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【笑顔】火葬場でふざけたら怒られるって知ってました?


ウバといいます。
訪ねていただきありがとうございます。


わたしは普段からニッコニコで過ごしています。じぶんの機嫌は自分でとる。これがわたしの生きる基本となっています。大切なことです。

わたしの周りの人間も笑顔でいてほしい。笑ってて欲しいと願う。そして、その為にならなんだってする勢いのオッサンです。


高校3年の冬、ゴリラ似の父が他界した。高校3年生とは大人になる直前の時期であり、わたしもやはり子供だった。下の毛は生えていたため、我が家のルールでいえば大人である。

嫌な予感がする夜ではあった。父はまず、わたしに携帯を貸してほしいと言ったのだ。母親には内緒でだ。じぶんのは壊れたらしい。

今ならわかる。携帯は止められてたのだろう。おそらく料金未納というやつだ。

つぎに、あんな夜遅くから出ていくような仕事はしていない。そんなこと、高校生のわたしでもわかるのだ。母親はどう思ったのだろう。もしかしたらケンカでもしていて、出ていく父を止める気も無かったのかもしれない。

母には聞けないし、聞くべきではないことくらいわかっている。伊達に下の毛は生えていない。大人なのだ。

そういえば、あの夜の数日前に言い争ってるのを聞いた気もする。その2人に対して、わたしは大きな声で怒った気もする。

その夜から、父は行方不明となった。わたしの知らないところで、母や兄は毎日まいにち探しまわったらしい。ガソリン代が凄かったと、のちに兄は語る。

この世からいなくなったと聞いたのは、自動車教習所だった。当時そこで働いてた兄の彼女さんに呼び出され、彼女の車で家に帰る。彼女は近い未来、兄の嫁さんだ。

その車中で聞かされた。「駄目だったって」と。わたしは「そうですか」とだけ言ったと思う。さすがにセリフまでは覚えていない。

教習所て呼び出されたときには、そうなのだろうと覚悟はしていた。

享年57歳……56歳?……58歳?ま、そのへんだ。ゴリラの寿命の平均が35〜40歳らしいので、ゴリラにしては生きたほうだろう。

そこから通夜や葬儀やらがあるわけだが、わたしは泣かなかった。友達も集まってくれた。わたしの部屋は、今からまくら投げでもはじまるのではないか?というほどに笑い声があった。

兄が友と抱き合って泣いてたのが今も思い出される。その友が兄の結婚式でスピーチをした時は、わたしも泣いた。友情とは熱いものだと知る。

通夜やら葬式やらが終わると、ゴリラは火葬場に連れていかれる。もう顔を見るのも最後だ。それでもやはり、わたしは泣けなかった。泣くべきではないと決心していたからだ。

火葬場ではそれなりの時間を待たなくてはいけない。疲労も心労もあるだろう、大人たちはしずかだ。いちばん若い弟は、当時まだ中学2年生。彼もまた困惑した時間を過ごしていた。

中学2年生は、おそらく下の毛が生えている。我が家のルールではもう大人だ。記事の都合上、子供として話を進める。

今はきっと死因を知っているだろうが、当時は教えなかった。まだ知るべきではないと判断されたのだ。が、どうであれ父はもういない。

笑顔にするべきだと思った。わたしにできることは多くないと知っている。兄は大丈夫、でも弟はきっと苦しいはずだ。笑顔にするべきだ。

皆さんはたくあんを知っているだろうか。あの黄色い大根の漬物だ。アレを弟のお茶のはいったコップに入れてみた。今でも思う、なにがおもしろいのか。

必死だった。彼だけは笑顔にしたい。その思いが暴走した結果、弟のコップにはたくあんが1枚。もう一度言う、なにがおもしろいのか。

困惑しながらたくあんを箸で取った弟。それを見つめる祖母。その視線がわたしに移る。初めて見る祖母の激怒。恐らく火葬場であそこまで怒られる高校生はいないだろう。

弟は笑っていた。兄も笑っていた。母も。わたしは怒られていた。
わたしはしてやったのだ。ピエロでいい、笑顔が見たいのだ。

呼び出しの後、そこには骨になった父がいた。はじめて泣いた。何度も言うが、わたしの父はゴリラだ。どこで焼いたん?というほど黒かった。父の前では、松崎しげるさんは白だ。ちなみに白は200色あるらしい。

そんな父が白い骨になっていた。涙が止まらなかった。その時、わたしの中ではじめて父は死んだのだ。もう会えないと知る。さすがに笑えなかった。

あの夜、父の車のライトが遠ざかるのを、わたしは2階の部屋から見ていた。嫌な予感があった。止めるべきだったと何度も自分を責めた。でも、もう遅い。父はいない。


まいにち笑顔で生きるのは、かんたんそうで難しい。わたしも眉間にシワを寄せるときもある。その顔は嫁さんからは不評だ。お前は笑顔が良いと言われる。

以来、わたしは笑顔でいようと決心する。

火葬場ではふざけてはいけない。長ったらしく書いてきたが、伝えたいのはそれだけの記事でした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
コップにたくあんは、さすがにセンスがないなあ


それでは、佐世保の隅っこからウバでした。


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