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習慣が変われば性格、運命が変わる。魔法の習慣⑥の2~「一人新聞・葉書通信」の発行で、ゆるいつながりを得て、豊かさを経験できる。

マザー・テレサの言葉です。

 言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。 
 習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

また、ナイチンゲールも同じようなことを言っています。

 習慣が変われば、人格が変わる。
 人格が変われば、運命が変わる。

 自分の人生をすぐに、急に変えよう、良くしようと思っても、なかなかできません。着実に一つ一つ良い習慣を身につけるほうが、遠回りのようでいて、近道です。
 特に「よい」習慣は身につくと、それに裏打ちされた行動が、「全人格」として表れてきます。
 習慣自体が、「その人、そのもの」と言えるかもしれません。

 私自身はまだまだ、ごつごつといろんなトラブルにぶつかりながら、凹みながら暮らしています。でも、いろんな先人の言葉、行動から学び、少しは身についた習慣、あるいは、効果があった(良い人生につながった)と思える習慣も増えてきました。
 そのおかげで、トラブルを小さくしたり、立ち直りが早くなったり、そして、ネガティブな思いを引きずらずに、前を向けるようになりました。
 そんな「人生を変える魔法の習慣」を、これから、いくつか紹介していきたいと思います。
 よかったら、お付き合いください。

ゆるいつながりから、豊かさを経験できる。


1 ゆるやかなつながりが、自分を支えてくれる

 「一人新聞」を自分が勝手に作って、交流のある方に「勝手に」送っています。
 なので、読まれなくても仕方ありません。
 読むかどうかは相手次第です。
 それでも、多くの人が葉書やメールで読んだ感想や返信を送ってくださいます。あるいは、その方が作っている一人新聞や葉書通信を郵送してくださいます。
 
 自分もそうですが、記事としてまとめるのは、なかなか大変です。
 月に1号発行するぐらいのペースです。
 新聞(葉書)だけの交流でも、月1回は何かしらやり取りすることになります。実は、やり取りしている方でお会いしたことがない人もたくさんいます。それでも、何年も交流があると、昔からの友人のような気がして嬉しいものです。
 
 そうやって、ずっと交流があると、交流のある方がやりとりされている方を紹介してくださり、また「友達」が増えます。これも楽しさの一つです。中には、そうやって、友達の友達につながって、その人が住んでいる都道府県に出向いて、会う(食事などをする)ことを趣味している方もいます。
 私自身も、交流のある方から、その土地の特産物を送ってもらったり、時に、郵送代がかかるでしょうからと切手や現金書留を頂いたりしたこともあります。

 また、時に、その方が主催する勉強会や講演会に呼ばれたり、何か話してくれないかと依頼されたりもします。
 その方の発行している新聞に寄稿してほしいとお願いされることもあります。
 そんなこと、これまでの人生で一度もなかったことで、「わたしなんか…」と言いつつも、やはりうれしいものですし、実際にやらせてもらって、新しい世界が広がったりもしました。
 
 新聞やはがきの交流をメールですれば、郵送代もかからないのに・・・と思うこともあります。しかし、自分の経験から言っても、メールで送られてくると、なかなか「読まない」です。メールだとデータが残っていて、「いつでも読める」と思ってしまうからか、そのまま放置してしまいがちです。
 
 
しかし、郵送されたものは、目の前にあり、手に取ってみるので、さっと読みます。そして、なくならないようにとっておいたり、時間をおいて、あれこれと考えたり、思い浮かんだりしたことを返信に書いて、送り返します。

 メールだと「ダイレクトで早すぎる」のかもしれません。
 郵送と言うひと手間がある意味、「間」をとってくれて、緩やかなつながりを実感しやすいではないかと思います。

2 書く力が上がる

 たとえ、数行だったとしても、文章を書けば書くほど、書く力が付きます。文章力がアップします。スポーツなどで「1,2日休むと体がなまる」、読書は筋トレと同じ。「読み続けることで読むスピードや理解力が上がる」と言われます。書くことも同じ。やはり続けることで、上達します。
 
 一人新聞も、書き始めの頃は、なかなか筆が進みませんでした。
 何を書いていいか分からないし、どう書いてもいいか困る・・・。
 しかし、初めは「葉書」に一テーマ(記事)を書いていたのが、慣れてくるとだんだんと2,3と増えていき、ハガキではスペースが足りなくなって、A4の紙になり、そのうち、両面に書けるようになりました。
 
 すらすらかけるようになった要因の一つが、書く前から、「次の号ではどんなことを書こう」と、無意識に書くネタを探していたことがあります。
 
 
自分が体験する様々な出来事に対して、少し引いて見る~客観的に見る~癖がついて来て、よく観察するようになりました。
 例えば、その場の状況、周りの様子など。何が置いてあったか、誰がいたか、どんなことをしゃべっていたか・・・。時に、調子がいいとメモしていなくても、会話内容をそのまま再現できることもありました。

 そういえば、作家、もの書きの人達は、「静かな方」が多いと聞いたことがあります。もちろん、いろんな方との交流で全く喋らないということではなく、むしろ、豊富な語彙で、楽しく会話をされるのですが、常に「観察する」力があるので、書く題材になるようなことをどんな時でも「取材」しているからではないかと思います。自分がしゃべっている時はなかなか、細部まで観察できません。やはり、しっかり「見よう」とすると「静かになる」のではないかと思います。

 また、観察する中で、自分の興味・関心に応じて、生活を見直す、新しい切り口でとらえ直す機会も増えました。言い換えると、何気ない出来事に「光を当てる」という感じでしょうか。きっと、他の人は何も感じず通り過ぎるだろうことに、自分流の見方で、プラスの意味を見出したり、違和感から、その奥に何があるかを表現したりすることで、自分が経験した「現実」をより深く見直しているんだと思います。

 そうやって、日々の積み重ねで、書く力も上がります。
 何より、書くことを楽しめるようになってきました。

「楽しいと続く。続けると楽しくなる」

です。

一人新聞によって、「お金を得られた」というわけではありあませんが、それに代わる、それ以上の「豊かさを受けとった」と感じています。
 



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。
 
 

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