養うバリバリ働く7人兄弟姉妹の真ん中で生まれたお母さんでした。

そんな全盛期真っ只中を子供の頃に見ていただけに、歳を取ると共に、店も小さくなり、一軒手放し、小さな体を酷使して朝から晩まで時には寝る暇を惜しんで働いていた母は、何年かに一度は無理がたたって、一時は癌かもと女性の臓器もとってしまうオペも乗り越えて、また背中に大きな腫瘍ができて大きな手術も乗り越えて、今では障害者手帳を持つ体が不自由な免疫不全の病になっても、自分のお客様だけは大切に、40年以上病院や施設などへも足を運び洗髪やヘアカットをボランティア活動してきた人です。

今でもとても仲良くて、電話で話すことも多いですが、いつも元気な声と笑顔で周りの人たちを一気に明るい気分にさせてくれる人でもあります。

ある時はマイケルが電話に出て、
日本語が全く理解できない彼は、
「CHOTTO MATTE」だけで、
時間を潰し母の笑い声と話を聞いてくれたようです。

マイケルが
「Kazuko、GENKI?」という声にも、ただ嬉しいようで、

良い人に出会って良かったねと
言ってくれます。

子供の頃、私はよく入院することが多かったのですが、どんな時も母は私の背中をさすってくれたり、喉にスーッとするクリームを塗ってくれたり、時には学校を休んで静岡のMOA美術館に連れて行かれたり、エドガーケイシー療法のひまし油の湿布をされたり飲まされたり、サプリメントやらゲルマニウム温浴やら、時には霊能者と言われるような人のところにも行ったそうですが、

霊能者と言われる人に、
「この子は大丈夫!なんの心配もありません。」と一言言われたそうです。

今思うと母なりに必死になって子供を守ろうとしてくれていたことを感じます。

私が海外で住むようになって
心配で心配で、眠れない日が続いたそうですが、ある時、私が厳しく言ってしまったんですね。


「心配しないで!心配されると、本当に悪いこと起きちゃうからやめて!応援して!」

私もお母さんのこと大好きだから、

「お母さんも何もしてあげられないけれど、ごめんね。タカちゃんが幸せなら、お母さんも幸せ。」と言ってくれて、

「私も何もできないけれど、ごめんね。でもお母さんの子供に生まれてきて良かった。」

「ありがとう。
愛してる。
ごめんね。
本当に遠く離れて何もしてあげられないけれど、いつもお母さんが笑顔でいられることを願ってる。」


「今帰ってきたらダメよ。近所の人たちもだけれど、良いことないから。そっちでマイケルと仲良くね。元気でいて!」


本当に日本に帰りたくなっちゃうから、

また会える時は笑顔で会いたいです。

早く会いたいア。


もうすぐ母の日ですね。


マイケルはもっと可哀想。

ママ、天国だから、
もう会えないんだよね。
私の母も義母エリッサに愛されてることを嬉しがっていましたが、もう6年も経ってしまいました。とても優しくて暖かくて、言葉が通じない私の母と父にもいつも手紙を書いてくれて、ちゃんと訳して読んであげてねと、私の母もお客様から教わっては拙い英語で手紙を書いてくれていました。素敵なカナダのママでした。
お墓参りに行きたい。

二人の素敵なママに会いたい。


続く


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