掃除の会に参加して学んだこと37~掃除に関わる名言3選~「掃除は心磨き」「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」「心もそろう」
月1,2回、学校や公共施設のトイレ掃除や街頭清掃を行っています。
10年ほど参加し続けてきました。
参加するモチベーションは、いろいろとあります。
きれいにした時の清々しさや達成感もその一つですし、参加する仲間との交流も大きな動機になっています。
さらに、掃除の後の反省会(感想交流)や、メンバーから教えてもらえる掃除情報にたくさんの学びがあることも大きいです。
そこで、今回は、そんな掃除の会に参加して教えてもらった、あるいは学んだ言葉~掃除に関わる名言3選~を紹介します。
よかったらお付き合いください。
1 「掃除は心磨き」
曹洞宗などの禅宗では、掃除が修行の一つとして大切にされています。特に
トイレ掃除は「自我をなくす」ことを目的にされているという人もいます。
実際、心を取り出して磨くことはできません。
しかし、自分の身の回りにある物を磨いたり、きれいにしたりすると自分の心も「きれい」になります。
ある種の清々しさを感じたり、すっきりした感覚にもなったります。
これは、脳科学的には、掃除中の反復運動~ごしごしと磨く、拭くこと等によって、脳にセロトニンと言う物質が出やすくなります。セロトニンは、覚醒や気分や感情の安定、コントロールに関わる物質です。また、綺麗にしたという達成感や整理整頓、綺麗になったものを見て、心地よさを味わうことで、ドーパミンも分泌されると言われています。これらのお陰で、ある種のストレス解消にもなります。
ティータイムが心を落ち着かせたり、気持ちを切り替えたりするのに役立つように、掃除は、自分の心の中に溜まった「ごみ」を無くすのに役立ちます。
また、心についたちりやほこりを払ってくれるともいえます。
まさに、「掃除は心磨き」です。
この言葉を知って、私は磨く(拭く)掃除がより楽しくなりました。
2 ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる
これはイエローハット創業者の鍵山秀三郎さんの言葉です。
日常生活の中には、今すぐにしなくても・・・と言うことはよくあります。
あるいは、焼け石に水ではないですが、私が何かしたところで、何も変わらないと初めから諦めてしまうことも結構あります。掃除もそうですが、磨いても磨いても、掃いても拭いても、すぐにまた汚れます。
どうせまたすぐ汚れる・・・。
今やらなくても・・・。
また、ひどく汚れてから掃除するか・・・。
これまで私はよく、めんどうくさがって先延ばししたり、「考える」ことで、思考に逃げ込み、実際に何もしない(行動しない)状態に陥ったりしていました。
そこで、この言葉を教えてもらい、ハッとしました。
大きく2つの事を思いました。
一つ目が、行動することで、「変わる」ということです。
どんなにいい言葉を知っても、本を読んでいい方法を学んでも、実際に行動しない事には何も変わりません。
大切なのことは、一歩を踏み出す勇気。
一歩を踏み出さなければ、前に進むことができません。状況は全く変わりません。
もちろん、そこで、初めから大きなことをしよう、ちょっとのことで成果を上げようとすると、「動けなく」なります。
ではどうするか、それが、足元のゴミを拾う実践から始める事です。
そして、踏み出すと不思議と回転力が上がってきて、やる気も行動力もどんどんと大きくなっていきます。まずは、始めることが大切になります。
二つ目が、小さいことの積み重ねを大切にするということです。
たしかに、いろんなところが汚れますし、その範囲も広いです。
足元のゴミを拾ったからと言って、すべてが、全体がきれいになるわけでもありません。しかし、きれいになったのは「0」でもありません。0,0000001でもきれいにした、プラスにはなります。
そして、その小さなごみ拾いを続けると0,0001あるいは、0,1ぐらいまできれいになるかもしれません。
鍵山さんは、この言葉について、次のように続けます。
ゴミを拾う人は、不思議とゴミを捨てないものです。
足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に何ができましょうか。
成功者ほど、小さなこと、細部にこだわってよくしていきます。
ゴミを一つ拾う行動から、「成功者マインド」をつくっていけるかもしれません。
3 はきものをそろえると心もそろう
長野県の円福寺の住職だった藤本幸邦さんが書かれた詩があります。
全文は次の通りです。
はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときにこころがみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心もそろうでしょう
曹洞宗の教えの中で、「履物をそろえる」が伝わったそうです。
実際は、「自分を見失ってはならぬ」「修行の行は日常生活のあらゆる場面でゆるがせにしてはならない」というような意味です。禅宗には「脚下照顧」という言葉があります。「悟りを他に求めず、自分自身の内面を見つめ直すことで悟り得よ」という内容になるそうです。文字通りの意味でいえば「足元に気をつけよ」のですが、そこから広く、自己反省、日常生活を直視せよという意味になりました。
履き物の脱ぎ方に、今の自分の心の状態が表れていると考えると、うなずけるものがあります。浮ついた気分で落ち着いていない時はやはり、はきものはそろっていません。
今の自分の心の状態を点検する一つの指標になるかもしれません。
逆に言えば、はきものをそろえることを毎回意識するだけで、心が整ってくるのかもしれません。
私は学校のトイレを掃除する機会がありますが、トイレの状態や下駄箱(履物の乱れ)を見ると、その学校が落ち着いているのか、荒れているのかが分かると、参加―メンバーに言われ、納得しました。
掃除だけではなく、掃除の実践、掃除を通した見方から、様々な学びがあります。
これからも、小さな実践を積み重ねていきたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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