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[居酒屋トーク]イスラム教の敷居が低くなった話

イギリスでの大学1年目、同じ寮に30カ国ぐらいの人が住んでたんですよ。

そのうち1/3ぐらいがイスラム教徒の友達で。

イスラム教徒と言うと、豚肉・お酒・タバコNG、女性は髪の毛を覆う、お祈りが1日数回...と言う私の中のイメージで。

でも、そもそもイスラム教徒と言っても、仏教に色々な流派がある様にイスラム教の中でも細分化される様で。かつ、仏教よりもさらに色濃く生活面への影響下あるので、戒律の厳しさ等色々ある様なんです。

ロシアや旧ソ連からのムスリムの子たちは豚肉はNGでもお酒・タバコはOK。お祈りはしない。断食なし。
エジプトの子たちは豚肉はNGでもお酒・タバコはOK、でも1日4回お祈りする。断食なし。
カタールの子は豚肉・タバコはNGでもお酒はOK.1日4回のお祈りは遵守。女子は髪の毛は隠さず、肌を見せてもOK。断食あり。
オマーンの子は豚肉・タバコ・お酒全てNG。1日4回のお祈りは遵守。女子は必ず髪の毛を隠す、顔と手足以外の肌見せNG。断食あり。

印象としてはメッカ(イスラム教の聖地)があるサウジアラビアに近いオマーンから来ていた子達が一番、戒律としては多いイメージでした。

ほぼ無宗教の自分からすると、失礼に当たるかもしれないのですが「よくできるな」と思っていたんですよ。法律以外にも守ることが多くて大変そうだなぁと。イギリスに行くまで、ムスリムの方にあったことがなく、でも一緒に生活する中で、「よく分からない大変な宗教」と言う考えが変わって行った、と言うのが今日のぼやきです。

(注:あくまでも、伝統衣装貸してくれるぐらい仲の良い友達との会話であったり、私の一方的な観察なので、そう言うイスラム教徒のいるんだな〜ぐらいに思っていただけると幸いです。私の思いとしては、イスラム教へのハードルが少しでも下がれば....と言うまでなので!)

まず、お祈りの話なのですが。基本的には1日4回、お祈りの時間帯が決まっている様なんですね。その時間帯の内、どこかで特別なカーペットを敷いてお祈りする、みたいな。友達の場合は授業の合間の休み時間に部屋に戻って、お祈りをしていたのですが。

そう言った類のことを一切しない自分からすると、「今日はめんどくさいからやらなくてもいいかな〜」って思う日はないのか、と疑問に思ったんですよ。そしたら、

「1日4回お祈りをすれば、救われるんだったらやったら良いじゃない。ジンクスみたいなものよ」

と。「へ?」と拍子抜けですよ。イスラム教の起源については諸説あると思うのですが、カタールの子が言うには砂漠の中で天候に恵まれず、食物に恵まれず、な民がすがれる物としてイスラム教ができた、と。砂漠の中ではどうやっても恵みに有り付けないので、厳しい戒律を守ることで、神から幸を与えられる、と。

なるほど、と。でもなんで今も続けらえるのかと聞くと、例えば試験前にこれを行うと大抵いい結果が得られるとかそう言うジンクスって誰にでもあると思うんですよね。仮に、それが科学的に証明されていなくても、とりあえずやっておいたら良い結果が得られるかも、と思って実行するじゃないですか。彼女が言うにはそれと同じで、これまで生まれてからずっと自分含め家族が1日4回祈ってきたから今の幸せな生活がある(かも)で、逆にお祈りを辞めたら今後何か起こるんじゃないかと不安になる、と。それなら、今日もお祈りしておこうか〜、ぐらいな感じらしいです。

②イスラム教徒の女性はヒジャブと呼ばれる布で髪の毛を覆うんですよね。基本的には家族と女性以外には髪の毛を見せない、と言う目的で。私の思考回路は全く同じなので、再度思うわけですよ「めんどくさくないのかな」と。毎朝、忙しい朝の時間を割いて布で覆うのが。するとオマーンの子が

「考えてみ。30分かけてアイロン温めて髪の毛整えるのと、寝癖も全て30秒で布で覆えるならどっちがいい?」

と。間違いなく布だな、と(笑)髪の毛を覆う理由としてもっと深い理由が当たり前にあるとは思うのですが、そんな風に解釈できるとは思ってもみなくて、イメージを自分で植え付けていたのは自分だったのだな、と思ったんですよね。

