私の野球人生⑦「コロンビアの野球」
異国での野球
私たちが試合に出たのは、コロンビアに到着してから4日ほど経った頃だった。まずはマイナーリーグ経験のある先輩が登板し、まずまずの結果を残した。次の試合では私と同級生が登板。ボールの違いや準備の仕方に戸惑いはあったが、なんとか投げ切ることができた。同級生は思い通りのピッチングができなかった。
その後も私は結果を残し、先発としてローテーションに加わることになった。するとチームメイトも受け入れ始め、コミュニケーションも上手く取れるようになってきた。言葉を覚えるのには時間がかかったが、野球で結果を出せばチームに溶け込むのは早かった。コロンビアで流行っている音楽が球場で流れていたので、アパートに戻って何度も聴き、サビだけでも覚えて、練習中にその音楽が流れたらチームメイトの前で歌った。毎試合必ず流れるコロンビアの国歌も全部覚えて試合前に声を出して歌った。チームメイトは「面白い日本人がいる」と話しかけてくれ、ご飯に連れて行ってもらったり、観光地にも案内してくれるようになった。言葉はわからなくても、野球とノリで3ヶ月間、楽しく充実した日々を過ごすことができた。
一方で、同級生はスタートダッシュに失敗し、コミュニケーションも上手く取れないまま2週間が過ぎた。2週間に一度、契約を継続するか帰国してもらうかの判断があり、同級生は契約をしない方向で話が進みかけていた。しかし、日本人3人のうち1人だけを帰すのもどうかということで、次の契約までチャンスをもらえることになった。コロンビア人のチームメイトからも「お前は俺たちと上手くコミュニケーションが取れているが、あいつはなんで話しかけてこないんだ」と言われていた。日本人の性格的に自分たちから歩み寄るのが苦手なのかもしれないが、ここはコロンビアであり、その文化に柔軟に対応していかなければならない。
私自身がうまくいっていたこともあり、同級生に「お前は真面目すぎる。もっとこうしたほうがいい。お前のやり方では通用しない」などとキツイ言い方だったかもしれないが彼とはよく揉めた。野球とは関係ない普段の生活の部分でも私と先輩からいろいろと指摘され、同級生にとってはかなりしんどい3ヶ月だったと思う。しかし、日本に帰って同じチームになったときに、彼は「あの時お前に言われたことが今ではよくわかる」と話していた。彼にとっても無駄な3ヶ月ではなかったようだ。
順調に結果を残していた私は、その後も先発として5勝を挙げ、週間MVPに選ばれ、オールスターゲームにも出場した。そのときゲストとして来ていたコロンビア人で元メジャーリーガーのエドガー・レンテリアから「良い日本人がいると聞いたが、君のことかな。これからも頑張ってな」と声をかけられた。メジャーで活躍していた選手に声をかけられたことは嬉しかった。
オールスターゲームも初めての経験で、驚くことばかりだった。オールスターの前日には立派なホテルでパーティーがあり、ジャグジー付きの部屋もあった。数ヶ月汚い水で体を洗っていた私にとって、コロンビアにもこんな場所があるのかと驚いた。そして、初日にはホームラン競争があり、投手や参加しない選手たちはベンチでビールを飲みながら観戦していた。球場も満席でお祭り騒ぎだった。
そして次の日には先発投手としてオールスターゲームに参加した。一本のホームランを許してしまったが、とても楽しく、良い経験になった。その後の試合では疲れも出てきて、結局優勝争いに敗れ、コロンビアでの3ヶ月のウインターリーグは終了した。
余談だが、3ヶ月間ピザやハンバーガーなどばかり食べていた自分たちは、日本食を探していると日清のインスタントラーメンを見つけた。それを買ってアパートで調理しようとしたら、麺には無数の白い糸が巻きついていて、幼虫が入っていた。その前にもスーパーでパンを購入した際、小さな虫が大量に混入していたことがあった。さすがに私は食べられなかったが、先輩は「火を通せば問題ない」と言って普通に食べていた。その姿は今でも忘れられない。
続く:私の野球人生⑧「入団テスト」
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