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ADHDの子への教育指針

近年の教育のベースとなる思想は「人は誰でも努力すれば報われる」というものです。

知能ではなく「やりぬく力」が重要で、やり抜く力があればどんな人でも成功できる!と自己啓発本がベストセラーになったり、教育業界でも落ちこぼれから、いい先生との出会いや本人のやる気で成績が向上し、人生大逆転!みたいなストーリーが好まれます。

「私なんかでも成功できるんだ!」と希望を感じられるこれらのストーリーは人々を勇気づける一方で、それでもずっと燻っている人には残酷な現実を思い知らせることとなります。

自分がうまくいかないのは、自分の努力が足りないからだ。
自分が成功できないのは、自分のやり抜く力が足りないからだ。

親という立場の人にとっても、子どもが発達障害を患ったり、学力が伸び悩むと「私の育て方が悪いんじゃないか、、」と自分を追い込む理論がここでもしばしば使われます。

1つの例でADHDの子はどうなのか?という話をします。

ADHDとは発達水準と比較して注意を持続させることが困難であったり、順序立てて行動することが苦手であったり、落ち着きがない、待てない、行動の抑制が困難であるなどといった特徴が持続的に認められ、そのために日常生活に困難が起こっている状態です。

おそらく狩猟時代であったり、産業革命前の日本ではADHDだろうがそんなに日常生活に困難はなかったはずです。

産業革命以降、決められた時間で決められたように動くことが求められたり、学校でも同じ時間でじっとして話を聞くことが求められることによって、そもそも「個性」だったものが「障害」とレッテルを貼られたのかもしれません。

本来、原始時代などは人間の生活の中でじっと椅子に座って話を聞き続けるという状況は存在しませんから、別に障害でもなんでもなかったはずです。

行動遺伝学の世界では、教育などではなくそもそも遺伝によって「努力できない遺伝子」「集中できない遺伝子」の存在が発表されています。

遺伝子的に努力できない子に「努力が大事」「努力すれば成長できる」という教育ほど残酷なことはありません。

羽が生えていないのに、頑張れば空を飛べる!と言うようなものです。

「障害」ではなく「個性」と捉えられるお手伝いを我々はしています。

「人より劣っている」ではなく「人とはここが違うんだ」という理解ができればものすごく生きやすくなるはずです。

また、人との違いが理解できれば自分が咲ける場所を見つけられます。

一般的な社会で咲きづらいパーソナリティであれば、どんな環境だといいのか、どんな人が周りにいればいいのか?を考えることで幸福度の高い人生が送れるのではないでしょうか?

人より劣っているのではなく人とはこの部分が違うという理解こそが建設的な人生戦略を立てるスタートだと考えています。

どうしても世の中的に努力できることは素晴らしい、知能が高い人は素晴らしい、外交的で話が上手い人は素晴らしいと勝手に優劣をつける思想に振り回されてしまいますから、私は人とこういうところが違うから、こういう風に生きていく!とはっきり自己分析できると楽です。

サラリーマンとしてはダメでも起業家として成功できたり、起業家としてはダメでも、職人として伸び伸び人生を送れたり、職人にはなれなくても、農業の世界で楽しく過ごせたりするわけです。

置かれた場所で咲きなさいではなく咲ける場所を見つけましょうという指針こそ
生きづらさを感じている子ども(大人も同様)に必要な観点だと考えています。

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