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営業マンたちの引っ越し作業 前編

全ては社長の鶴の一声から始まった

僕は段ボールを運びながら、ふと思った。
36度の猛暑日に、なぜ営業マン6人が引っ越し作業をしているのだろうか?
「軽自動車4台にはもう積めないぞ」
課長の声が響いた。
僕は段ボールを抱えたまま空を見た。
雲に色がつきはじめていた。


築55年の農家さんのおうち 5LDK 平屋

仕分を終えている荷物を運び出すだけだからと課長に言われて来たが、室内には段ボールひとつない。全く片付いていなかったのだ。しかも室内は薄暗くて熱い。
よって必要な物、不要な物の選別からスタートすることになった。
住人は83歳のヨシ子さん。
どうやら社長が若い頃にお世話になった人らしい。
ヨシ子さんは目も耳も歩くのも全てがスローで、いちいち時間がかかる。

雨戸が変形して開かない室内に男6人。立っているだけで汗が噴き出してくる。エアコンがないので扇風機3台がフル稼働しているけど、もはや何の役にも立っていない。
床にはネズミの糞や獣の臭いがマスクをしていても鼻腔に届く。
「とりあえず、手前の部屋のスペースから空けないと荷物が出せないぞ」
課長がぼそっと言った。
必要な物の殆どは寝室にあるというヨシ子さんの言葉を信じ、課長指揮の下、手前の部屋の荷物から外に出す作業を始めた。

座布団、座椅子、コタツ、机、テーブル、本、本棚、貴金属類、
箪笥、衣類、カーテン、書類、ペコちゃん人形、絵画など、
とにかく物が多すぎる。

組み立てた段ボールに、ある程度仕分をしながら入れていく。
僕の背中には日差しが刺さり、両耳に聞こえているのはセミの大合唱。
ヨシ子さんの引っ越し先は、会社の近くにある新築アパートの一階。
明日から入居となる。
ヨシ子さんのご年齢からアパートに入居するのは驚きだけど、おそらくうちの社長が保証人になったりしているはずだ。
だから最悪荷物を全て会社の倉庫に保管して、それからゆっくりとヨシ子さんに分別をしてもらえばいい。
なんせ僕たちには今日しか時間がないのだから。

汗が垂れてくる。
もはやポロシャツはびしょ濡れ。
さらにマスクもびしょ濡れ。
息をする度にマスクが引っ付いて窒息しそうになる。
それと臭い。
全ての物に埃とネズミの糞が付着しているからだ。
後輩の1人が両腕に蕁麻疹がでていた。

僕は軽自動車を取りに行った。
外は一面の田んぼ。日陰は皆無。稲穂はわずかにしか揺れない。
車内のドアを開けた。車内もとんでもない暑さになっていた。
帰りたい………。


まさか………あり得ない

庭にある水道で手洗い・うがいを済ませると、みんなで縁側に座った。
「お昼にしましょうか」
ヨシ子さんがお盆の上にペットボトルのお茶を載せて持ってきてくれた。
僕は時計を見た。時刻は12時10分。
会社を出発したのが9時15分。
2トン車1台、キャラバン1台、営業用の軽自動車4台、計6台でのツーリング。
下道を走ってヨシ子さん宅に着いたのが11時。
ってことは、まだ1時間しか経っていないのか。
僕は小さなため息をついた。
大汗を流し口臭も体臭も発生し、ネズミの糞も体中に付着する始末。
そしてすでに軽自動車4台は段ボールで満員御礼状態………。
残る車両はキャラバンと2トン車のみ。あと4部屋分の荷物と、物置の荷物も残っている。大型の電化製品やベッド、箪笥類はこれから積むのだ。
とても積みきれない。
ってか、何往復するの?
ってか、片道1時間30分もかかるんですけど~?
今日中に終わるんですか~?

車内で電話をしていた課長が戻ってきた。
僕は500mlのお茶を瞬時に飲み干してしまった。
「もうすぐ出前が来ますから」
ヨシ子さんがニコッと笑った。

時刻は12時45分。
ヨシ子さんが黒電話を手に取った。
「あらやだ」
ヨシ子さんが今日一番の大声を出した。
受話器を置いたヨシ子さんが言った。
「明日のお昼で頼んでたみたい。あと50分で来るってサ」
ヨシ子さんが舌を出しておどけた。
僕は持っていたペットボトルをキャラバンの車内に放り投げた。

10分後、雷雨になった。


【後編に続く】

https://note.com/kind_willet742/n/n279caad02bb7?sub_rt=share_pw

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