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小説は失敗、Xはプチバズ、複雑な思いを経て……

 書くしか能が無いと悟ったあの日から早2年と数ヶ月。逆に文章を書かない人生もあるのかなと、一瞬でも思ってしまった。Xで自分のポストがバズった(プチバズ程度だろうが)のがきっかけだった。

 投稿から1週間足らずで1700もの“いいね”をいただき、あと少しで1800いいねに届こうとしている。2年前にも『タコピーの原罪』絡みで500近い“いいね”をいただいたことはあったが、今回はその比では無い。皆様本当にありがとうございます。

 しかし、嬉しかった反面、複雑な思いもあった。30字にも満たない文章に30秒の動画を載せただけで1700いいねである(なんて書いたら炎上するかもしれないが、実際そうだから複雑なのである)。実はリプ欄にちゃっかり自分の創作小説を宣伝していたのだが、この作品こそが今回の本題となる。

 小説を投稿してから9日、ラジオはUPしたがnoteのほうは一切更新していなかった。文章を書けなくなっていた。ずっと落ち込んでいたのだ。またしても失敗作を世に出してしまったことに。

 そう、私はこれを失敗作だと認めている。不完全な状態、まだ改善の余地があると分かっていながら、あえて投稿したのである。現に、投稿の数日後に読み直し、修正箇所に赤ペンを入れてみたら↓こんな感じで赤だらけになってしまった。

ざっと目を通しただけなので、実際はもっと修正箇所ありそう。

 この体たらくで何故投稿に踏み切ってしまったのか。その理由を順を追って説明させて欲しい。

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 まず、私はいつも書きながら先の展開を考える傾向にあり、今回もそうだった。書き始めた時点で、物語のプロット図はスタート(起)とゴール(結)しか埋められていなかったのだ(しかも結末は最終的に変更した)。

プロット図のテンプレが複雑なのは、「起→結→転→承」の順でストーリーを考えるという某noter様の手法に基づいて作成したから。

「パパ活相手に本当のパパの面影を重ねる美穂」までは決まった。タイトルは『二十歳とパパとパパ』……いや『二十歳とパパとパパ』のほうが語呂が良いのではないか。語呂だけでこのタイトルにしたのであって、語尾の「と」に続く4人目が誰かはまだ決まっていなかった(ノープランすぎる)。

 とりあえず決まった部分だけでも書いてみることにした。しかし、ラブホなんてヘルス以外で行ったことが無いので情景描写が全く思い浮かばない。本来、情景描写の手助けとなるのが場面設定類語辞典なのだが、「ホテル」の項目はあっても「ラブホテル」は無いので使えず。結局、ネットやYouTubeの動画でラブホを調べまくり、数名のアダルト女優を発掘何とか情景描写を捻り出した。冒頭のラブホの場面(約350字)だけで4~5時間経過。

 翌日。美穂の通っている専門学校は「美容」、目指しているのは「美容師」に決定。ここでようやく「森の美容室で働くパパと香澄」という設定を思いつき、4人目は香澄に決定。しかし……美容室?? 美容室なんて10年前に一度行ったきりでほとんど覚えていない。ならば『場面設定類語辞典』……いや今回も参考にならねえ。またYouTubeで調べまくる。また4~5時間が溶けていく。

『場面設定類語辞典』より「美容院」の項目。一般的な美容室に使える情景描写は多数掲載されているのだが、今回は「森の美容室」という特殊性もあり参考にならなかった。

 今回は退職に伴う有給休暇中ということもあり、時間はたっぷりあるはずだった。お金が無いのでこっそりタイミーバイトもしていたが、それでも毎日4~5時間は執筆活動に充てられた。しかし、こんな感じで何度もストップするので執筆は思うように進まず、あっという間に5日目を迎えた。

 精神的に限界が来てしまった。

 会社に提出する書類、制服のクリーニング、部屋の片付けなど、執筆活動にリソースを割きすぎるあまり他のタスクに手を付けられていなかった。2週間の貴重な有休の内、小説とバイトだけで4日も消えたのである。一刻も早く小説を終わらせ、他のことを始めたかった。始めなければならなかった。

