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捨てきれない安心感

制服を脱ぐと、不安になる。
制服を着ている間は、何者かに属している事で、
自分に存在価値を見出せる。
だが、制服を脱いだ途端、自分は何者でも無くなってしまい、
所在不明な存在に価値がなくなる気がしてしまう。
そもそも、価値なんて自分が決めるものではないんだろうけど、
どうしても、自分には価値がない気がしていたたまれない。

仕事は嫌いじゃないけど、働きたくはない。
みんなそうだと思うけど。
仕事をしていると、みんなが必要としてくれている感じが、
自分の存在に価値を与えてくれる。
生きててもいいんだよ、なんて、大げさかもしれないけれど、
そう言われてる気がして、安心感がある。
だから、働かないでいる自分なんて想像つかない。
考えられない。
でも、肉体的に今の仕事に遅かれ早かれ限界は来ると思う。
だからこそ、何か収益を得られる方法を身につけなければと思うのだが、
そんなに世の中は甘くない。
いや、自分が思いきれないだけなのかもしれない。

目指す方向を調べていけば調べていくほど、
不安しかたまっていかない。
案ずるより産むが易し
なんだろうけど、なかなかそこまでいきつけない。
臆病者が顔を出す。
変わりたいけど変われない。
映画とかだとうじうじしているサブキャラは、主人公に諭されて一歩を踏み出し、ここぞというところで勇気を出して、みんなに感謝されながら敵キャラにやられてしまう。
それは嫌だ。
2時間余りのストーリー上、仕方ないのかもしれないけれど、
一つの物語でそこまでやれるのは、最初のポテンシャルは持っていたからに違いない。
そのポテンシャル、逆になんでいままでに生かせなかったんだよと、最期に少し悲しくなったりもする。

働からずもの食うべからず
なわけで、生きてく上で労働は不可欠なものだ。
その労働は、好き嫌いではなく
向いてるか向いてないか
で選ぶしかない。
こんなに人と会うのが苦手なのに、接客業をして、
お客様から褒めらる自分が言うのだから間違いない。
ただ、クレームになってしまわないように、危機回避しているだけなのだが、
「あなたの笑顔はいいはねぇ。」
「あなたに会いたくて来たのよ。」
なんて、言われてしまうのだから、ある意味向いているのだろう。
とてつもなく疲れるけれど…

ポテンシャルは人それぞれにあるんだろうし、
向いてる向いてないも、やってみないとわからない。
ただ、やりたいこと=向いてること
ではない。
それだけは、確実に言える。
でも、やりたいことをやらずに、自分には向いていないと辞めてしまうのも違う気がする。
やりたいことをやってみてからでも遅くはないと思う。
人生100年時代。いくつまで現役でいれるかなんて、この時代には全く分からない。
理由をつけて、やらないでいることはいくらでもできるが、
一歩踏み出してやってみた時、それはどんなことでも自分の自信に繋がると思うのだ。
そうしたら、自分の存在意義なんて言わずにいられるようになると思う。
制服を脱いだ方が、自分らしくあれて楽だと思える日もくるかもしれない。

そう、頭では分かっている。
分かっているんだけど!!
と、今日も私は脳内で地団駄を踏みながら、
人生の迷宮を彷徨っている。
制服を着て安心している日々は、もう少し捨てられずにいるのかもしれない。
とりあえず、急がず自分の性格を考えて、半歩ずつでも進んでいけるように今は毎日健康に過ごしていこうと思う。


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