豊臣秀吉と豊臣秀長の兄弟仲

戦国武将として天下統一を果たした豊臣秀吉はかなり有名だと思います。


ただ、秀吉は一人で天下統一を成し遂げたわけではなく、多くの家臣がいたからこそ達成できました。



その家臣のうちの一人が秀吉の弟である豊臣秀長という人です。この人は生涯にわたって兄である秀吉の天下統一事業を支え続けました。


秀長は秀吉が天下統一した翌年に亡くなってしまいました。もし秀長がその後も生きていたら豊臣政権の崩壊は無かったと言われています。



ただ、個人的な意見としては秀長の死よりも、その後の秀吉の後継者とされていた甥の秀次を粛清したことの方が豊臣政権が崩壊した一番の原因と僕は考えています。



それはともかく秀次が秀吉を支え続けたおかげで秀吉が天下を取れたのは間違いないでしょう。



秀長は有能なだけじゃなく、兄である秀吉と仲がとても良かったことでした。



歴史上の人物において兄弟仲が良いというのは珍しいことです。



日本史において権力者の兄弟仲は悪いことの方が多いのです。


例を挙げると、



①天智天皇と天武天皇
②崇徳天皇と後白河天皇
③源頼朝と義経
④足利尊氏と直義
⑤徳川家光と忠長




このように権力者の兄弟とは仲が悪いことの方が多いのです。


なぜなら兄弟というのは自分にとって代わられる存在になりやすいからです。兄弟に野心がある場合は特に大変です。



せっかく自分が築き上げた地位を弟(兄)に取られてたまるものかという気持ちになるので、そういう存在はなるべく排除しようと考えます。



それに対し秀長には野心がなく、秀吉と秀長はお互いを信頼しあっていたのでトラブルになることはありませんでした。


今も昔も兄弟仲が良いというのはとても大事なことなのだと改めて感じました。


ではまた!





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