 結果、強引にでも終わらせるしかなかったのだ。

 言い訳なのは分かっている。世の中には5000字の作品を2時間で書き上げる天才も居るのに、私は一場面に5時間、全体でも3300字ごときで5日も費やしたのだ。時間がかかりすぎている。それでも、どんなに時間・日数をかけてでも作品の質を上げていかねばならない。5日ごときで挫けてはいけなかったのだ。

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 凡人はひたすら努力するしかないし、いくら努力をしても到達するレベルには個体差がある。70%の努力で100点を出せる人も居れば、100%全力を出し切っても70点しか出せない人だって居る。TBSで先日まで放送されていたドラマ『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』を思い出す。

夏目響(芦田愛菜)「(バイオリンの)コンクールに出れば、小学生までは大抵優勝できた。

 12歳の時ね、コンクールで他の子に言われたの。『指揮者の娘は得だよね』って。『うちはお金ないから、レッスンも良い先生に習えないし、そんな高いバイオリン絶対に買えない』って。そう言ったその子は、私よりもずっと上手で……私、勝てなかった。

 年齢が上がったら、恵まれた環境がくれたベネフィット(≒アドバンテージ?)は、あっという間に無くなった。(中略)入賞しても、褒められても、完璧な演奏が出来ない自分が許せなかった。ご飯食べる時間も、寝る時間も惜しくて、足りないなら人の千倍努力すれば報われるって信じていた。

(中略)

 そうやって、練習して練習して練習して、15歳の時に受けたコンクールで奇跡が起きたの。今までの苦しさが嘘みたいに弾けた。何もかも忘れて、ただ夢中で。(中略)いつもパパ(指揮者)が聴いている音を、その時初めて聴けた気がした」

(しかし……)

俊平(父/西島秀俊)「第3楽章の第2主題、少し走ったね。あそこを修正すれば、ファイナルでもっと良い演奏できるよ。頑張って!」

響(……もっと? パパは何も分かっていない。もっと良い演奏なんて出来ないんだよ。今のが私の最高だったんだよ。もう……頑張れないんだよ

『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』9話より

 ここまで努力しても完璧な演奏が出来ない現実に、私は深く考えさせられた。フィクションなのにリアルを感じた。これが表現の世界であり、創作の世界にも通ずる要素はあると思う。

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 そもそも、締め切りも無いのに強制終了し、作品の質を上げる責務さえも放棄した私は努力以前の問題で、考えを改めるべきな気がした。理不尽で無慈悲な現実からの逃げ場所として書き続けたnoteだが、創作小説を続ける限りは努力論や責任論、何よりも根性論が付きまとう。それでは現実と一緒ではないか。何も書かずに現実世界で口頭のコミュニケーションを頑張ったほうがまだ楽しい人生なのかもしれない。そうやって文章を書かずに生きている人もたくさん居る。

 この9日間、書くことを休み、他の方の小説を結構読んだ。複数名のnoter様の作品も数本ずつ。その誰もがストーリーの面白さはもちろん、文章表現も豊かで、何よりちゃんと個性、作家性を出していた。劇団ひとりさんの『陰日向に咲く』も読んだ。ら抜き、い抜きは気になったが、多忙な芸能活動の合間にこのクオリティーを書けるのかと驚いた。

 私は次回作を書けるのだろうか。一応、先日予告した通り連続小説の構想は練っており、第一話は固まりつつある。4月の一ヶ月間、毎日少しずつでも進めていくのはどうか。じっくり時間をかけて完成させ、推敲にも数日費やしてからようやく投稿に踏み出す。私は時間をかけないといけないタイプだと分かった以上、焦ったり生き急いではならない。

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 死ぬ間際に後悔だけはしたくないと、最近特に思う。意地でも100歳まで生きるつもりではあるが、先日亡くなられた二人の大御所は共にまだ60代だった。仕事もプライベートもネット世界さえも充実していない最悪の現状のまま寿命を迎えるとしたら確実に後悔するだろう。まずはネットだけでも充実させたい。

 答えは出た。Xの短文投稿でもバズる時代だが、やはり私は創作小説で何らかの結果を残したい。賞を獲りたいとかそこまでの熱量は無いが、まずは自分の中で満足のいくラインに到達したい。あわよくば、尊敬する方々に認められたい。

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