引きこもるの飽きてきた。

「精神障害のある親御さんを幼い頃から介護されている方はたくさんいると思います。でも、ご自分が50代60代になった時、"自分には何もない"なんて思わないように自分の人生をどうか生きてください。」

私の両親は2人とも精神科に通院していて、精神疾患や発達障害がある。
ヤングケアラーという言葉は学生の頃から知っていたけど、「私って親の精神的な介護をしてきたんだ」と実感を持ったのはここ1~2年の話だ。

冒頭に書いた文章は、精神障害のある家族がいる方向けの自助会で知り合った方が私に伝えてくれたこと。
子どもに精神疾患がある方もいるし、パートナーやきょうだい、私のように親に精神疾患がある人が集まっている。
リアルでの自助会に参加する体力、気力がないため、ネット上の家族会に参加している。

今までも"自分の人生を生きて自分の幸せを探して"と励ましてくれた人はいた。
でもカウンセラーや支援員からの言葉であって、彼らにとっては助言をすることが仕事なわけだし、「この状況でどう好き勝手に生きろと?」と彼らの言葉は無責任にも聞こえた。

"家族に精神疾患のある者がいる"といった家族会は去年見つけた。
なんせ、今までは親に振り回されることが当たり前の日常であり、そうじゃない人生を知らなかったからだ。

ある日、"私って親の無料カウンセラーや無料ヘルパーなの?お金貰わないと分に合わない"と呆れたことがあった。
初めて、"なんでこんなことを無償でやり続けなきゃいけないの?"と思えたのだ。
そこで精神障害のある親の会はないかとインターネットで探し始めた。

そのような家族会は見当たらなかったけど、精神疾患の家族がいる人向けの家族会を見つけることができた。
いつもの如く親の気分で暴言を吐かれ、もう無理だと思った私の誕生日の日にその掲示板へ恐る恐る書き込んだ。
すると、いろんな立場で悩んでいる家族の方からコメントをもらうことができた。

それから書き込むことはなかったけど、こないだのお盆にも親から暴言を吐かれ、"誰かに話を聞いてほしいけどこんなことを話せる人はいない"と孤独感でいっぱいになった日があった。
そこでまた家族会を思い出し、もう限界ですと書き込みをした。
その時にコメントをくれたのが冒頭の文章だった。

「自分が50代60代になった時か…」と普段考えたこともない未来を想像した。
私の母親は毒親に育てられ、人を見る目がないために高機能自閉症で癇癪を起こしたり暴言を母に吐いたりするようなモラハラ男と結婚した。
短大を卒業し、これといった資格もなく、本音を話せる友達がいない母は子育てに依存するしかなかった。
子どもは無条件で親を愛するし、幼い子どもには親しかいない。
モラハラを受けている母も自分より立場の弱い自分の子どもに対して過剰な支配をし、殴る蹴るなどの虐待を行っては子どもを思い通りにしている。

モラハラ男と結婚するような人も結局は度合いが違うだけでモラハラ気質なんだな、と思った話は置いておいて、そんな母は還暦を過ぎても「私には何もない。子育てしかなかった。死にたい。」と私に何度も繰り返し言うのだ。

なんでだか、うちの家族は私へ死にたいと繰り返し言う。
祖母もそうだし、母も父もそうだ。
悲しいはずなのに何度も言われすぎて悲しいと思えない。
なんならもう本当に自殺してほしい、私の手で殺したいとさえ思ってしまっている。
そんな両親とは警察にも相談した上での完全な絶縁をいま手続きしているところではある。

私より30歳以上年上の両親が、白髪が生えて美貌も衰え、私より歩くスピードが遅くなってもまだ「死にたい」だなんて言っていて、"この人達の人生って一体なんだったんだろう"と私は思った。
そして、私もそんな高齢者になるなんて嫌だと思った。

親から虐待を受けたことで私は解離性同一性障害を患っており、2年前から働かずに一人暮らしの家で自宅療養をしている。

"私ってずっとこのままなのかな"

"1人きりで家に閉じこもって友人関係も疎遠にしてしまったし、職歴が2年も空いてしまった"

"いつか働けるくらいに体調が落ち着いたとしても、何年も職歴が空いているような人間を雇ってくれる人なんかいるのかな"

"そもそも私が働ける日って来るのかな"

"無職で友達づくりをしたり恋人を見つけるのって難しいんだな"

"家族とも絶縁したし、私はひとりぼっちなんだな"

でも、外に出るのが怖い。
人に会うのが怖い。
何かトラブルを起こしてしまいそうだから家から出たくない。
そんな風にこの2年間思いながら引きこもりの生活を送ってきた。

家ではスマホゲームをいくつもやって、お酒を毎日飲んで煙草を吸って、起き上がるのがしんどいからベッドでご飯を食べて、立ち上がったり座ったりしているのはトイレに行くのとスーパーで食材を買う時だけだった。
鬱状態でお風呂なんか入れる訳もなく、1ヶ月以上入れないことはザラだった。

