やらない言い訳、正当化を乗り越えて~アドラー・曻地三郎さん、そして私
以前の記事にも書きましたが、私は「コントロール思考」が強く、エゴが望む結果に執着してしまいやかったため、イメージ通りにいかないことは「すべて失敗」と捉えたり、修正しながら前進したり、失敗から学んで成長していくという発想を持てずにいました。そのため、ビビりでなかなか行動できずにいました。また、胸の中で
「ようし、~をやるぞ」
「~をがんばろう」
と燃える思いが湧いても、すぐに、ストップをかけてしまう気持ちが出てきたり、あるいは、できない「理由」が、次々思い浮かんできたりしました。
・お金がないから
・もう年だから
・自分には~する能力はないから
・~したって、どうせ自分には無駄だろう・・・
たしかに、行動しても、努力をしても、目標に届かないことはあります。
たしかに、練習しても、なかなかうまくならないこともあります。
しかし、「できない」「無理だ」といって、最初から何もしなかったら「確実に」うまくはいきません。できるようにはなりません。
「まずはやってみよう」
「とりあえず、挑戦してみよう」
「やってみないと分からない」
の気持ちが、行動を後押ししてくれます。
アドラー心理学のアドラーは、ノイローゼ(例えば、赤面恐怖症や強迫神経症)などのカウンセリングに来る人に
「もし、この症状がなくなったら、何をしたいですか?」
と聞いたといいます。そして、患者さんの答えを聞いて、
「今言ったことから逃げる(やらない)ために、あなたはノイローゼになっていませんか?」
と伝え、その状態になっていることを「自分が選んでいる」ことに気づかせたそうです。
このエピソードから、同じように「できない理由」をあげって、挑戦しなかったり、自分が取り組むべき課題から逃げたりしていないかと自分を振り返ることはできます。挑戦できないのではなく、挑戦しない自分を正当化しているだけではないかと見つめられます。
実際、アドラー自身は、60歳を過ぎてから英語を学び始めた(習得した)そうです。第二次世界大戦の影響もあり、活動の場をヨーロッパからアメリカに移す必要があったからです。
アドラーであっても、やはり60過ぎからの英語のマスターには苦労したようです。しかし、「ここで諦めたら、神経症(ノイローゼ)の患者と同じだ」と、口実を作って、逃げ出さず、課題に正面から向き合って練習を続け、英語で講演するまでになりました。
アドラーの英語マスターは、仕事上「必要に迫られて」ということがありましたが、趣味でも、資格取得等でも考えは同じです。
「いつかやろう」では、先延ばしの人生。その「いつか」はずっと来ません。上達するしないは別にして、今自分ができること、したいことをして生きられるって、「幸せ」なことだと思います。
正当化しやすい、諦める、先延ばしする理由の一つに「年齢」があります。
「今から、始めるには遅すぎる」
「年だから、うまくいかないだろう」
「~をしても意味がない。どうせ~だ」
などという気持ちが、せっかくのやる気、挑戦しようとする気持ちにブレーキをかけてしまいます。
でも、「やりたい」と言う気持ち、挑戦に年齢は関係あるでしょうか?
こんな話を聞いたことがあります。
あるご住職が、寺を次の人に引き継ぎました。お寺での仕事が減る分、
「今日から、外国語(英語?ギリシャ語)を学ぼう」
と、実際に勉強を始めたそうです。
周りの人は、
「今からですか?」
「大変じゃないですか?」
等と声をかけました。きっと、「遅すぎる」「何の意味があるのか」と否定的な気持ちがあったからです。それを感じてか、ご住職は次のように言いました。
今、勉強しておけば、来世で楽だからね。
来世、生まれ変わりがあるのかどうかは分かりません。
ただ、あの世があるにしても、お金や手に入れたものは持っていけなさそうです。
では、何をもっていけるのか?
住職の話からは、「魂に刻まれた思い出、経験、身につけた能力?」は持って行けるんじゃないかと想像しました。
また、何歳からでも挑戦できるということを、身をもって示しているご住職に影響を受けて、周りの人も挑戦する事への抵抗が減るのならば、外国語の習得が進んだかどうかは別にして、その姿自体が大きな「貢献」をしているといえるのではないかとも思いました。
また、次のような方も実在しました。
曻地三郎(しょうちさぶろう)さん
日本の教育者、教育学者です。
特に、日本で初めて知的障がい児通園施設しいのみ学園を設立、運営したことで有名です。
教育における功績も多々ありますが、生き方も魅力的な方でした。
107歳で亡くなられるまで、生涯現役を全うされました。
90歳を超えてから4か国語の勉強を開始されたり、その語学力を生かしての世界一周講演旅行も達成されました。
公共交通機関だけを利用した「最高齢世界一周旅行者」として、ギネス記録にも認定されています。
やはり、こういう方の話に触れると、「年齢」を言い訳に、あきらめたり、挑戦することから逃げている自分が恥ずかしなったりします。
逆に、自分だってやれると勇気をもらえます。
また、ひょっとしたらできるかできないかが問題ではないのかもしれないとも感じます。「
やりたい!」と思った気持ちに素直に従って、前進を始めたこと自体が「しあわせ」なことかもしれません。
自分の限界は自分がつくっている
きっと、
一歩でも踏み出し、集中し始めたら、「年齢が・・・」「遅過ぎる・・・」なんていう思いすら、頭から消えています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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