私の野球人生⑧「入団テスト」
人生を変えた入団テスト
コロンビアから帰国した私は、「今年一年で結果を残し、絶対にプロに行くんだ」という強い思いを抱いていた。しかし、その前に片付けなければならないことがいくつかあった。3か月も動かしていなかったため、エンジンがかからなくなった車の修理や、球団の紹介で住んでいたアパートの3か月分の家賃支払い、その他もろもろで、コロンビアで稼いだお金は一瞬で消えてしまった。そしてもちろん、その後の生活費や支払いも消えるわけではない。シーズン中に野球に集中するためにも、球団に立て替えてもらっていたお金を返すためにも、バイトを始めた。
そして、ようやくシーズンが始まるとき、元メジャーリーガーで、日本でも活躍した外国人が監督に就任した。この監督は「君は絶対にプロに行ける」と言ってくれて、1年間、先発として使い続けてくれた。監督の期待に応えられる成績を残すことができず申し訳なかったが、この監督との出会いも私にとって非常に大きなものとなった。
先発としてチームを勝たせることができなかった私を使い続けた結果、チームは創設以来初めてプレーオフ進出を逃してしまった。しかし、このことが私の運命を変えることになる。例年であれば、プレーオフと日程が重なって受けることができないある球団の入団テストを、今年は受けられることになったのだ。
独立リーグでは「2年でプロに行けなければ引退してセカンドキャリアに進む」という選手が多く、私ももう一年野球を続けるか迷っていた。この入団テストを、私の野球人生の区切りとするつもりで、ダメなら諦めがつくだろうと思っていた。
入団テストでは50メートル走や遠投の計測があり、その後、ブルペンで一人5分ほど投げるだけだった。一次を通過すると、さらにブルペンで20球ほど投げる機会があった。その後、私と他の2人が別室に呼ばれ、「はい、合格です」と告げられ、書類を書かされて入団テストは終了した。
「これでプロになれるのか?」と手応えのないまま帰宅したが、色々調べたり、チームの方々に合格の報告をすると、それは「ドラフト候補としての合格」を意味するものであり、書かされた書類は「調査書」だったことがわかった。調査書というのは、基本的にドラフト候補に対して球団のスカウトから渡され、提出されるものらしい。この調査書がもらえない限り、ドラフトにかかることはほぼないのだそうだ。
毎年「もしかしたら」とドラフトの日にテレビの前でドキドキしていた時間は、実は何の意味もなかったのかもしれない……
続く:私の野球人生⑨「運命のドラフト会議」