「こんな生活は望んでいない。でも外に出たら暴れて救急車や警察を呼ばれてしまったことがあるし、家に自分を縛り付けなきゃだめだ。」
そう思ってこの狭いワンルームの部屋でとにかく横になっていた。
ただ、働かずに自宅療養をしてもいいといった環境は生まれて初めてであり、"せっかく休めるのだからありがたく過ごそう、先のことなんか考えずに思い切り堕落しよう"と思うことができた。

今までを振り返ってみると、器用に上手く生きてくることはできなかったが、全く何もしてこなかったわけではなかったと気づくことができた。

高校は市内でトップレベルの第一志望校に受かり、先生やあらゆる制度のおかげでなんとか卒業することができた。

大学はそんなに偏差値は高くはないけど、国立大学に受かり、ストレートで卒業することができた。

大学からは実家を離れて1人で生活し、学生時代はアルバイトをいくつか経験したり、1人で生活していくスキルを身につけることができた。

大学の友達と朝までお酒を飲んでそのまま一限の講義に行くこともよくあって、何人か遊んでくれる子はいた。

卒業後は体調が悪いながらも正社員で就職することができた。
数年経って転職に成功し、短い期間ではあったけどそこでも仕事をすることができた。

友達はいないに等しいけど、いつも誰かと繋がってはいてたまに連絡を取りあったりパーッと遊びに行ったりすることはよくあった。

恋愛も未熟なものばかりではあったけど、好きだと言ってくれる人は何人かいたしお付き合いをしたことも人並みにある。

すごく器用なわけではないけど、一度も働いたことがなかったり遊びを知らなかったりするわけではない。
そんな20代だった。

何もしてこなかったわけではない。
でもそれは過去の栄光でもあった。
"いまの私は?"と考えると、無職で引きこもりの障がい者でしかない。
家から出ることすら怖くてできなくて、外から小学生の声が聞こえると"私より小学生の方がずっとしっかりしてる…"だなんて思ったりして。

ところが、なんと"暇でやることがなさすぎて苦痛だ"と思うようになったのだ。
「いやいや、どうせいつもの気分屋なやつで、少ししたら家にいるのが心地いいと思うだろう」と考えていたが、1ヶ月経っても"スマホゲー飽きてきたし、家ですることが本当に何もなくて苦しい。どうせやるなら自分のためになるものがいい"と、「暇の限界」というものが来た。

そこからは区民体育館へ行ってストレッチや筋トレをしたり、マッチングアプリを使って男性に会ってみたり、外や他人に目が行くようになった。
でも、やっぱり無職となるとアプリの男性の反応は良くない。
何よりも私自身がその反応を気にし過ぎていて非常に窮屈に思えてしまい、2週間程でマッチングアプリはやめた。

"働いていないとまともに人と出会えない"と、ひしひしと感じた私はついに単発のバイトを探し始めた。
2~3時間の勤務でティッシュ配りみたいな本当に誰でもできるようなバイトないかな…と探していたところ、ホテル内のレストランのホールスタッフの仕事を見つけた。

珍しくネイルOK、髪は奇抜じゃなければOKのバイトで、ホールスタッフのバイトは学生時代にやったこともあるため、恐る恐る応募した。
5時間勤務で自分の希望条件よりは長かったけど、やったことがあるバイトだったことで自信が湧いた。
そして当日、見事私は5時間勤務のバイトを終えたのであった。

時給1000円だったから、5時間で5000円。
5000円なんて大金があったら何ができるだろうとワクワクしたし、仕事を無事終えたことで「私、今まで通りちゃんと働けるじゃん!」ということにハッとした。
調子に乗ってそこにはもう1回出勤したけど、今月中に新居へ引っ越すことが決まっているため、バイトは一旦お休みにすることにした。

せっかく稼いだお金は、思ったより高かった携帯料金へ消えていくことにはなってしまったけど、"お金があったらピンチの時も安心できる!"と実感できた。

引越しが完了して落ち着いた時、体調が悪くなければまた単発バイトを探して働いてみようと思う。

"暇すぎてバイトしたい"だなんて思うとは露にも思ったことがなく、そんなことを思い至るようになった自分にびっくりした。
正社員じゃなくても、ひとつの職場に固定で働かなくても、いろいろな単発バイトを組み合わせて働いていけばそれでいいのでは?、たかが単発バイトなのだから体調が悪くない時だけ働けばいいのでは?と思えるようになった。

私には何もないと思っていたこの2年。
ちゃんと私には自分なりにもがきながら頑張ってきたことはあったのだ。
きっとこれからも体調を崩すし、引きこもりの生活に逆戻りすることはあると思う。
上手くいかずに落ち込んで塞ぎ込む時も来ると思う。
でもそういうことの繰り返しで人は強くなっていくのかもしれない。

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