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キスノア
2022年12月21日 03:39
アドラー心理学の知名度を一躍青天井に押し上げたであろう著書「嫌われる勇気」をうろ覚えながら振り返ってみる。 この物語は対話形式での解説を目的としていたのだろうと一応勝手に察してはみたが、にしても言葉の壁は以前大きかったように思う。アドラーの言葉を正確に翻訳するというアプローチ自体が言語化過程と整合性がとれていたか?や、二極を否定して中間を扱う時には逆に感情的な言葉が足掛かりになるかと私は勝手