見出し画像

子育ては子離れの練習だということ

子育ては、子離れの練習です」

いつか読んだ育児本にそう書いてあった。
読んだ時はあまりピンときてなかったその言葉が、今朝、身に染みてわかった。

この春小学2年生になった次男坊は、甘えん坊で優しい性格だ。
先日の家庭訪問でも担任の先生から「毎日癒されてます♡」とメロメロの表情で言われた。小さい頃から女の子や女の人の心を掴むのが天才的に上手い。

母である私も例外なく、彼の虜だ。

「ママ、ゆうかちゃんの家までついてきて〜」

2年生になってから毎朝、一緒に学校へ行くゆうかちゃんの家まで次男と一緒に歩いていた。徒歩10分くらいかな。田んぼの横を通り、栗の木や柿の木の横を通っていく。次男と一緒に道に咲くお花を見つけたり、出会う猫を可愛がったりする時間が楽しかった。近くには、ウサギを外で飼っている家があって、たまに茶色いウサギさんのもふもふした愛らしい姿に癒されに行った。

長男は早く学校に行きたくて、いつも30分前には家を出る。次男は一人で行くのがまだ心細いのか、いつも私についてきて欲しいとねだっていた。

「もう自分一人で行けるでしょ〜」

そう言いながらも結局ついていく私。なんだかんだ言って、彼と一緒に歩く散歩道が楽しかったのだ。


しかし、その時は突然訪れた。

今朝私が玄関のドアを開けると、彼は玄関の少し先まで一人でてくてく歩いていた。ふと、何気なく、ぽろんと私の口から言葉が出た。

「一人で行っておいで」

すると、息子は

「え?なんで?」

という顔をして振り返った。でも、すぐにくるっと前を向いて一人で歩き出したのだ。

(あ……え、あれ?)

動揺したのは、私の方だった。
絶対に「嫌だ、ママもついてきて」と即答するだろうなと心のどこかで思っていたからだ。

二、三回、不安そうに振り返りながらも、彼は一人で歩いて行った。そして、曲がり角付近になると、タタタっと駆け足で曲がっていった。

(……あれ、私なんであんなこと言っちゃったんだろう……)

急に後悔の念に駆られた。なぜか追いかけていきたくなった。

一人で行けたこと。これは、喜ばしい息子の成長のはずである。
いつまで一緒について行かなきゃいけないんだと、心でため息をついた日だってあったじゃないか。

それなのに私の胸はぎゅっと締め付けられていた。情けないことに、ちょっと泣きそうにもなっていた。

(もう、いつの間にかこんなに大きくなっていたんだな……)

いつまでも甘えん坊の次男ではない。こうやって少しずつ親の手から離れていく。それは頭ではわかっていることだけれど、やっぱり……やっぱり寂しいのだ。

ちょっとだけ心配になって、しばらくしてから曲がり角まで行ってみると遠くでゆうかちゃんと息子がダッシュで学校へ行っている背中が見えた。大きなランドセルが元気よく揺れている。その可愛い背中たちを見て、思わず少し笑った。笑って、そっと自分の瞼を手で拭った。

息子の後ろを着いてきただけで散歩が終わるのがちょっぴり悔しくて、少し遠回りして帰ることにした。

今まで通ったことのない小さな道に入ると、小高いところから、いつもの道を見下ろすことができた。朝の凜とした空気が頬に伝わってくる。



「子育ては、子離れの練習」

ほんとにそうだなぁと思う。私は少しずつ、子離れの練習をしているのだ。息子たちが生まれてから、乳離れ、おむつ離れ、そうして手をかけてきた手が少しずつ離れてきた。

乳が離れたときは、長男の時も次男の時もいっぱい泣いた。開放感もあったはずなのに、やっぱり泣いた。息子たちの成長を感じるたびに嬉しさと少しの寂しさとが入り混じる。


だけど、成長するにつれて一緒に楽しめることだって増えてきた。ゴールデンウィークは、家族でキャンプに行く予定だ。

きっと数年後には、「休みの日は友達と〇〇行きたいから行かない」なーんて断られちゃうのだろうから。

今、息子たちと一緒に過ごせる幸せを、このあたりまえにある幸せな日々を大切にしていきたい。

そして、今日の嬉しさと切なさをいつまでも覚えていようと思った。






この記事が参加している募集

#子どもの成長記録

31,448件

#今こんな気分

75,204件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?