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『ほうれん草のごま和え』

20230604

 ほうれん草のごま和えは美味しい。
ほうれん草とごまを和えて、時間を置かずに食べたほうがごまの香りが引き立って、より美味しい。
食べ物の味に気づくのは自分の口に入れたその瞬間だが、人のやさしさに気づくのは、少し時間がかかったりする。

 日々の生活の中で誰かにやさしくされることは大抵の場合うれしい。
エレベーターで降りるときに、先にどうぞと「開」ボタンをずっと押していてくれたり、飲食店で水を人数分持ってきてくれたり、重い荷物を持ってくれたり、自分をどこかで待っていてくれたり、これらの行為によるやさしさにはその場で気づくことができ、すぐに感謝を伝えることもできるのだが、歩行者用通路を案内してくれるおじさんの、あのやさしさにはもっと早く気づいていたかった。

 最近はちょいと怖いおじさんに遭遇することが多かった。混雑した電車内で不機嫌にぶつぶつ文句を言っていたり、堂々と早歩きして人にぶつかっていたり、誰かに暴言を吐いていたり、こんなじじいにはなりたくないと思うけれど、それぞれのおじさんにも今日なんか嫌なことがあったのかなあなどと考えていると、とりあえずいったん落ち着いてくださいとか言いたくなるけど、そんなことは言えるはずもなく、自分は関係ないと割り切って電車の外から見える室外機の数を数えている。

 家から駅までの道中で道路や下水道の工事をしていると、歩行者用通路を案内してくれるおじさんがいる。急いでいるときはおじさんには目もくれず通り過ぎるのだが、あのときのおじさんはとてつもなく親切であることが多い。「こちらからどうぞ、ご迷惑をおかけします、お気をつけて通り下さい」と、ただ少し細くなっただけの通路をただ歩くだけなのに、なぜあれほどまでに親切なのだろう。自転車に乗っているときも、通路の入口のおじさんが出口で構える別のおじさんに向かって、「自転車一台!」と威勢のいい声で、自分の存在を宣言してくれたりする。歩行者を安全に通行させることがそのおじさんに与えられた役割だと思うのだが、通行するだけの全ての人に対して、全力のやさしさが向けられるあの瞬間は本当に尊いと思う。

もし、将来自分の周りから人が離れていってしまった時、手作りのほうれん草のごま和えを歩行者用通路を案内してくれるおじさんたちに差し入れして、「これ昼休憩のときにでも」「ええ、いいんですか、なんですかこれ?」「はい、さっき和えたばかりのほうれん草のごま和えです」「すごいですね、ありがとうございます」「いやいや、いいんですよ」みたいなことを繰り返して、なんとか社会と自分のつながりを『ほうれん草のごま和えの差し入れ』によって保とうとしていたらどうしよう。
工事現場は年配の方も多い印象だから、ほうれん草のごま和えは意外と喜ばれるかもしれない。

「今日も差し入れです、今日は黒ごまで和えてみました」

「おはようございます、今日は暑いんでポン酢を少し加えてさっぱりめな感じです」

「おはようございます、今日は冬のほうれん草なんでけっこう甘いと思います」

 こんなやりとりを繰り返しているうちに、いつしか工事も終わり、歩行者用通路もなくなってただの歩道が出現して、ぼくはまたほうれん草のごま和えを差し入れできる工事現場を探すことになり、ついには電車に乗ってまで届けようとして、途中の車内でも工事現場に勤めていそうな人には片っ端から差し入れして、結構ちゃんと断られて、徐々にぶつぶつ文句を言うようになって、人にぶつかって、周りの人から迷惑がられて、若者にこれだから最近のおじさんは、とか思われる未来だけは避けたい。


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