ちなみに写真を取るときも、真夜中部屋で女子だけでパジャマでくつろいでで自撮りして、インスタのストーリー載せて...みたいなのよくあるじゃないですか。でも写真であっても髪の毛が出ている写真は家族以外の男性に見られたらダメなんですよ。なのでいつもその子を頭部を適当な色のペンで塗って投稿してましたね...笑

(テレビでよく見る目だけ出ているイスラムの女性はそれもまた戒律の度合いによるんですよね。実際には顔を全て布で覆っている女性をオマーンにはいました。全身黒い布です。ただ、下はすっぴん・パジャマで出かけられるのでそれはそれで都合がいいらしいです笑 なんども言いますが、そう言う人もいると言うだけの話で、イスラム教の威厳等を崩そうとか言う魂胆ではないので大目にみてください...)

③これはイスラム教に限らずシーク教もよくあることらしいのですが、中東ではお見合い結婚が基本、と言いますか原則らしいんですよね。部族やら階級やらの制約があるので。それで、オマーンやカタールの子達が言うには、親族全員お見合い結婚で、自分たちもお見合い結婚の予定だ、と。

その当時私は新しい彼氏と付き合い始めたばかりで、お見合い結婚を到底自分は受け入れられないな、と思ったんですよ。自分が好きな人と結婚したくないのか、と聞くと

「いや、逆によきマッチングアプリやったり、クラブで男の子と駆け引きしたり、デートして失敗したり....よくみんな何度もできるよね。手間もかかるし、それなら決めてもらった方が楽じゃない?それに親が決めた人なら間違いないでしょ」

ガーーーーーン、と。正直びっくりしました。まさかそう来られるとは考えたこともなくて。そんな見方があったのかと。

この上記全ての会話は全てなんてことない深夜の女子会で出た話だったのですが、その日を境に一気にイスラム教や自分に対する考えが変わったんですよね。

イギリスに行くまで、イスラム教徒の方をニュースで(しかもどちらかといえば爆破音や怪し目の映像と共に...)しかみたことがなくて、何となく遠い存在かつ理解し難い自分とは違う存在だと思ってたんですよ。でも一連の話を聞いて、自分がいかに勝手なイメージや偏見を持っていたんだろうと恥ずかしくなったんですよね。想像力が足りなかったな、と。結局は彼らも自分とほぼ全く同じ中身だったんですよね。それ以降は完全なるマブダチ化して、週1でシーシャを吸い、目が充血するまで徹夜で連ドラをみて、オマーンの首都マスカットでの親戚の結婚式にまで招いてくれるまでになりました(笑)

おこがましいかもしれないのですが、これってよくある話なんじゃないかと思うんですよね。宗教に限らず、外見や肩書きとかも含まれると思うんですが。

随分前にイギリスのオーディション番組でスーザン・ボイルという方が話題になったんですよ。見かけがあまりに(失礼ですが)おばさん過ぎて審査員に鼻から笑い者にされ、でも歌い始めると素晴らしい歌声の持ち主だった、というサイドストーリーなのですが。その方が歌い始める前に、審査員に「君は歌を歌うのか」と聞かれて「Yes, and that is just one side of me!」と言うんですよ。

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「歌手というのは自分の単なる1つの側面にすぎない」と。宗教や外見、肩書きにも言えることで、冒頭のイスラム教徒の友達の話に戻すと、イスラム教徒であるということは彼女という人間の一部にすぎなくて、彼女を説明する「全て」にはなり得ないのだな、と。

自分が見ている相手は、実は相手の全てではなくて、かつ自分が見えている側面にすら偏見が混ざっているかもしれない、と。想像力を働かせるって、相手を気遣ったり、優しくする1つの方法なのかもしれない、と教えてくれたファンキーなイスラム教徒の友達でした。

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ちなみに最初にこの話を聞いた日から半年ぐらい経って、みんなが半袖・半ズボンを着る季節になった頃、このオマーンの友達は肌見せがNGなので暑い中、長袖長ズボンだったんですよ。暑くないのか、と聞くと「日中40度を超える中東に比べるとイギリスの夏なんて大したことない、それにムダ毛の処理も必要がなくてむしろ楽だ」と、さらに大きな爆弾を落としていきました...(品がなくすみません...)

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