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一万キロ先の元カレへ

なんの前触れもなく、まさに青天の霹靂のごとくあなたに振られてから一週間が経ちました。それは六ヶ月記念を祝った日から、まだ五日と経たなかったのではないでしょうか。

トルコに住むあなたとは始まりからずっと遠距離で、思い返せば不思議な恋愛でした。

文通アプリで出会ったのは十月。そしてその出会いから三ヶ月間、その頃スウェーデンにいた私は顔もフルネームも知らないあなたとオンラインで手紙のやり取りを続けました。一月七日、あなたは私に「葵々はどう思ってるの?君を僕の友達として数えてもいいの?」と尋ねてきましたね。私はあなたを友達だと思っていたから、素直にそう伝えました。あなたはさぞ喜んだのでしょう。それから程なくして、私たちはインスタグラムを交換しました。あなたのアイコンーーー荒れた嵐の海にかかる黒い雲の隙間から太陽の光が微かにのぞいているなんとも陰気なイラストーーーを見た瞬間は正直少しビビりました。投稿数はゼロ。フォロワーは四人、父親と弟と親友一人と大学の公式。まあSNSが活発でなくたってなんの問題もありません。そんなことで誰かを判断するような野暮な人間にはなりたくありませんでした。ただ、アイコンも相まって、それがかなり印象的だったことは事実です。

私は暫く前からあなたの好意に勘づいていました。そんな見え見えで素直に浮かれているあなたがなんだか可笑しくて、意地悪な私はあなたを小悪魔的に揶揄っていた節がありました。その頃からすでにあなたは私に振り回される運命にあったのかもしれません。

私はあなたを良い友達だと思っていました。なんでも話せて、飾らない自分でいられて。いつかあなたと恋に落ちるかもしれないと思った日がなかったわけではありません。

あなたの熱烈な押しは相当なものでした。私はあなたに訊いてしまいましたね。「私のことが好きなの?」と。ここでもあなたは存外素直に「そうだと思う」と認めました。

私は困りました。あなたとはもっと時間をかけたいと思っていたし、なんたって、当時私には他に気になる人がいました。

私はあなたにもっと時間をかけたいと伝えました。春になったらあなたに会いに行くから、それまで恋人になるのは待ってくれないかと。その間にお互い他に素敵な人を見つけたら、私たちの関係は終わりにしようと。こうして卑怯な女に惚れたあなたは友達以上恋人未満に据え置かれました。

このときから、あなたはずっと我慢していたのかもしれません。きっと衝突を嫌うあなたはこの六ヶ月の間に沢山の火種を飲み込んでいたのだと思います。

ところで、告白の日からそれほど経たないうちに、気になる人との恋は敗れました。そんなことも私はあなたに言ってしまいましたね。あなたは文句を言うでもなく「そうかそうか」と慰めてくれて。それから二人で恋の思い出話をしました。私はあなたの恋愛遍歴を知っているし、あなたも私の遍歴を知っています。

あなたと私は驚くほど似ていました。私にはあなたの思考回路が読めたし、どうやらあなたも同じようでした。基本的な価値観も全く一緒で、よく同時に同じことを言いました。お互いの口癖やブームはいつも三日とかからず伝染しました。トルコ人のあなたと日本人の私でしたが、カルチャーショックを感じたことは一度もありませんでした。

でもただ一つ、男女観だけはずっと相容れないままでしたね。トルコの文化的背景もあり、あなたにはなんだか昭和の頑固野郎みたいなところがありました。同い年なのにね。でもその分、私を守ってくれようとする気持ちも人一倍大きかったと思います。いつも私が一番で、私を大切にしてくれようとしていたと思います。ありがとう。

184センチでぽっちゃり体型のあなたを私は「熊さん」と呼んでいました。あなたは私を「子猫ちゃん(キティ)」と呼んでいましたね。実際私はあなたより30センチ以上身長が低くてチビでした。気分屋でいつも眠くて、甘えたり拗ねたり、あっちに行ったりこっちに行ったり、目が離せない感じが猫のようなのだと、いつかあなたは言いました。

さて、「もう付き合いきれない」と言われて振られた私ですが、私なりに思うところがあるとすれば、それは「もっとあなたとぶつかり合いたかった」です。思い返せば、すれ違うことはあれど、衝突して喧嘩することはありませんでしたね。

