何月何日何曜日?|ショートショート
もう寝ようか。そう思った午前二時過ぎ。妹の部屋の前を通りかかると、まだ電気が付いている。藍月は明かりの漏れるその扉の前で立ち止まり、三十秒ほど考えた。―彼女は明日学校があるのではないだろうか。
高校二年生の妹、咲恵は絶望的に寝起きが悪い。平日の朝はいつも「あと三分」の眠りを繰り返し、結果、遅刻スレスレで朝ご飯も食べずに出掛けていく。故に、学校がある平日は、咲恵はさっさと床に就くべきなのだ。こんな時間まで夜更かしせずに。
藍月はノックをしようとして思い直し、頬を近づけてドア越しに話しかけた。
「咲恵ちゃん明日学校?」
「ううん」
ひょっとして明日は土日だったか。
「明日何曜日?」
「金曜日」
やっぱり平日か。
「祝日?」
「ううん。卒業式」
ああ、そういうことか。
納得した藍月は咲恵と就寝前の挨拶を交わして自分の部屋に向かう。ふっとした疑問が頭の奥に貼り付いてなかなか寝付けないということはよくあることだが、今夜はその心配はなさそうだ。
明日(零時を過ぎているので正確には今日)は金曜日。妹は卒業式だから学校はなし。
別にこんなことを確かめたからといって藍月がぼけているわけではない。春休み真っ只中の大学生なんてこんなものだ。毎日好きなだけ夜更かしして、昼過ぎに起きることもあるし、一日中だらだらとYouTubeを見たり、ソシャゲしたりする。
段々と曜日がわからなくなってくるのは至極当然のこと。そして自然なこと。
別に曜日なんてなくても良いのに。最近の藍月はちらりとそんなことを思ったりもする。今日が何月何日かわかっていればそれで十分なのだ。
朝。藍月が開かない目をこすりながらリビングにやってくると、咲恵はもう起きていた。いつものようにドタバタと支度をしている。洗面所を出たり入ったりしながら荷物を用意したり、着替えたりして大変だ。
「お姉ちゃん! マスカラ借りて良い?」
朝ご飯は食べないくせにメイクだけは欠かさない。ちゃんとJK。
「ああ、良いけど。今日って何日だっけ?」
藍月は洗面所の扉から顔をのぞかせて訊く。鏡と睨み合っている咲恵はこちらを見てくれない。
「はぁ? 三月三日。ひな祭り」
咲恵はイラついている。
三月三日。三月三日って、木曜日ではなかっただろうか。
「あれ、今日って何曜日?」
「木曜」
「今日って卒業式じゃないの?」
「それは明日」
咲恵は「どいてっ」と乱暴に姉を押しのけて行ってしまう。藍月は首を傾げながら寝起きのおぼつかない足取りでフラフラとその背中を追いかけた。
自分は寝ぼけているのかもしれない。いや、寝ぼけているのは咲恵かもしれない。咲恵は昨日……じゃなくて今日、確かに今日は金曜日、卒業式だと言っていた。
そこで藍月は思い当たる。そういえば寝る前、今日の午前二時過ぎ、自分は咲恵に「明日は何曜日?」と訊いたかもしれない。だから咲恵は明日は金曜日だと言ったのだ。
リビングの隅の“即席書斎コーナー”でこれから仕事に取り掛かろうという父に藍月は問う。
「お父さん、今日って何月何日何曜日?」
「今日は三月三日木曜日。天気は晴れ」
そうか。今日は三月三日木曜日なのだ。
藍月は寝間着のままソファに座り、スマホを手に取る。漫画アプリのチェックは朝の日課だ。今日は木曜日だから『ビッグ・クエスチョン』が更新される日。
藍月の親指はカラフルなアイコンの間を彷徨い、目当てのロゴの上でストップする。
藍月は顔をしかめた。おかしい。昨日、自分は『ビッグ・クエスチョン』の最新話を読んだ気がする。主人公がやっとマシンを完成させた感動回。忘れるはずがない。
震える親指を振り下ろし、アプリを開いてマイページに進む。
やっぱりだ。この表紙。昨日見た。
直ぐにアプリを閉じた。そして普段なら存在すら気にも留めない、隅の方に追いやられたカレンダーアプリを起動しようとする。その途端、画面が真っ暗になる。バッテリー切れだ。
藍月は右手の壁にカレンダーが掛かっていたことを思い出す。
よろよろと壁に近づいて、そこに掛かっているだけで誰も何も書き込まない写真付きの紙を眺めた。
わからない。今日は一体、何月何日何曜日なんだ?
呆然としていると母の声が飛んでくる。
「藍月!何してるの?起きたんなら早く朝ご飯食べなさい!」
母はそう言いながら、テレビをつけた。
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