あなたに甘えまくって、振り回しまくっていた私ですが、私はあなたにも同じことを期待していました。どんな些細なことでも、私や私たちの関係で思う所があれば率直に言ってほしい。私に甘えて良いし、振り回しても良いのだと。実際、私はあなたにそう言い続けました。それでもあなたは最後まで「大丈夫。全て上手くいっている。君は完璧だ」、そうとしか言ってくれませんでした。すれ違う時はいつもあなたが光のスピードで謝って。「僕が全部悪かったんだ」そう言って私からの謝罪を本当の意味で受け入れてくれたことはなかったと思います。

ずっと遠距離だったこの関係において、私にはあなたの言葉が全てでした。あなたが私に囁いた幾万もの愛の言葉を私はそのまま信じていたし、そしてまた、あなたが「大丈夫だ」と言うときも、私はそれを信じる他なかったのです。

私はあなたが溜め込み体質なのを知っていました。もっとあなたを気遣うべきだったのでしょうね。

あなたは自分自身のことについて、とても鈍感でした。そして自信も肯定感もありませんでした。それはあなたがいつか私に教えてくれたあなたのコンプレックスです。私はそんなあなたと、長くゆっくり時間をかけて向き合っていきたいと思っていました。そんな時間はありませんでしたが。

あなたは私を振りました。ちょっと自己中な私に言わせれば、あなたは私を捨てました。

あの日あの夜、私が遅くとも午前一時には寝ることを知っていて、あなたは二時半にメッセージしてきましたね。

「もう君には付き合いきれない。もっと良い人を見つけてください。さようなら」

前日の夜にちょっとしたすれ違いを起こして、その後二十四時間連絡が取れなくて。これはそれからの急な別れでした。

私が寝ている間に、あなたは綺麗さっぱり消え去るつもりだったのでしょう。が、残念。あなたを心配していた私はまだ起きていました。

今まで私に苦言を呈することもなかったあなたが、あの夜ばかりは私を罵り、もう嫌いだ、顔も見たくなければ声も聞きたくないと言いましたね。

最後の別れの時、あなたは電話すらしてくれませんでした。あなたの言うとおり、顔も見なけりゃ声も聞かない。文字だけで私たちの関係は終わってしまったのです。

あなたの最後のセリフはーーー
「僕の写真は全部消して。僕も君の写真は全部消したから。それから、いつか君にプレゼントしたネックレスは捨てるか誰かにあげるかして。良い思い出をありがとう。さようなら」

そうしてあなたは、最後の言葉から一時間もしないうちに、私と繋がっていた全てのアプリから私を削除し、例に漏れずインスタグラムでもあなたは私のアカウントをリムーブしました。まあ、そこまでするのにブロックはしなかったところ、あなたらしいです。

あれから私はあなたに連絡していませんね。

あなたに振られてから二日、私はゾンビのように過ごしました。あなたを好きな気持ちと、来ると信じていた未来への未練と、あなたにそんな風に嫌われて振られてしまったことへの寂しい気持ちがずっと心の中で渦巻いて荒れ狂っていました。涙と虚無を一日中何度も往復しました。

私は今でもあなたが好きです。六ヶ月の間大好きだったあなたを突然嫌いにはなりません。恨みや憎しみだってほとんどないのです。ただ、あなたがいなくなった寂しさと、もっとあなたと上手くやれたのではないか、私に改善できるところが沢山あったのではないかという悔しさだけがモヤモヤと残ります。

でも復縁することはないでしょう。あなたは最後に漏らしましたね。この関係において、ずっと私の方が力が強かったと。内面の問題だけでなく、経済状況、お互いの進路、色んなことで私たちの間には偏りがありました。きっとこの先ずっと続けていても、お互いに苦しいだけだったのかもしれません。

私はあなたを忘れません。そして、どこぞの歌姫ではありませんが、あなたはこれから私の創作のネタとして擦りにこすられるでしょう。喜んでください。あなたがずっと憧れていた、生きた証というやつです。あなたの生きた証はこれからずっと、広いインターネット空間のどこかを漂い続けるのです。

あなたがこれを見る日は一生来ないのでしょうが、このnoteは私の懺悔でも、あなたをディスるためのものでもありません。ただの備忘録です。

最後に。あなたは素敵な人でした。元気で、成功して、幸せになってください。ありがとう。


元あなたのキティより

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